明日は明日の風が吹く

明日の事を今日悩んだって何にも解決しない
まぁ何とかなるさ!

地味にお香の達人

2023-04-09 16:03:11 | 歴史

お香というものは極めようと思えばきりがない。

私が買い付けるのは京都の松栄堂ですが、ここは永平寺御用達でもあります。

永平寺の門前町でもお土産に線香を買えますが、日本のお香の本家本元といえば松栄堂だといえるでしょう。

ここで乳香を買ったときは線香のスタイルでした。

後にアマゾンで樹脂香を買ったんですが、やはりいい値段がします。さらに没薬となると10g単位でもめちゃめちゃ高い。今回はそんな没薬をキロ買いしたおっさんの話をしましょう。

出典は

聖書です。お香の達人の名前はニコデモ。当時のユダヤ教では民衆レベルで支持が多かったと思われるファリサイ派で地位の高そうな人です。

この人、キリストの処刑の日に皆さん罵声を浴びせるか悲しむか、兎に角キリストの市中引き回しと処刑を見に集まってるなかで、何をしてたかといえば没薬とアロエか沈香をキロ買いするのに奔走してたわけです。

新約聖書を読めばわかると思いますが彼が属するファリサイ派とキリストが始めたナザレ派(ここから世界最大の宗教キリスト教が出てきます)は少くとも良好な関係とは言えませんし、キリストのファリサイ人批判とファリサイ派のキリストへのあら探しはお互い口を極めてました。

そんな中でキリストを弁護した珍しい種類のファリサイ人でした。

現代社会の出来事ならニコデモのスマホにはファリサイ派のグループチャットで「ナザレのイエス処刑ざまぁw」みたいな着信をかわしつつアマゾンやアラビア関係のネットショップで最短で没薬のキロ買いが可能なところを検索し続けたことでしょうけど、もちろんこの時代にそんなものはありません。

店頭販売でキロで買えるところを探して相当な金額を現金払いで、33キロともなると輸送も大変。そんな中でキリストの埋葬に間に合うように調達できたって冷静に考えるとスゴいとしか言いようがありません。ネットでも没薬のキロ買いってなかなか出来ることではない。

 

ってことでお香マイスターを古典から探すならこのニコデモっておっさんがイチオシですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎖国下の数学

2023-03-12 15:07:32 | 歴史

以前に見逃された幼児が足利家を存続させた話をしました。幼名は永寿王、後に古河公方となる足利成氏ですが彼の兄たちは自害もしくは足利義教によって処刑されています。持氏の遺児を担ぎ上げたのが結城氏朝で敗戦の結果、結城氏は滅亡に向かうかに見えましたが成氏によって再興することが許されます。戦国末期には徳川家康の次男坊 秀康が養子に入って越前松平氏につながっていきます。一方で結城氏の一族で関氏に養子に入った人物が数学の天才で名を関孝和といいます。

生まれたのは寛永年間ですから島原の乱を前後するころ、戦国の完全なる終焉を見据えたころ合いと言えます。活躍したのは綱吉の時代、後の6代将軍家宣となる甲州藩主に仕えそのまま将軍となった家宣に仕えました。同じ6代将軍でも恐怖政治を敷いた室町将軍義教と違ってなかなか出来た人物で、反対意見の排除をしない、新井白石を師として尊敬し師弟の礼儀を将軍になった後も守るけど彼が気に入らない人物を新井白石がいくら排除しようとしても家宣は聞き入れなかったと言います。7代将軍となると室町も江戸もなぜかお子様将軍、ただ最近の研究では室町7代義勝も江戸7代家継も幼少ではあるけど言動はしっかりしていたんじゃないかと言われています。義勝は武家の棟梁たる将軍になるべく帝王学を授けられていて同母弟で公家に育てられて文化人としては一流だけど武家の棟梁としては三流以下で応仁の乱を引き起こした義政とは育ち方が違っていたと言います。一方で家継も家宣の実子で家宣の意向を受けて育っていたなら言動はしっかりしていたんじゃないかと思えます。ただし家宣の難点と言えば尾張宗春にも共通するんですが政治哲学・倫理・価値観が現代人の思考パターンに近く江戸時代の将軍や領主としては不向きだったのかもしれません。ただ、関孝和が家宣に気に入られたなら優れた人物じゃないかと反射的に思ってしまうところもあります。

