鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

能登地方で今度は大水害が発生

2024-09-25 16:37:58 | 災害
石川県の奥能登地方を線状降水帯が襲った。

先週の土曜日(21日)の朝、NHKテレビを見ていると画面の左側に能登地方の大雨警報が掲示された。

線状降水帯の発生を予兆するものだった。

雨の降り方は想像を絶するものだったらしい。

不幸にもその日の午前中に家が流され行方不明になった女子中学生と両親の間で交わされたスマホのラインが、事の重大さを伝えていた。

公表されたラインのやり取りと両親の話によると、その日は父親が息子の試合に早朝に家を出ており、また母親も娘の付き添いでやはり早い時間に家を出ていたそうで、結局5人家族のうち末の娘だけが家に残っていた。

ところが9時くらいになって警報が発令され、心配になった両親は家にライン電話を入れた。

土曜が休みなので女の子はまだ二階の寝室に横になっていたらしく、電話に促され、また雨音の強さもあって外を見ると家の外が海のようになっているのに気付いた。

やがて二階の寝室のドアか一階の玄関のドアかは分からないが、「ドアが開かない」とラインで送って来た。

慌てた両親はとにかく高いところに上がるように言ったらしいが、1時間後にはラインへの返事がなくなったらしい。

父親は何としても家までたどり着かなければと回り道をしてやっと帰宅できたのだが、着いて見ると家は土台の部分だけを残して跡形もなく流されていた。

末娘の姿はもうそこにはなかった。

3日後の昨日、普段はいていた娘の靴の片方だけは見つかったそうだが、いまだに本人の姿は確認できていない。

その日の早朝の時点では両親が他の子どもたちのイベントに付き添って出かけることができる天候だった。

しかしわずか2時間後には家の周辺に水が押し寄せ始めるほどの豪雨となり、さらにまた1時間後には家そのものが持っていかれるほどの洪水が発生したことになる。

この日はまた大相撲で石川県出身の大の里が大関豊昇龍を破り、13勝1敗となって優勝を決めた日であった(これでほぼ大関昇進が決まった。入幕後5場所での大関昇進は史上最速とか)。

同じ石川県なので何か因縁めいた感じがしないでもないが、優勝インタビューで「大地震に見舞われた能登の人たちを元気づけられたらうれしい」ということを語ったのだが、さらなる大水害に遭ってしまった人たちには空しく聞こえただろう。

元旦の大地震といい、今度の大水害といい、1年のうちに2度も大きな災害に遭わなければならなかった能登の人たちの心が折れないと良いが、何としても頑張ってほしいと思う。

(※25日付、奥能登大水害による死者は9名、行方不明は2名。家屋等への被害はまだ集計されていない。)




ダイコンは残った

2024-09-02 09:12:28 | 災害
台風10号が襲来する直前に畝を立ててダイコンの種を蒔いておいた。

台風前は連日の猛暑日が続き、雨も降らないので畑土はカラカラに乾燥しており、種を蒔いても水分不足で発芽はしないとあきらめていた。(※夕方のニュースで8月1日から25日までの鹿児島県の降水量はわずか29ミリと報道された。)

だが幸い(?)にも大雨をもたらす台風がやってくるのを利用しない手はあるまいと、襲来の3日前の25日頃に蒔いておいたのだ。

極端な大雨だと畝自体が流されてしまうので、一か八かだったが、何とか発芽して強風にも持ちこたえた。
畝に置いてある2本の棒は通称「イボ竹」という。本来は土に打ち込んで使う農業用資材だが、これは我が家の飼い猫モモの用足し場として荒らされないように、種を筋蒔きした部分を平行に挟み込むように置いたものだ。

