今上陛下は来年4月30日に退位されることが決まり、今回の12月23日が最後の誕生日会見となった。
記者会見という形式はいつもの通りだが、今度の陛下のお答えは「お言葉」に該当すると思う。
その中で陛下は常に念頭に置かれていることとして、「望ましい象徴天皇の在り方」「戦争の惨禍と戦後の復興」「戦禍や災害による犠牲者への哀悼」を挙げられた。
以上は平常の会見や「お言葉」に表れていることだが、今回特に次の個所に感銘を受けた。
それは「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」というところである。
なるほど、そうだったな――と深く顧みることだった。
明治維新後に「一世一代」が定められて、明治・大正・昭和そして平成の4代、それぞれに天皇がおられたわけだが、明治時代は、内戦である「西南の役」、初の海外出兵をした「日清戦争」、初の西洋列強との対決である「日露戦争」があった。
大正時代は国同士の軍事衝突はなかったが、隣国清王朝が倒れて中華民国が成立する動乱の加担をして大陸への出兵があり、第一次世界大戦が起こると日英同盟を結んでいることから山東のドイツ権益をめぐっての軍事衝突、そして何よりもロシアのロマノフ王朝が滅亡してソビエト革命の影響で満州・蒙古・シベリアなどに派兵したりした。
昭和初期も引き続きソビエト革命による「マルクス・レーニン主儀」の極東での影響拡大が軍事衝突・対立を生み、中国大陸はまさにその争奪戦となって、結局日本はその泥沼に踏み込んでいってしまったのが、日中戦争の始まりであった(この日中戦争で漁夫の利を得たのが中国共産党であり人民解放軍であったが、ここでは追求しない)。
日本は極東における「反共の砦」であったのに、アメリカが日本の中国大陸での権益拡大に待ったをかけ、それまでの「排日土地法」に見られるアメリカ本土での日本人排斥に輪をかける人種差別・経済制裁(世界的に見るとABCD包囲網)を露骨に示したことにより、最終的に日本はアメリカと戦わざるを得なくなった。
このことでアメリカは勝利したのだが、その一方で極東では中国に共産国家が誕生(1949年。翌年イギリスは人民中国を承認するという愚挙に出た)し、ソビエトがヤルタの密約により北方領土を奪取し(ヨーロッパでは東ドイツをはじめとする社会主義国家群が成立し)、戦後の冷戦を引き起こしたのである。
終戦時に陛下は11歳だったそうで、その後18歳で立太子(1951年)、同時に国はサンフランシスコ対日平和条約を受け入れ、日米安全保障条約も締結。日米安保は国連憲章上は暫定的な二国間軍事条約であったが、1960年に改訂されて「相互防衛条約」的側面を持つようになった(トランプがアメリカは日本を救助する義務を持つが、その反対がないのはけしからんと喚いている危険な点だ)。
ともあれ、日本は昭和20年(1945年)から昭和63年までと、平成30年の今日に到るまでの73年間、一度も海外に戦争しに派兵をしたことのない平和国家のままである。
陛下のお気持ちはこのまま平和国家を貫いてほしいということ、つまり言外に「永世中立国家」を目指してほしいとほのめかされていると思う。
臣・安倍晋三氏よ、くれぐれも狂騒トランプの番犬になることなかれ。
隣国の軍事的脅威に対応するのは当然だが、あくまでも国民同士の友好中立を忘れるなかれ。
軍事より、足元の巨大な災害に備えるのが先決だろう。