和算で検索して画像を見るとパズルに近いものがあります。数学の本質がパズルだってことに近世の日本人は分かっていた。数学の授業では公式の暗記や繰り返し演習が主体で考えさせる授業に巡り合いにくいんですが、和算の時代は数学は考えることや解き方の分からないことに自分で答えを出すことにちゃんと価値を見出していたわけです。おおよそ数学で繰り返し演習が必要なのは基本的なことを理解するためであって難問の繰り返し演習は害悪でしかないと思いますから。明治以降に洋算にとってかわられるのは実用性と記号を使うことで少ないスペースに多くの情報を乗せられるってのがあるんでしょう。表意文字を使う私たちにしてみれば少ない漢字で意味を伝えるのは可能で、表音文字を使う人々にしてみれば同じ演算を多くの文字列で表さなければならない。だからこそライプニッツは数学の授業で必ず嫌悪感の対象にされる∑や∫など数学独特の表意文字を作り出していった。しかも私たちのようにもともと表意文字を使って文章を表す側より少ない文字列で多くの算術上の情報を盛り込めた。これも現代人が数学を使って技術上の計算を行うときに利便性がいいので洋算に頼る原因となっていくわけです。

さてさて、関孝和には関数の概念がなかったので微積分学をニュートンやライプニッツより早く見出したとは言えないにしても、面積・体積・経路の長さを細かい要素に分け足し合わせるってのは積分法の本質自体はつかんでいたといえるんじゃないかと思えます。ただ、関数という概念をライプニッツは分かっていたから積分法は微分法の逆の手法と気づけたわけで、多くの曲線に囲まれた面積や体積を厳密に一般化された手法で導出できた。この点では微積分学の太祖はニュートンやライプニッツにあると言えますし、後継者による理論の発達という点では圧倒的に現代数学は彼らの系譜をひいているものと言って差し支えありません。

さらには幕末に近い頃になれば複素平面上の積分論が発達して、産業革命で動力を人力以外で容易に得られた次は自動的に制御する必要に駆られるわけですがその基本理論となる複素関数のモードの計算に必要なラプラスの順逆変換の数学が整ってきて、寛永年間に西洋との接触を限定しつつも西洋に言われるほどは遜色のない文明を発達させてきた江戸期の日本の文明は嘉永年間には西洋に一気に先を走られることになります。足利義教の恐怖政治を潜り抜けた家系から和算の大家が現れたのに対し、複素関数の積分法はフランス革命の恐怖政治を潜り抜けた家系から現れた天才によって大幅な発達を見せます。彼の名はオーギュスタン・コーシー、日本でいえばもう幕末期に近い頃に活躍した人物です。

幕末期にあたるころの洋算の話をする前に、お次は微分・積分・複素関数のちょぼっとしたトリビアに触れておくことにしましょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見逃された幼児が血統を守ることになる

2023-02-28 21:15:52 | 歴史

【ゆっくり解説】日本一貧乏なのに勝ち組大名!喜連川藩の謎!!

 

等持院の歴代足利将軍の木像では子供将軍である7代 義勝が目を引きますが、私が注目したのは義勝の父6代義教ですね。歴代の将軍が狸顔なのに対して彼だけが眼光の鋭い狐顔の将軍です。実際に彼の治世は恐怖政治そのもので人々は怯えて暮らしていました。

そんな義教に盾突いたのが関東公方の足利持氏で、関東公方というのが2代目将軍義詮の弟基氏を開祖とする関東にもう一つの幕府があるような状態だったわけです。当然尊氏の血をひいていますので何かあれば将軍家にとって代わろうとするのは何ら不思議なことではありません。そして起こるべくして起きたドンパチが永享の乱だったわけです。この戦は持氏の敗北に終わり息子の義久ともども自害し、他の遺児たちは落ち延びることになるわけですが幕府に不満を持つ結城氏朝が遺児たちを報じてドンパチを仕掛けます。これを結城合戦という訳です。これも義教の勝利に終わり報じられた遺児である春王丸12歳、安王丸11歳は義教の命令で殺害されます。彼らの弟であった永寿王丸はとても幼いので見逃された、義教が殺そうとするがその前に義教が赤松満祐に殺害された(嘉吉の乱)、結城合戦に参加していなかったのどれかの理由で生き延びて元服して成氏と名乗り再興をしようとしますが関東管領家の上杉家や後の関東の覇者北条氏の前に鎌倉にいられず下総古河に逃れ古河公方と呼ばれることになるわけです。この一族の血統を引く喜連川家が15代将軍義昭の後に将軍家は途絶えたあとも尊氏の家を残すわけです。

