正直私は杉田水脈に嫌悪感を持っている。
思想云々じゃない。
威勢のいいことを言うだけ言っておいて、発言の責任を問われると姑息に逃げ回る。
これは私自身も持つ人間特有の醜さと言っていい。
それを隠しもしなければ自らを省みることもしない。自分の心の中にある人間特有の醜さを映す鏡のような存在だから杉田水脈に嫌悪感を抱くのであろう。
だけど、
「こんな壊れた人間を国会議員にしておいていいわけが…」 自民・杉田議員の差別主義に戦史研究家が怒り!
なんて記事が出てるけど、差別をする人って相手への憎悪や見下したい感情が行動に出るってことですよね。この記事書いてる人って杉田水脈への憎悪に任せて完全に杉田水脈を見下して書いていますよね。
相手が叩かれている奴だから何を述べてもいい、相手は悪い奴だから何をしてもいいって考え方は醜さはともかく危険さは杉田水脈の上を行くんじゃないですか?