使ってたシャープペンシルが壊れた。
シャーペン壊れたぐらいで何をwといわれるかもしれないが、結構長く愛用してきた。
ラバーの部分のフィット感が良かった。このシャーペンを買ってしばらくして会社から電験を受けてくれないかと話があった。まぁ仕事から帰ってきてなお机に向かって口をへの字に曲げて勉強するってのは決して気持ちのいいものじゃない。ノートを書きつぶして計算するのもこのシャーペンであった。
電験3種を受けに行くときもこのシャーペンを持って行った。朝も寝ぼけ眼の理論から夕方へろへろの法規までマークシートをこのシャーペンで塗りつぶした。
電験2種もこのシャーペンで受けた。3種が京都のみやこめっせに対し、2種の一次試験は大阪でも岸和田に近いところだったので真っ暗闇の始発電車に乗ってこれまた理論から法規まで帰ってきたときはもう魂が抜けそうだったw
記述もこのシャーペンでへったくそな字で書いた。私が勉強不足か単にアホだったのかは知るところではないが見事に弾かれた。そして記述の2回目で振り出しへ強制送還ww
電験2種も4年目はほとんど勉強していなかった。もちろん合格を確信してたわけじゃない。メンタル崩して仕事も勉強も何もうまくいかなかった。気力が湧いてこなかった。試験だけは受け続けることで何とか気力を保とうとした。
5年目にようやく立ち直ってマークを塗りつぶして記述に進んだもののそれまでの不勉強がたたって当然弾かれる。
6年目、受け続けるってことで妻にも迷惑をかけているのでこれを最後にしようと思った。記述を受けて手ごたえを感じたものの5回も落とされ続けると受かる気がしなかったw。手ごたえは感じたことを妻に伝えて、それでも約束通りこれでだめなら撤退することを述べたとき「手ごたえを感じたんだったら続けてみたら」と言われたときは涙が出そうになった。なんだかんだ仕事から帰ってきて口をへの字に曲げて勉強していることに文句を言っていても応援してくれてたんだ・・・
撤退を決めようかってときに電験2種に受かった。免状は相変わらずしょっぼい文面で3が2に替わっただけでもこの時の感激は忘れられない。
次にエネ管を受けようとしたがコロナ禍で伝染されたらたまらんwってことで受験を見送った。まぁいい口実が出来たってことで怠け続けたら今年はさすがに「いい加減に受けに行ったら?w」ってことになってくる。一夜漬けならぬ一週間漬けで受けに行く。このときシャーペンの調子が少し悪かった。
そして私がエネ管に合格するのを見届けるようにシャーペンは壊れた。
たかがシャーペン買い替えれば済む話。
しかし、このシャーペンは私が行った努力や苦労、試験に滑り続けたときの苦悩、苦悩を乗り越えて免状を勝ち取ったときの喜びを一番知っている。