が、動画を見ると江戸時代はどうもグダグダの領主だったみたいですね。ちなみに遺児を担いだ結城氏ですが合戦で一度滅亡の後、成氏によって再興を許されたみたいです。戦国末期には徳川家康の次男坊の秀康が養子に入って越前松平氏につながってくる。松平姓を名乗っても越前の分家が結城氏の菩提を祀り続けたようです。どうも家康ってのは家庭円満に縁のないおっさんだったみたいで母子ともに処分した信康はもとより秀康とも相性は良くなかったようです。やはり越前藩も財政はグダグダだったみたいで雄藩になるのは松平春嶽が家柄に関係なく有能な人材登用を行ってからで、腹心の橋本佐内や兌換紙幣である藩札の導入によって貨幣流通の総量を御することをやってのけた三岡八郎などの活躍の後の事です。三岡八郎のちに東京府知事(今でいう東京都知事)になる由利公正の財務能力は相当なもので暗殺されるほぼ直前の坂本龍馬が福井を訪れて「三岡ぁ、話したいことが山ほどあるぜよ!」と言ったのも新政府の財政のキーマンと踏んでいたからこそなのでしょう。

 

そんな結城氏の分家には関家があり、江戸時代の和算の大家 関孝和が養子に入っています。この人は鎖国で西洋の情報が閉ざされている中でニュートンやライプニッツとほぼ同時代に彼らに匹敵する理論を展開しています。線分の長さ、面積や体積などを細かい要素に分けて足し合わせる、積分法にたどり着いているわけです。ちなみに積分の使いこなしのセンスを問うときは「積分の定義って何?」と問えばいいでしょう。積分とは連続した要素を無限に細かく分けたときにどうなるかを考えて足し合わせるという作業の事を指します。「積分とは微分の逆である」としか答えられない人は往々にして微積分の使いこなしが弱い傾向がありますね。積分が微分の逆であることは後からライプニッツってって親父が発見したのであって算術としては微分の逆になりますが、定義と意味を知っていなければ使いこなしがどうしてもあやふやになり、物理量を計算するときに「これって微分するんだっけ?積分だったっけ?」などと迷ってしまって理工系のセンスがないことを見抜かれてしまいかねません。

ってことで、次は関孝和と江戸時代の日本の積分計算について述べてみましょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラック校則は悪くない

2023-02-26 20:03:00 | 歴史

校則の見直しをラップで求めた中学生のニュースが出ていますね。

校則が理不尽だからこそ中学生は意思表示と行動に移れたんじゃないでしょうか。

私たちの世代がやたら若い世代に理解を示す社会も、若い世代が私たち年配に対して従順な社会も住み心地は悪そうですから。

「この頃の若い者は」は古代文明の時代から年配の世代によって語られた常套句です。

変えようとする人々と立ちふさがる人々がいて、ぶつかり合うことが世の中の暴走と停滞を防ぐには必要なことでしょう。

私は若い人の言い分にいちいち理解を示そうと思いませんし、若い人たちは私たちの世代に従順な必要などないし従順であってほしいとも思いません。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

れいわ新選組の評価できるところ

2023-02-23 20:08:59 | 歴史

正直ガーシーはクズと思うし、れいわ新選組は私と真逆の政治的主張をする集団だとは思っている。

が、歴史的にいくつもの災厄を潜り抜けてきたユダヤ人の集団の意思決定の方法に「物事は多数決を行い、多数派の意見を採用する。ただし、全会一致の時はこれを採用しない。」ってのがある。全会一致で決まることと言えばわざわざ評決するまでもないどーでもいーことか、集団が危険な方向に走ろうとしているかのどちらかということを経験的に知っているから全会一致の案件を採用しないのであろう。

 

全会一致を避けるということ、何かが述べられるには反対側からの意見が忌憚なく述べることが出来る環境が担保されているということが集団の健全さを保つうえで必要なことと思うので、自分と真逆の政治的主張を行う集団が一定数存在していること。この2点においてれいわ新選組ってのは一定の存在価値を認めないわけにはいくまい・・・

