明日は明日の風が吹く

明日の事を今日悩んだって何にも解決しない
まぁ何とかなるさ!

教育者が言ってはならないセリフ

2014-10-26 22:32:08 | 日記
相手が理解しようと努力していて、

理解できないことに本人が苦しんでいるのに

「どうしてそんなことも分からないのか?」

と言ってはならない。

分かるように教えられないということは、本当は自分が表面的な理解しかできていないか

そうでなければ、分かるように教えられないことこそ恥じるべきじゃないでしょうか?

物分りや学習のペースが人によって違うのは当然であり、

今分からなくても後で教えれば分かるかもしれないし、

違う人が教えればわかるのかもしれない。。

授業について行かせる努力は必要だが、

ついていけなくなった者を完全に見捨てるべきではない。

ちなみに私は学生時代はなんとか教える側のペースについて行こうとしたが、

社会人になってから資格試験の勉強をするときは計画なんぞ立てずに自分の理解の度合いに合わせてゆっくりでも立ち止まることはあっても引き下がることはないようにしてきた。
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人が違えば理解度が違う

2014-10-26 11:56:55 | 日記
公文のCM見てて思った。

昔は公文ってたしか「算数教室」だったような・・・

そして、私は公文に通ってたわけではないが、そういえばいつ私は引き算のケタの繰り下がりを理解したんだろう・・・

思えば小学校低学年時代は私が教室の算数を教える基準だった。
私が理解できるように教えることが出来れば教室の皆はすでに分かってたように思う。

が、そのためにもっと伸びる可能性のある同級生の足をどれだけ引っ張ってきたのだろうか・・・

そうした点で見れば公文式って個々人の理解度に合わせた進行、反復学習、理解できるまで次に進ませないなど、算数の教材にはうってつけと言えよう。

今思えばみんなの足を引っ張りまくった私にさじを投げることなく算数を粘り強く教え続けてくれた小学校低学年時代の教師の方々には感謝することしきりである。

やがて引き算を習得した後、掛け算・割り算と進んでいった。



そして年月がたち、先生がさじを投げないでいてくれたおかげで、今は四則演算に少し毛が生えた程度の難しい算数もある程度は扱えるようになった。

が、嫌になったら計算を投げ出したくなるクセはそう簡単に治らないようだw



繰り下がりの引き算より、だいぶ難しくなった計算をしていたが、嫌になって横になったら気づいたら朝だった。

ちなみにこれは、一日の負荷に特徴のある時にトランスを3台と4台どちらがお得かその境目は?って問題だ。

でも、繰り下がりの引き算に躓いていたあの頃を思えば、そんな計算をしてみようという気になっただけでも我ながら大したもんだww
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