昨日の大相撲九州場所千秋楽で、大関の霧島が2回目の優勝を果たした。
関脇「霧馬山」だったが、大関になった際に師匠の陸奥(みちのく)親方から、親方が現役時代の大関の時に名乗っていたしこ名の「霧島」を贈られてからは初の優勝だ。
これで師匠への恩返しになった。だが、師匠がなし得なかった横綱への昇進が残っている。これが本人はもとより、陸奥親方と陸奥部屋全体の悲願でもある。
男前で筋骨隆々、和製ヘラクレスと言われたのが陸奥親方(元霧島)だった。たしか賜杯は1度だけ手にはしたが、最高位への昇進はならずに引退しているから、師匠としても部屋としても横綱を出したい思いはとても強いはずだ。
今の大相撲は一人横綱で、その頼みの綱の照ノ富士が2場所連続で休場しており、横綱不在の解消は多くの大相撲ファンの願いでもある。
ところで今場所の優勝力士霧島(元霧馬山)はモンゴル出身だ。今朝の新聞によると、この優勝はモンゴル人力士による優勝としては100回目だ。
2002年の九州場所でモンゴル出身の朝青龍が初めて賜杯を手にしてから、今度の優勝までちょうど21年経過しており、その間のモンゴル人力士による優勝者の割合は、何と驚くなかれ、80%という超高率だそうである。
つまり5場所のうち4場所がモンゴル人力士の優勝ということになる。大リーガーで日本人唯一の2年連続MVPを獲得した大谷選手も真っ青だ。
これほど歴史と伝統のあるスポーツで、継続的に外国人にトップの大部分を奪われ続けている「国技」もそうざらにはあるまい。
北欧の国技とも言われているスキーのジャンプで日本人の高梨沙羅選手は優勝60回という驚異的な記録を持っているが、これとてあくまでも一個人による継続的なトップに過ぎず、日本人選手だけに偏った好記録というわけではない。
大相撲は独特の親方(部屋)制度があり、力士の育成や稽古でも部屋独自の運営がなされているから、この意味では世界でも稀な組織体制である。しかもモンゴル人力士はモンゴル部屋というのがあるわけではなく、各部屋に属しながら稽古に励んでいる。
各部屋横断的にモンゴル人力士は優勝を重ねているのだが、結局モンゴル人力士の相撲部屋という組織への順応性と稽古熱心と勝負への熱意が多くの優勝者を生む要因だろう。
モンゴル人力士の金星インタビューや優勝インタビューを聞いていると、この人たちの話す日本語が極めて日本人に近いのに驚くことがある。
おおむね標準語をしゃべるが、単語の発音にしろイントネーションにしろ我々のとほぼ変わらない。余り耳にすることはないが、中国人力士の発音やイントネーションは、顔立ちが日本人並みであるのでかえって目立つ(耳障りになる)。
西欧系の力士も、単語そのものの発音は良いのだが、やはりイントネーションでどこかひっかかることが多い。
そこへ行くとモンゴル出身力士のしゃべりは流暢の一言に尽きる。相撲放送の解説者として呼ばれることの多い元横綱の鶴竜などはピカ一だろう。
現在の大相撲の起源は平安時代初期に確定した宮中相撲で、宮中相撲自体の起源は九州南部から天武天皇時代に上京した日向隼人(大隅隼人)の奉納相撲であることが文献上で解っているが、ではその先はとなると、今のところ高句麗時代の半島壁画に描かれた相撲(格闘技)だろうか。5世紀頃とされている。
朝鮮半島から北へ伝えられると「モンゴル相撲」になり、南へ伝えられると「隼人相撲」になったのだろうか。
それとも逆に隼人相撲が半島へ渡ったのか。もしくはモンゴル相撲が半島北部に伝わったのか。
今度優勝した霧島の風貌を見ていると、何となく彼には南九州か沖縄の血が流れているような気がするのだが、有り得ないことか。
相撲を通してモンゴルと半島と九州のつながりを考えてみるのも面白いかもしれない。