鴨着く島

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「上野原縄文の森」で研修

2024-10-19 11:07:48 | おおすみの風景
10月18日、鹿屋市のリナシティで開かれている市民講座『考古学と郷土史』を受けている講座生ほか12名で霧島市国分の上野原縄文の森を訪れ、講師の前の縄文の森園長であった堂込さんに、施設案内と研修を兼ねて指導していただいた。

この10月からリニューアルオープンしたばかりである。

そのリニューアルの目玉は「上野原に居住していた人々の年代が、かねてより1100年早まった」というものだ。

上野原縄文の森は、上野原遺跡の発掘によって南九州の早期縄文時代の様相が明らかになり、また住居跡の調査研究により開園当時は「9500年前の住居跡が継続して見つかり、その数は52軒」という古さも古い上に、軒数も驚くべき数だということでセンセーションを巻き起こした。
このクリアファイルは開園10周年(2012年)に見物した時、購入したと思うのだが、ファイルの上部には白抜きで「9500年前の時間旅行」とタイトルが入っている。

今年は開園22周年だが、10周年の時点では明らかに、上野原縄文人は9500年前の人たち――という認識だったのだが、ここへきて1100年も時代がさかのぼることになり、何と「10600年前の人たち」と1万年を超える太古に生きた人々ということになった。

講師の堂込前園長はリニューアルした展示を中心に解説していただいた。奄美諸島の縄文時代や縄文時代から続く弥生時代の展示の中で、旧大根占町の南部の海岸段丘で蹉跌の採取中に発見された「山ノ口遺跡」のコーナーは注目に値した。
秀麗極まりない「山之口式土器」の中に、なんと取っ手の付いた大型のカップがある。思わずこれでビールを飲んだら・・・と快哉かつ驚きであった。

その下にある二つの軽石製の岩偶も面白い。かつて写真で見たことがあったが想像よりはるかに大きい。何に使われたか不明とされているが、子孫繁栄のシンボルのようだ。
とにかくすごいのが、高さ5mほどもある土器群の展示だ。最も古い向こうからこちらまで96個体あり、年代も13000年前から3000年前の物まで、1万年にわたる縄文土器群が南九州ではほぼ途切れることなく発掘されている。

中でも向こうの柱から3番目と4番目の間に置いてある8000年前の「壺型土器」だが、首の部分から下はまるで人間の肩が張り出したような形で、底部は平底である。

どうしてそんな形に作ったのだろうかと首を傾げ、同時に、よくバラバラにならずに発見されたものだと感心するほかなかった。

土器群を一通り見て回った後、県内最新の発掘調査状況を展示する一室で解説を受けたあと、少し休憩をとり、休憩後は外のフィールドにある住居群を訪れた。

住居跡の床面に桜島由来の黄色味を帯びた火山噴出物(軽石)が見られたことから、その噴出年代は10600年前なので居住年代も以前の9500年前から1100年繰り下げられた。

フィールドの手前には「地層観察館」、奥の方に「住居跡」の床面を展示する施設があり、当時の縄文人(上野原人)が生活していた匂いのような物が感じられた。

これと似たのが福岡県の春日市に「奴国の丘」とかいう施設があったのを思い出したが、あちらは弥生時代、こちらは1万年以上前だから比較のしようがないが・・・。




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