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は極端を好みがち

2023-02-18 10:17:39 | 歴史

釈尊の「苦行に意味はない」についてつらつら考えていますが、そもそも釈尊はなぜ苦行という普通に考えてみればしたくもないことをわざわざするようになったか・・・

もともと釈迦の名前はゴーダマ・シッダールタといい、インドのとある国の王子でした。何不自由のない暮らしが出来るように環境を整えてもらい、家族にも恵まれて現代風に言えば親ガチャ勝ち組だったわけです。そんな釈尊が生きる、老いる、病を患う、挙句の果てに死ぬという人間の逃れられない苦しみを見たときに、楽しく暮らしていてもやがては虚しさに囚われる運命にあることに気づいてそれらを超越した境地を得ようと苦行に入るわけです。

つまり苦しいことから目を背けて楽しみばかり追い求めても、人間の欲望にはきりがない。飢えの苦しみから逃れたら他に欲しいものが出てきて苦しむし、物質的に満たされるなら次は精神的な苦痛の種を人は見出だすであろう。だったら欲望から目を背けるべく苦行に打ち込もうとしたのかもしれません。

 

しかし苦しみに向かって行っても何も得られない。ほとほと疲れ切った釈尊が悩んでいるそばで竪琴の調律師が弟子に「弦は緩みすぎても締めすぎてもいい音が出ない」と教えるところを耳にして、快楽にふけって弦を緩めすぎても虚しさが募り苦行に打ち込んで弦を締めすぎても何も得られないことを知り、いい思いをしてやろうとか苦しいのを頑張りぬこうとか言った我から発する思いの呪縛を断つべくひたすら菩提樹の下に座り続けて悟りを得るわけですね。

 

偏ったバネを揺らさずに程よい位置に止めることが難しいように人の考えは極端に偏りがち。ましてや人間の集団となると世の中の歪を正そうとして反対方向への歪へとひた走る。個々人では何か変だと感じても集団の動きは止められない。

 

ほどほどが一番と思いつつ、極端に走ることを止められないのは私が悟りに程遠い俗人だからなんでしょうw

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦行をする意味やめる意味

2023-02-15 21:00:36 | 歴史

お釈迦様が苦行をして「苦行は何の意味もない」と明言を述べて苦行をやめて悟りに至るエピソードに見る教訓って・・・

 

苦行をしたからこそ苦行は何の意味もないってことを確信をもって語ることが出来るようになったってのは前に述べたとおりです。

 

つまりは何もしないで努力する人をあざ笑う人よりも、それは意味のない努力かもしれないでもやってみなきゃ意味があるかどうかは分からないじゃないか!と行動と努力に移せる人の方が価値があるってことです。努力する人をあざ笑う人は自分が努力しても何も得られず傷つくことを怖がっているから、努力する人を笑いものにすることで自分を慰めようとしてるだけ・・・。そんな卑怯者が何をぬかそうが気にすることはない。

 

もう一つは、何かを苦しみぬいて答えを出そうとしているときに、その苦行に意味がないのではないかと疑念を抱いたときに多くの人は「ここで苦行をやめると今までやってきたことが無駄になる」と恐れて苦行を続けることにしがみつこうとするんですけど、過去が無駄になるかは知ったこっちゃないけど今の方法を続けても結局何も得られなさそうだと悟ったなら今まで積んだことを手放すことを恐れず進む道を変える勇気を持つこと。そうすれば無駄に思えた過去の努力だって今のより良い道に進むためには必要だったんだって分かってくる。方法が間違ってそうなのに同じ方法にしがみつきたくなるのは苦しんでいる自分に酔っていたいだけ。

 

お釈迦様は苦行する自分に酔っていたいだけのかつての仲間たちが離れ去っても道を変えることを恐れなかった。

 

何気なく聞くエピソードにも教訓はいっぱい込められている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今さら何を・・・

2023-02-11 11:17:56 | 歴史

共産党の党首公選を求めた古参党員の除名騒動であーだこーだと皆さん意見を述べていますが、

彼らの思想の根本にある共産主義、マルクシズムというもの自体がもともと民主主義と相いれない概念だってのは分かりきった話じゃあないですか。

 

共産党がもともと民主主義に仇為す勢力だって事実を包み込むために耳に甘い言葉をささやくけど、マルクシズムが何を訴えているかが分かっていれば今回の騒動は何も驚くに当たらない。

 

確かに共産主義は抑圧や搾取からの開放を謳う思想ではある。現実の世界が王政、天皇制、資本主義、民主主義、社会民主主義何であれ抑圧や搾取が厳然として存在することは彼らの指摘通りではある。しかし、抑圧からの開放の結果として労働者の代表者による独裁制っての自体が何を意味するか?

