以前から行きたかった石清水八幡宮
ママ先生の実家への帰省ついでにお参りしてきました。
鎌倉・鶴岡八幡宮との関係性で前から気になっていました。
後に源頼朝が現在の地へ遷(うつ)し、鶴岡若宮と称したのが現在の鶴岡八幡宮。鎌倉幕府から篤く信仰され、広く武門の神、勝利の神として崇敬を集めることとなりました。
そこで問題です・・・ なぜ石清水八幡宮から勧請したのか・・・。
有名な話なんですが、鶴岡八幡宮目線で見るとなんかしっくりきていなかったところです。
有名な話なんですが、鶴岡八幡宮目線で見るとなんかしっくりきていなかったところです。
今回はおおもとの宇佐八幡宮から調べてみました。
<そもそも八幡宮とは>
八幡宮神・・・日本には「八百万の神」という概念があり、全国にはさまざまな神々をまつる神社がある。そのなかで最も多いのが、「八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)」をご祭神とする八幡神社。
日本全国には8万8千社ほどの神社があり、そのうちの4万強がこの八幡神社です。
(郵便局が2万4千 コンビニ最大手のセブンイレブンが郵便局よりちょっとだけ少ない2万1千。コンビニの場合は都市部に集中していますが神社はまんべんなくあるのにその倍以上の数というのは驚きです。八幡様の数がいかに多いかが分かります。
神社の場合には、さらに宗教法人としての認証を受けていない、街角にひっそりと祀まつられているものもあれば、家のなかに祀られた屋敷神もある。あるいは、企業が本社の屋上などに祀っているものもある。そうしたものをあわせると、8万社ではすまない。14万社から15万社はあるのではないかと言う神職もいるそうです。こういうのを調べていくと、日本人が無宗教なんてとてもいえませんね。いかに日本人の生活に宗教が根付いているかが分かります)
神社の場合には、さらに宗教法人としての認証を受けていない、街角にひっそりと祀まつられているものもあれば、家のなかに祀られた屋敷神もある。あるいは、企業が本社の屋上などに祀っているものもある。そうしたものをあわせると、8万社ではすまない。14万社から15万社はあるのではないかと言う神職もいるそうです。こういうのを調べていくと、日本人が無宗教なんてとてもいえませんね。いかに日本人の生活に宗教が根付いているかが分かります)
神道の神々に目を向けると、その系統は主に以下の3種類。
① 天照大神に代表される「日本書紀」や「古事記」に登場する神話における神々
② 一方で神話には登場せずに新たにまつられた神々も多く、八幡神はこちらに当たる
③ 菅原道真の天神信仰など、歴史上の人物が神としてまつられるケースもある。神話に登場せず、全国で多大な信仰を集めるのが八幡神
② 一方で神話には登場せずに新たにまつられた神々も多く、八幡神はこちらに当たる
③ 菅原道真の天神信仰など、歴史上の人物が神としてまつられるケースもある。神話に登場せず、全国で多大な信仰を集めるのが八幡神
<宇佐神宮のなりたち>
八幡さまは、もともとは土着の神(九州大分の宇佐氏が崇敬していた)でしたが、隼人の乱によって天皇の化身(応神天皇)になりました。
(隼人の乱とは・・・隼人と呼ばれる南九州の人々が大和朝廷に反発し起こったのが隼人の乱 これ以降この地域も律令制に組み込まれていく)
そこでの制圧が武門と結びつき、さらに隼人の乱での鎮魂のため宇佐神宮ができます。さらに平安時代には、天皇家を祖とする(清和)源氏が京都の石清水八幡宮を宇佐神宮から分霊して氏神としたことで、武勇の神として多くの武士からの信仰を集め、一般の信仰の対象としても広まりそこからさらに分霊したのが源頼朝であり、鎌倉の象徴 鶴岡八幡宮になるわけです。
<三大八幡宮>
宇佐神宮(大分県宇佐市)は八幡宮の総本宮。石清水八幡宮(京都府八幡市)、筥崎宮(はこざきぐう、福岡県福岡市)、または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)をあわせて、日本三大八幡宮とよび、殺生の宿命を負った武神と鎮圧された隼人の霊を慰める仏教的考え(放生会)という二つの相反する概念の融合によりうまれた神社になります。
<応神天皇>
古代日本における女将軍の象徴とも言える人物である神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅に出兵して、新羅を含め百済、高句麗という三韓を日本に服属させたとされています。
その出兵中におなかにいたのが応神天皇であり、それが武門から祭り上げられる伝説につながっています。
<八幡神とは2>
八幡神は、元々は大漁旗を意味する海神といわれ、神社では誉田別尊(ほんだわけのみこと)、あるいは応神天皇(おうじんてんのう)の祭神名でまつられています。
大分県の宇佐氏が崇敬した地方神でしたが、ご神託を通じて第15代天皇である応神天皇の化身とされ、土着的な神と天皇のご神霊が結びついた特別な性格を持ちあわせています。
<鳩マークについて>
・宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請した際に、白い鳩が道案内をしたという言い伝えがあります。→鳩は「八幡様のお使い」
・鎌倉期には、戦で勝運を呼ぶ鳥として鳩の絵柄を家紋に使う武士も現れました。特に、石橋山の戦いで敗れた源頼朝を助けたとされ、源平合戦でも活躍した熊谷直実(くまがいなおざね)が、2羽の鳩が対になった家紋を用いたことで、鳩の家紋は全国へと広まっていったと言われています
・源平合戦の最後となる壇ノ浦の戦いでは、源氏の白い鳩が平家一門が入水したことを鎌倉に知らせた伝説 があります
私なりのまとめ・・・
①もともと八幡神は宇佐氏が崇敬していた地方神でしたが、隼人の乱をきっかけに武勇の誉が高い応神天皇とむすび付いていきます。
②源氏一門が「宇佐神宮」から分霊し京都「石清水八幡宮」を祭る。
⇒頼朝がさらに分霊し「鶴岡八幡宮」で祭り上げ武家の都を作った。
⇒頼朝がさらに分霊し「鶴岡八幡宮」で祭り上げ武家の都を作った。
鶴岡八幡宮ではなく同じ武勇で名をとどろかせる(蒙古襲来時)筥崎宮(はこざきぐう、福岡県福岡市)を3大八幡宮とすることもある。
こんな感じでしょうか・・・ちょっとすっきりしました。
個人的には、もう4大八幡宮でよいのではないかと感じています。 (^^♪
↑エジソンがフィラメントとして選び抜いた竹が、ここ石清水八幡宮の竹です。
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