ところがどっこい、モモのやつはイボ竹の間に手を入れて、用を足した後のかぶせ土をちょいちょいと巧みに掻き取っていた。

うーむ、ここまでやるとは、あの○○猫め――といつもの怒りが涌くのだが、畝から落とされた土からも芽が出ているのを見ると、何とかしてやらねばと次なる対策に着手した。

その対策とは、畝全体に10センチ角のツル用ネットをかぶせることだ。これならさすがの○○猫も、手も足も出まい。

丸一日経つが今のところ無事である。今朝は本葉が出る前の幼葉を、間引きを兼ねて15本ほど抜き取り、みそ汁のねぎの代用とした。


台風10号はようやく昨日、熱帯性低気圧に変わったが、その場所が和歌山県沖の太平洋の中だった。その間日本各地で思いもよらない豪雨をもたらし続けた。

九州の熊本に上陸してから大分へ横断してもなお勢力を維持したままで、今度は四国から太平洋へ抜けるという進路からして異例の台風だった。

普通なら陸上に上がった時点で勢力を急激に落とし、スピードを早めて低気圧になるのだが、今朝のモーニングショーで気象予報士の石原良純が指摘していたように、今後はこんな動きのつかめない台風が常態化するのだろう。

以前から気になっていたのだが、日本に大きな被害をもたらす台風のナンバー(台風○○号の○○)は決まって奇数だったのだが、今回のは偶数の10号だった。

伊勢湾台風は15号。自分が経験した最も気圧の低かったのが1993年の台風13号。6年前だったか関東地方を襲ったのが台風19号。10号以下でも7号とか9号が多い。

単なる偶然だとは思うが、確率論的にはかなり「有意」ではないだろうか。もし次にやってくるのが奇数号だったら、10号を超える巨大台風になるかもしれない。

備えあれども憂いあり――レベルではないことを・・・。

台風10号の爪痕(続編)

2024-08-30 11:33:12 | 災害
昨日の3時頃、雨風が大分収まったので、倒れた貝塚伊吹を起こしにかかった。

その前に貝塚伊吹らしい葉の生えていた幹という幹を大小となくカットし、全体的には半分以下に切り詰めておいた。

叢生している中でも主幹と思しきやや太めの幹にトラロープを掛け、さらに2m離れたキンモクセイの大木にもロープを回し、その間にホイストロープという一種のカシメ機を使い、横倒しだった貝塚伊吹をほぼ垂直になるように戻した。
オレンジ色のロープが滑車の3掛けと2掛けに分散されているので、動滑車の原理で引っ張る力は六分の一で済むから、手の力でも何とか垂直になるまで起こすことができた。

ここまでで大分疲れて来たので、とりあえず右手のキンモクセイの幹に縛り付けておいた。時折り風とともに雨が降るし、翌日回しとする。

翌日、つまり今日は朝方から小雨が降っており、朝食後も台風の吹き返しのような雨交じりの風が吹くので様子を見ていたが、9時頃にはそれも収まったので、昨日の続きの作業を開始した。

オレンジ色のホイストロープを外し、補助用の寅ロープもすべて撤収し、その代わりに別の9ミリロープを仕掛ける。
根上りを抑える応急措置だが、貝塚伊吹独特の葉が映え揃うまではこのままにしておく。

丈夫な支柱も立てなければなるまい。

今年、これ以上の台風が来ないことを願う。

台風10号の爪痕(2024.08.29)

2024-08-29 15:09:02 | 災害
今日の午後3時現在、爪痕というのは大袈裟だが、我が家では庭木の一部が折れたり、倒れたりしている。

最初に倒れたのは玄関近くの貝塚伊吹というヒノキ科の庭木だ。
これは昨夜の早いうちに倒れたようだ。

高さ2m、葉の繁り具合の直径も2メートルくらいで、雨を多量に含んだせいで重心が上に行き、強い東風に倒されたようだ。

10年余り前に、高さ1mにも満たず、繁り幅はもっと小さかったののを植えたのだったが、図体の大きくなるままに選定をしていなかったのが原因だろうか。反省している。

根が完全にむき出しにならぬうちに植え直してやれば、生きていくと思う。

その一方で、庭の入り口に植えてあった槙(当地ではヒトツバと呼ぶ)の木は根元から50センチほどの所でぽっきり折れた。
高さ約3m、幹の直径は15、6㎝でこちらは15年は経っていた。よく見ると大きなカマキリが下向きに付いている。何を狙っているのか。

最近、オビダマジャクシとかいう槙(ヒトツバ)に好んで卵を産みつける台湾から移入して来たという蛾の仲間によって弱って来ていたのが、今度の台風の吹き返しの西風で止めを刺された塩梅である。

台風10号は午前10時時過ぎに薩摩半島西部の薩摩川内市の海岸部に上陸したらしいが、5時間後の現在では鹿児島県の内陸には進路をとっておらず、そのまま海岸沿いに北上しているという。

