土曜日の午前10時からの放映だったが、NHK福岡放送局が作成した番組で『#てれふく・ゴリけん福岡地名探偵』というのを総合テレビで再放送していた。
この番組は3年前に福岡地方だけに放映されたものらしいが、今度、福岡県糸島市を舞台にした朝のテレビ小説『おむすび』が9月30日の月曜日から始まるというので、ちょうど番組が糸島市の地名を取り上げていたため全国区として再放映されたようだ。
自分としての予見ではあの『魏志倭人伝』に載った「伊都国」の「伊都」と「糸島」の地名の異同についてを取り上げるだろうと、興味津々、というか手ぐすねを引いて観ようとしたのだが、取り上げられたのは、
①福岡市と糸島市の境にある「油山」の意味
②福岡に多い「原」を「ばる」と読む謂れ
③(視聴者からの質問で)八女地方では筑前煮を「おちゅういり」というのはなぜか
④糸島市の「可也山(かやさん)」と海の景勝地「芥屋の大門(けやのおおと)」の「かや」と「けや」は似ているが起源は?
で、ちょっと期待外れだった。
この中に「糸島」の「いと」と「伊都国」の「伊都」とは同じか違うか――については触れられなかったのは残念だったが、「糸=伊都=いと」と読むだけだったのが、筑前風土記や日本書紀の仲哀天皇紀に見えるように、
――糸を今(風土記と書紀の編纂時点で)は「いと」と読んでいるが、これは誤りで本来は「イソ」(伊蘇)と読むのが正しい。糸島の豪族は「五十迹手」(いそとて)で、彼らの祖先は半島の「意呂山」(おろやま)に降臨したあとここ糸島に渡って来た。
とあり、糸島の「糸」は元来「イソ」であり、また豪族「五十迹手(いそとて)」の先祖は半島の南部から渡来したことが、日本の古代文献に書かれている以上、糸島を「伊都国」としてきた従来の<定説>が揺らがざるを得ないことが福岡放送局側で認識されたので、今回の「地名探検」からは除外されたのだろう。
自分のように「伊都国=糸島説」には断固反対の立場にしてみれば、少しはまともな解釈に向かいつつあるのではと歓迎しておきたい。
さて、糸島地方の古代の豪族「五十迹手(いそとて)」が言うように、彼らの先祖は半島の「意呂山」に降臨したとあり、その後、九州に渡って来たようだが、その時の半島からの出航地は「伽耶地方」であった。この伽耶は今日の地名では金海であり、魏志倭人伝時代は「狗邪韓国」という倭人の一国家であった。
このことを裏付けるのが、①~④の最後の④である。番組では④をめぐって地元の考古学者か郷土史家かのどちらかは明確ではなかったが、専門家が登場して番組のキャスターゴリけんと女性アナに説明していた。
この④ではまず「芥屋の大門(けやのおおと)」に船で近づく様子が放映された。
この珍しい地名「けやのおおと」のうち、後半の「おおと」は「大門」と書き、かつて海底が噴火したあとに流れ出た溶岩がすぐに冷え固まってできた「柱状節理」の地形で、確かに奇岩であり、荒々しいが三角形をした巨大な門のように見える。
そして糸島市の富士とも言える「可也山」(かやさん)の秀麗な姿が映し出され、女性アナが「けやとかやとは似ていますよね」と言うと、件の専門家はどちらも半島南部にあった「伽耶(かや)」を起源とする説を紹介していた。
番組では直接は紹介されなかったが、筑前風土記と仲哀天皇紀からすれば可也山の「可也」と「伽耶」とは結び付かないと考えるほうが無理だろう。
芥屋の大門の「けや」も「かや」の転訛のうちに入ると考えて差し支えあるまい。半島の伽耶地方と糸島との間を往来する航路の入り口であり出口を象徴する岩礁なので、「伽耶航路の大門」との名付けが転訛し定着したものだろう。
秀麗な山容の可也山も俗にいう「船通し山」、つまりはるか海上から陸地の存在と方向を教えてくれる「目当ての山」だったのだ。この名付も半島の伽耶地方と糸島の結び付きを今に伝える名称だ。
半島南部の九州への出航地「狗邪韓国=伽耶」から糸島地方への航路は直接ここに来ていたことを象徴する「けやの大門」であり「かや山」である。
もし魏志倭人伝における「伊都国」がこの糸島市なら、何もわざわざ唐津市の「末盧国」に船を着け、そこから海岸段丘沿いの荒々しい陸路をとってこの糸島まで来る必要はなく、壱岐の島から直行すればよいだけの話である。
「伊都国=糸島説」が成り立たないことは明らかではないか。
(※巷のほとんどの邪馬台国論者は相変わらず「伊都国=糸島説」を標榜して議論を進めているので、距離と方角の「行程論」では完全に矛盾撞着という袋小路に入っており、畿内説も九州説も混迷を深めるばかりである。)
――因みに、残りの①、②、③の説を取り上げておく。
①の「油山」の「油」は「椿油」のこと。この山中に多かった椿の実を初めてしぼって油にした「清賀上人」の事績であった。
②の福岡県では「原(はら)」を「ばる」と読むのはなぜか。これは福岡だけではなく鹿児島でもほぼ「ばる」だ。あるいは「ばい」と読むこともある。
地名学者の説では「墾田」の「懇」つまり「はる」(開墾する)から来たのだろうとするが、「墾(は)る」からなら全国で使われそうだが、実際にはほぼ使われておらず、「ばる」が「墾(は)る」からの転訛とすることは無理だろう。
実はこれも朝鮮半島由来説があり、専門家によれば中期朝鮮語に「パル」があり、これは「原」の意味だという。また「ポル」もあり、こちらは「平野」の意味だそうだ。
となると「ばる」は朝鮮語が起源かというと、専門家の調査にあるように朝鮮語の中でも「中期朝鮮語」であり、「古朝鮮語」ではないことに注意しなければならない。
私見では「原」(はら)は古日本語(倭語)であり、「ばる」「ばい」はその九州における転訛に過ぎないと考えている。
③の八女市で使われる「おちゅういり」だが、筑前煮のように「煮しめ」ないで、汁(つゆ)をたっぷりではなく半分程度残しておいた「お煮〆」のことらしい。