結局労働者、抑圧される人々の代表者と称せられる圧政者によって抑圧・搾取される体制への移行を意味する。そしてそれは抑圧されている人々の代表者を自称するから余計に質の悪い体制になる。

 

結局は現行の体制と支配者による支配を認めたうえで、抑圧や搾取を少なくしていくためにお上に対して完全に従順でない国民性を保つことが昔から行われてきた下からの力ってものじゃないですか?

室町時代に百姓たちは支配者の理不尽に対して一揆をおこしたわけですし、戦時中でさえ人々は生き延びるために官憲の目をかいくぐって闇米を買い求めたわけですから。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

校則の必要性

2023-02-09 21:21:19 | 歴史

厳寒の氷点下4度の中ジャンパーを着てきた中学生が着てこないように指導されてその通りにしたら熱が出たそうですね。

校則は何のために必要かと言えば、世の中に出れば指導する側に都合のいいように不要な規則を押し付けられるってことを早い内に体験できるってことですね。こんな規則は不要とか理不尽と思える感性があるなら麻痺しないように世の中を変えようという情熱を若い人には持ち続けてほしいものです。私ぐらいの年齢になるとどうしても考え方が保守的になってきますから・・・

 

この出来事から得られる教訓は規則を守って真面目に従順に任務や職務に忠実であることは必ずしも良いことではなく、単にアホな目に遭わされたり、組織的な犯罪の一端を担わされたりするということです。

 

戦前から戦後に移る中で、教育は劣化し肥大化した権利意識が世の中を却って住みづらいものにしている反面、戦前は当たり前のように受け入れられてきた「お国のためなら」「国家こそが」という言葉が語られるときに距離を置いて聞くことが出来るようになったってことは確実に戦前より戦後のほうが良くなった一面と言えるんじゃあないでしょうか。

 

そんなこんなで、理不尽な規則を守らされるってことはあほらしいと思えるって感性は大事にされるべきものです。あほらしいと思うきっかけとなるためにアホみたいな校則ってのは存在価値があるんだと思いますね。私たちが第2のアイヒマンとならないためにも。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校教育に三角関数が必要か?

2022-12-29 21:31:43 | 歴史

表題の問いかけに対する答えを先に言っておけば

「必要である」

となる。高校時代には「三角関数が分かったからって世の中に出て役に立つとでもいうのか?」と思いたくなるのは無理なからぬこと。まぁ、そんなことに苦しめられる時間を他の事に当てたほうが人生に有益ではないか?って思った方の感性自体は決して不健全なものではありません。では、その理由を社会という人間の集団と個々人の人生の2つの観点から述べてみましょう。

まずは社会的な観点から・・・

現代文明に生きる私たちは電気を使って様々な機械を動かして生活しています。原始時代のうちに人類が滅亡しなかったことを想えば機械や電気が人類にとって絶対に必要なものではないってことは分かります。かといって現代人が現代文明の恩恵を全部捨てて生きていくことは無理でしょう。

そうした機械や電気を御するには三角関数を使わないわけにはいかない。

すなわち、そうしたことを必要とする職種の滅亡が見込めない限り誰かが三角関数を使いこなせなければならないわけでどこかで何らかの形で三角関数の教育が行われていることの必要性はあるわけです。

じゃあ、最初にそのババクジ引く人を決めておけば学校での勉強の苦痛をミニマムに抑えられるんじゃね?って思いたくなるのも分からなくはない。これは江戸時代の初期に行われた制度設計に近い考え方ですね。身分が固定されていて、個々人の可能性は絶望的に封じられる代わりに社会が安定して競争に神経をすり減らすこともなくなる。ただ、現代社会で鎖国して身分を固定して日本が生き残れるかというと答えは際限なくNO!に近いでしょうね。