気圧は965ヘクトパスカルと上陸前の935ヘクトパスカルよりかなり小さくなったが、瞬間最大で40mは吹くというから油断はできない。

この頃の台風の特徴として、暴風圏内からは遠く離れた地域にも多量の雨を降らす線状降水帯の発生をもたらすことだ。東北岩手や、北海道でも時間雨量80ミリとか90ミリとかが記録された。

天災大国(災害列島)日本がさらにパワーアップした形だが、地球温暖化によって日本列島が亜熱帯化しつつあることを証明している。

鹿児島県に暴風・波浪・高波の特別警報が発令

2024-08-28 13:13:22 | 災害
台風10号は現在奄美大島の北100キロくらいに進んだが、動きは極めて遅く、今日の夜に鹿児島県本土が暴風域に入るようだ。

先ほど午後1時に気象庁から鹿児島県域に「暴風・波浪・高波特別警報」が出された。これで土砂災害の危険地区ではすみやかな避難所への避難が義務化される。

今夕から暴風域に入る予報だが、台風の中心気圧は935ヘクトパスカル、中心から90キロは瞬間最大70m毎秒の暴風が吹くという予想だ。

瞬間最大70mというのは走行中の車をひっくり返す力があり、トラックでは特に荷台の側面の大きい車ほど危険にさらされる。

今度の台風10号の最低気圧は935ヘクトパスカルだそうだが、実は平成5年(1993年)の9月3日に鹿児島県に上陸した台風13号は上陸直前の気圧が920ミリバールを下回っていた。(※ミリバールは現在ヘクトパスカルで表される。)

その日の昼過ぎに薩摩半島の枕崎から頴娃町(現在の南九州市)にかけての海岸に上陸したあと、薩摩半島を東方向に斜めに横断し、そのあと錦江湾を渡って大隅半島に再上陸し、大隅に大きな被害をもたらした。

後日談だが、当時住んでいた肝属郡田代町の庁舎の屋上に設置されていた風速計は秒速68キロを示したあとは吹き飛ばされてしまったという。

当時借りていた借家の雨戸の戸袋が突然落ちて家の内部に強風が吹き込み、家族4人で隣りの家に避難したが、そこも暴風のために玄関が破られ、這う這うの態で200メートルほど離れた小学校に逃れた。

だがおそらく台風の目が通り過ぎたあとの吹き返しによるものと思われるのだが、小学校の体育館の屋根の一部がめくれ上がり、そこに避難していた多数の住民が校舎の中を移動して職員室前の廊下に集まって来た。

しかし幸いなことに台風の進行が早く、1時間かそこらのうちには過ぎ去って行ったので、大きな被害は免れた。典型的な「風台風」だった。

我々家族は借家に帰ったとて暴雨が吹き抜けたため夜寝るには危険ということで、学校の廊下で一晩を明かしたのだった。

翌日帰ってから見たら家自体の内部はさほどではなかった。しかし屋根瓦の一部が吹き飛んでいたのと、木造の10坪ほどの倉庫がぺしゃんこになっていたのには驚いた。

家族4人、命には別状なく、怪我もなかったのが幸いだった。

ただ停電が1週間続き、電話に至っては2週間も不通だったのには大いに不便を感じた。

どの家も屋根瓦が飛ばされる被害に遭っていて、高いところから眺めると屋根がブルーシートに覆われており「まるで難民キャンプのようだな」と思ったことを思い出す。

もう一つ思い出すのが、この年(1993年)の鹿児島県では梅雨明けがせずに長雨が続き、8月1日の水害と8月6日の水害で甚大な被害を出しており、7月に当地に引っ越す前にたしか義援金の3千円を銀行か郵便局に振り込んでおいたのだが、9月3日の風水害の被災者ということで、町(県?)から同じ3千円を頂いたことだ。

災害義援金を出すことはあっても貰うのは初めてで、「なるほど災害の多いところに来たのだな」というのがその時の感想だった。

それから30年、義援金を貰うような大きな被害に遭ったことはないが、毎年のようにやって来る台風には泣かされることが多かった。

今度の台風が「義援金の対象になるようなクラス」のものでないことを祈るばかりだ。