実際に島国で他国や他民族との関わりをかなり抑えることが出来た幸運な我々日本人と違って、2000年近く絶えずキリスト教社会から虐殺や偏見にさらされてきたユダヤ人は教育を非常に重んじてきた。才能ある人を伸ばす教育を重視すれば落ちこぼれは置いてけぼりになる、進学塾で落ちこぼれを人間扱いせずに容赦なく切って捨てるのはその典型です。かといって落ちこぼれを出さないように授業を進めると才能ある子供が能力を伸ばす機会がなくなってしまう。ところが、ユダヤ人は才能ある子供を伸ばして落ちこぼれをフォローするわけです。これは彼らに個々人に対する人権意識が強いわけではなくって集団が生き延びるためにそうしなくてはならなかった。キリスト教社会で偏見にさらされていた彼らは才能に秀でたものを多く出してより多くの富を稼ぎ出して存在基盤を確かにしなくてはならなかった。一方で何かあるごとにユダヤ人はキリスト教社会で虐殺の危機にさらされてきたわけですが、キリスト教社会はユダヤ人の落ちこぼれだけを狙って虐殺するわけでなく、どの階層が虐殺の対象にされるかわかったものじゃない。そうなると生き残ったのが落ちこぼればっかりでも彼らの手で集団の再建をする必要があった。そうなると腐ったミカンを捨てるかのごとき落ちこぼれを置いてけぼりにする教育をしていては民族滅亡の危機を迎える。そうしてユダヤ人の高度な教育のスタイルが確立され、世界史を振り返れば人類に大きな影響を及ぼした人物にユダヤ人が多いことも頷けます。

では現代の日本ではどうか?

もう、島国で鎖国して他国との競争や影響を排除して生き延びるなんて夢物語にすがらないほうがいいでしょう。国際的な競争に我々日本人は勝ち残らなくっちゃならない。そうなるとあらゆる分野で才能に秀でた人を見つけていく必要がある。かといって身分を固定しても血筋が才能や人格を生み出すわけじゃないことを歴史は語っているわけです。特に三角関数が使われるのは技術の分野で、ここに欠陥が生じると経済と国防に深刻な影響を及ぼして国力を低下させます。そうならないためにあらゆる階層から三角関数を使う職種に秀でた人物を見出せるように、なるべく広い階層に三角関数の教育を受ける機会を持たせる必要があるわけです。

でも自分は社会人だけど三角関数分からないもんw

って言われる方へ。それでいいんです。自分がその手の職種じゃなかったってことで、三角関数が分かった人がその手の事を必要とする職種に就いて、自分はその文明の恩恵を享受するってことでいいんです。生まれた人間のゲノムを見極めて三角関数の教育を受けさせる階層とそうでない階層を仕分ける技術でもない限り、その手の教育を受けてみる。でも結局分からなかった。だから他の人はともかく自分はその手の事を必要としない職種に就く、何も問題ないことです。

 

次に個人的な観点から・・・

若い内から自分の才能を限定せずにあらゆる可能性は試したほうがいいでしょう。また、年を取るほど人生の軌道から弾かれたときの復帰は難しくなります。今まで一生懸命誠実に黙々と生きてきたんだ!と言ってもきれいごと抜きで結局何かを任せよう、結婚、再就職や転職とか言うときに学歴・資格・職歴などで人間の価値は測られてしまいます。そのこと自体が正しい事とは思えませんが、現実の社会がそのようになっていることを踏まえて人生の備えを準備しておいた方がいいってものです。

例えば私なんかは電気関係の職種にあるわけですが、電気系の資格でもそれなりのものが欲しければ三角関数の知識が必要になってくるわけです。若い内なら頭も柔軟で相した知識も入ってくるわけですが、年を取ると学びも鈍るわけで、そうなってから吠え面かいても後の祭りで食っていける保証を得たいなら、能力のカードを出来るだけ多く持っておくことに越したことはありません。

 

ってことで、学校に通っているなら学校の勉強を真面目にしておくことは社会からの要請でもあり、個人レベルの人生の備えにもなってるってことなわけです。学校に行ってる時に「こんなもん何の役に立つねんw」って思いたくなるのは分かるんですが、真面目に勉強しておかないとここでアホなブログ書いてるおっさんのようになってから「若い時にもっと勉強しておけばよかった!」ってほざいてもどうにもなりませんよwってことです。

でも、それ以上に足ることを知って、美味しいカレー作りと魚釣りと気持ちのいい睡眠を追いかけつつ、妻と毎日他愛もない話や下品な話をしながらケタケタ笑って暮らす生き方もそれはそれで乙なものですけどねw

失ったものを嘆くより、目の前の楽しみを拾う人生の方が健全ってもので、若い時の怠惰が祟っていてもそれなりに愉快に人生を過ごす余地はどこかに残されているものです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする