鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

投谷八幡宮の焼失

2022-06-29 15:34:09 | おおすみの風景
6月25日の未明のことだったという。

曽於市大隅町にある「投谷(なげたに)八幡宮」で火災が発生し、拝殿・本殿が全焼してしまった。

投谷八幡宮は旧恒吉郷の旧郷社であり、実に和銅元年(708年)に創建されたという由緒を持つ神社だ(出典『三国名勝図会』)。

世に珍しい配置の建造物で、表通りに立つ鳥居から始まる参道は下り坂であり、かなりの距離を歩いた低地の平坦部に建立されている。


この写真は曽於市観光協会発行の『幸運の財大吉神社巡り』という小冊子からの転写である。石の鳥居の向こうの朱色の拝殿とその奥の本殿、それに摂社の四所宮などが焼けたという。

もう10年くらい前になると思うが、大隅地区の名所旧跡や川筋を歩いていたころに一度参拝している。

この写真は明るく撮れているが、自分が参拝した時は夕方近かったせいもあるかもしれない、薄暗さが印象に残っている。

珍しい神社という印象のまま、その後は訪ねたことはなかったが、惜しいことであった。

上述の曽於市観光協会発行の小冊子の説明によると、この神社は大隅国一宮である鹿児島神宮の「別宮」ということである。

別宮というのは鹿児島神宮の旧領(御神領)に建立された神社であり、鹿児島神宮の身代り的な神社ということで、東では鹿児島市内の荒田、南では垂水市内、北では栗野町など鹿児島神宮の東西南北にまたがる範囲にそれぞれ営まれた。この投谷八幡は東の境界ということらしい。

いずれにしても旧国時代以来の由緒を持つ神社で、県指定の文化財などもいくつか所有しているという。無事であれば良いが。

再建には神社建築の分野のいわゆる「宮大工」のような人たちの手が必要になるが、まずは資金だろう。

氏子はもとより、崇敬者の寄付を仰ぐことになる。

知人の別の神社の宮司さんに聞いた話では、火災保険に入っていればよいが、ということだったが、どうなることか。

コロナ禍のご時勢、海外旅行を取りやめたため懐具合の良い人も多かろう。あてにできないものか・・・。

史上最短の梅雨明け!(2022.06.27)

2022-06-27 21:07:32 | おおすみの風景
何と今日、鹿児島気象台は梅雨明けを発表した。

11日に梅雨入り宣言があり、それからわずか16日間の梅雨だったことになる。

梅雨の最終日が昨日の26日であり、今日が梅雨明けということで、梅雨の期間の長さ16日間は、これまで最も短かった21日間を抜いて、最も短い梅雨となった。

また、梅雨が明ける早さでは、1966年が6月24日を記録しており、それに次ぐ早い梅雨明けだという。

南九州が梅雨に入った11日よりも5日も早く関東甲信越が梅雨入りするという変則の年だったが、関東地方も今日梅雨が明けたそうで、そうなると向こうは記録上最も早い梅雨明けになるだろう。

ただ一昨日は関東地方の群馬県伊勢崎市が快晴で最高気温40.2℃を記録しており、今日も同じ群馬県の佐野市で39.8℃、館林市で39.1℃であったから、実質的には一昨日が梅雨明けだったに違いない。伊勢崎市の40.2℃は6月の史上最高気温だそうだ。

早くも暑い夏の猛暑日の到来を告げているわけで、8月下旬までの猛暑日がいったい何日になるのか先が思いやられる。


今朝ウメを散歩に連れて行く時点では、深い朝霧に包まれていたが、8時頃にはすっかり晴れ上がった。その矢先の梅雨明け宣言には少し驚いたが、今週末までは晴が続くようだから、たしかに梅雨への逆戻りはなさそうだ。



合歓の木が花を付けたまま梅雨が明けるのは珍しい。例年7月の10日以降の梅雨明け頃には花は大方散っているのだが、今年は青空に映える合歓の花がしばらくは見られそうだ。

去年7月の球磨川水害も鹿屋市の水害も、どちらもいわゆる「梅雨末期の豪雨」によるものだったが、今年はあっけらかんと梅雨が明けてしまったので、もうその心配はないだろう。

といってすぐには安心できない。というのは今度は台風の早期発生という心配が浮上して来るからだ。

今のところ南太平洋に台風の卵は見えていないが、7月以降には活発化するのではないかと思う。

それともう一つ心配なのが地震だ。福島、能登、熊本と、このところ立て続けに震度5以上の地震が起きている。

海外ではアフガニスタンで直下型地震らしいのが起き、マグニチュードは5.7という日本では中規模のレベルなのだが、震源の浅い直下型であるがゆえに真上の町では揺れが大きく、レンガ造りの建物が軒並みに倒壊している。死者は1000人を超えるというから大惨事だ。

「天災は忘れた頃にやって来る」というのは過去の話で、今は「忘れぬうちに次々にやって来る」時代であることを肝に銘じなければならない。

ウクライナと台湾

2022-06-26 15:06:07 | 専守防衛力を有する永世中立国
今日の午後視聴した「そこまで言って委員会」では五つの論点について参加者8人の意見を求めていたが、最後の質問は「日本国憲法改正は是か否か」であった。

参加者8人の意見は真っ二つに分かれ、賛成が4人、反対が4人。

改正の焦点はもちろん9条の改正で、反対派の論旨はほぼ「平和憲法は絶対変えてはいけない」というスタンスで、9条の言うように「交戦権は認められず(第一項)、そのための戦力は持たない(第二項)」つまり「戦争の放棄」を変えてはいけない、というものである。

現在の日本には「自衛隊」があるが、かつての9条遵守派は「自衛隊は戦力であり、憲法違反だ」と言ってはばからなかった。

しかし憲法9条が規定した「交戦権」の内容は、「国家間の戦争」(対外戦争)は放棄するということであり、国内の戦争(内戦)に対処する交戦権は否定されていない。そのためGHQは国内の争乱を取り締まるために「保安隊」を認め、やがて「警察予備隊」が発足し、それが今日の自衛隊(1954年創設)に繋がっている。

現実に戦後の日本で内乱が発生したことはないのだが、当時のGHQが恐れたのは共産党を筆頭にした勢力による日本国内の争乱であった。それを取り締まるための警察予備隊であり、その後の自衛隊創設であった(アメリカではかつてよく「州兵」が出動して「暴動」を取り締まっていた。それと同じである)。

したがって自衛隊の存在は「対外戦争」のためではなく、国内の争乱を鎮定するというのがそもそもの目的であった。憲法9条は第一項で「対外戦争」を否定している。つまり対外交戦権の放棄であり、それは自衛隊という造語の通りである。

また、およそ独立国である限り個別的自衛権は持っており、国土を守るための自衛戦力は否定されない。

これは9条第二項に抵触しているように見えるが、第二項は、対外戦争のための戦力は持たないが、内戦を防止し予防するための戦力を持つことまでは否定しないと解釈すべきである。

ただし、9条には「自衛隊」もしくは「国土防衛隊」という専守防衛戦力の文言が無いので、書き加えるべきだ。その程度の最小限度の改正は早急に行うべきだろう。


ただ「そこまで言って委員会」の9条改正派の一人が、「ウクライナへのロシア侵攻が現実に起きた。自衛戦力を格上げしてNATOのような集団的安全保障体制を作って攻撃に備えるべきだ」という委員がいたが、集団的安全保障体制の構築を言う前に、「日米安保体制はどうなるの?」という疑問が起きるが、その点どう考えるのか。

また今回のロシアによるウクライナ侵攻の脅威から連想するならば、日本が巻き込まれるという心配より、まずは「台湾問題」だろう。中国政府は国連に加盟した1972年からこの方、ずっと「台湾は中国の一省であるから、必ず統一しなければならない」と言ってきた。

ところがこれはまやかしである。

大陸が清王朝だった時代の明治6(1874)年、琉球の八重山島民が台湾に漂着したが、台湾の原住民であるパイワン族に襲われて54名が命を落とした事件があった。

明治政府は清国に官吏を派遣し善処を求めたが、清国は「台湾は清の王化には属していない」として補償を拒んだので、ついに明治政府は出兵することになった(台湾征討)。(※原住民のパイワン族を征伐したのだが、待ち構えていたのはマラリア等風土病の猛攻であったという。)

その後日清戦争の勝利によって1895年に台湾を日本領に組み入れた。その期間は1945年のポツダム宣言受諾までの60年間であった。台湾統治の間、日本は相当な人員と資本を以て数々の施策に取り組み、台湾の近代化を図っている。

今日でも台湾には親日家が多いが、それは日本のその60年間の統治が台湾に多大な恩恵をもたらしたからである。

その一方、台湾は太平洋戦争終焉後に毛沢東の共産軍に敗れた国民政府が渡ってくるまでは、大陸中国にとっては常に「化外の島」であり、一度たりとも大陸中国の施政権が及んだことはなかった。

したがって中国共産党政府のいう「台湾は本土と一体の国であり、台湾政府の存在は許されない」というのは全くのまやかしである。

この台湾が置かれた状態と一見して似ているのが今度ロシアから攻撃されているウクライナだが、ウクライナの場合、たしかにプーチンの言うように、1000年以上前からウクライナの「キエフ公国」とロシアの「モスコー公国」とは兄弟関係にあった。帝政ロシア時代も両者の関係は続いており、帝政崩壊後のソビエト連邦時代にはソ連邦の重要な一員であった。

1991年にソ連邦が崩壊し、ウクライナはじめ多くの独立国家が生まれたが、それら独立国家にはロシア語を話すロシア人が残っており、プーチンはそれらの「同朋」が迫害されているのを見て見ぬふりはできないと、大規模演習に名を借りて攻め込んだ。よく言われる「居留民保護」という「大義」である。

プーチンのやり方は全く承認できないが、これと同じことを中国共産党政府が台湾に対してやったら、ロシアに対する以上の大ブーイング(制裁)が国際社会で起きるだろう。下手をすると中国共産党政府そのものの瓦解を招くかもしれない。

上で見た台湾と大陸との関係からすれば当然のことである。

ましてや中国が日本に攻めて来るなど、有り得ない話だ。識者や政治家の中にはウクライナ問題を契機に危機感をあおる輩が多いが、歴史的に見れば全く心配することはない。

沖縄全戦没者慰霊の日(2022.06.23)

2022-06-23 21:08:47 | 専守防衛力を有する永世中立国
沖縄で行われた太平洋戦争初の地上戦は、日本軍10万、アメリカ軍1万2千、そして沖縄の一般住民約10万の犠牲を生み、1945年6月23日に終結した。(※帝国陸軍沖縄根拠地司令官の牛島満中将と同参謀長の長勇が自決したのは前日の22日であり、実質的には22日に戦闘は止んでいる。)。

日本軍の中には沖縄人が軍人軍属あわせて約3万人いたので、沖縄人だけに絞ると、当時、約13万の沖縄県民が命を落としたことになる。

当時の沖縄は人口が60万に満たない数であったから、よく言われるように「沖縄県民の4人に1人が犠牲になった」のである。

ほかの多くの都道府県でも米軍による無差別爆撃によって数千から10万くらいの一般市民の犠牲者を出しているが、それぞれの都道府県で沖縄のように25パーセントの人口が失われたという自治体はない。沖縄が突出して多い。

摩文仁の丘に設営された「平和の礎(いしじ)」には全戦没者の名前の刻まれた石の壁が建立されているが、今年も戦没者の追加があり、今や総数24万を数えるという。地上戦による戦死者13万人よりはるかに多いが、この中には沖縄県民で太平洋戦争に志願あるいは招集されて亡くなった人や、米軍の潜水艦によって沈没させられた学童疎開船「対馬丸」の犠牲者(生徒と引率の教師など1400名)なども含まれている。

太平洋戦争中の軍人・軍属の戦死では沖縄県人が突出して多いというわけではないが、一般住民や子供が犠牲になった点では全都道府県ではトップだろう。

米軍従属の報道関係者が撮影した沖縄戦における米軍の攻撃では「火炎放射器」を使用し、それを一般住民が立てこもったガマ(洞窟)に向けて放っている様子が生々しい。

今度のウクライナ戦争でも、ロシア側が一般住民の住む町にロケット砲を撃ち込む映像が流されるが、沖縄県民のみならず戦争の持つ非人道性に改めて心の痛みを覚える。

摩文仁の丘の会場で開催された沖縄全戦没者慰霊の式典では、小学2年生の女児がそんな沖縄戦の映像に触れた感想をたどたどしく語っていたが、誰しも思わず涙を催さざるを得なかっただろう。

沖縄県知事の玉城デニー氏は式辞の最後の方で、沖縄語と英語とで「ぬちどぅたから(命こそ宝)」と述べていたが、5月15日の沖縄施政権返還記念日の式典で全国知事会の会長である鳥取県知事の平井氏が「てぃんさぐぬ花」という沖縄の唄を口ずさんだのと同様、感銘を受けた。


玉城(たまき)デニー沖縄県知事。62歳で、父はアメリカ海兵隊員、母は沖縄人。翁長(おなが)前知事の死去を受けて後任として当選した。翁長前知事は元は自民党であったが、知事就任以降は自民党を離れた人だが、玉城氏は生粋の非自民である。もう一つ言うなら「非米」でもある。

母は父親が海兵隊除隊後にアメリカに帰る際、一緒に行かなかった。その事情は知る由もないが、デニー氏は母のいる沖縄に愛着を持ち続けているようだ。思うに「ぬちどぅたから党」だろう。非戦・不戦を貫く根本理念だ。

いっそのこと沖縄独立ではなく沖縄の永世中立を宣言したらよいと思う。非核宣言都市というのがあるのだから、永世中立宣言県というのがあってもよい。そうしたら米軍の存在は不用になる。米軍の基地問題はすべて解決するだろう。

ただし口を開けば「アメリカとのより一層強固な同盟関係を」と言う日本政府が許さないし、他県からはそのツケが回って来るのでいちゃもんを付けられるだろうが・・・。

NPTとTPNW

2022-06-22 15:29:56 | 専守防衛力を有する永世中立国
昨日オーストリアのウイーンで、初めての「核兵器禁止条約(TPNW)締約国会議」が開催されたが、国連事務総長も会議の議長も、唯一の被爆国である日本のオブザーバー参加を呼びかけていた。

日本はアメリカの核の傘の下に安全が保障されているという理由で、参加しないのだが、ほとんどの国は首を傾げる他ないだろう。同じような状態に置かれているドイツは、やはりこの条約を批准してはいないのだが、オブザーバー参加を決断しているからなおさらだ。

それに対して「核拡散防止条約(NPT)」については、日本は50年余り前(1968年)に批准し、今なお固く順守している。

このNPTは、国連安保理の常任理事国(米英ロ仏中)の核保有は認めるが、それ以外の国々への核兵器拡散はさせない――という条約で、ずいぶん一方的な言い分の条約である。

すでに当時の常任理事国では核を保有しており、核の持つ極めて大きな抑止力はそれら大国だけの特権(戦略的優位性)にしておこうという思惑から生まれた条約である。(※しかし不可解なのが「中国」である。本来なら日本と戦った国民党政府の中国なのだが、1972年に国民党政府と入れ替わった共産党政府の中国がそのまま異論なく持てることになったのだ!)

日本政府はこのNPTについて「遵守することで、唯一の被爆国として核保有国と非核保有国との橋渡しをする」と言っている。この文言の意味がよく分からないのだ。

「橋渡し」とは、何をどう渡すのかがよく分からない。

「日本はアメリカの核の傘で守られているので核兵器を持たずに安全が保障されています。どうですか、あなたの国もアメリカの核の傘に入りませんか。危険で高価な核兵器を持たずに済みますよ」

――ということだろうか。

そうであるならば、日本同様、他国にも「〇米同盟」を薦めるべきではないか。と言っても、二国間軍事同盟は国連憲章に抵触するから、ヨーロッパのNATOのように、アジアにおいても多国間軍事同盟、例えば「東アジア条約機構」なる軍事同盟を結び、核超大国アメリカの核の傘に入るようにすればよい。

日本がそう推し進めようというなら間違いなく「橋渡し役」だ。それでこそ筋が通る。

だが、そんな素振りは微塵もない。ただお題目のように「橋渡し」を唱えるだけである。

すべては日米同盟を結んでいるアメリカへの忖度(おべんちゃら)からくる「狂言」でしかない。情けないというかみっともない国だ。

アメリカの核の傘が無くなったらどうなるのか。核など持つ必要はない。実際多くの国々は核無しで暮らしている。日本もその一つだ。

最近になって「核共有」という話が浮上してきた。日本は核兵器を持たないが、いざとなったら(他国から攻められたら)アメリカの持つ核兵器を国内に入れて、応戦しよう――という考えだが、発射ボタンは一義的にアメリカにあるわけだから、実効性は全く疑わしい。

第一に日本を核兵器で攻めて来る国があるだろうか。いや通常兵器でもよい、いったい日本に何のために攻めてくるのだろうか?

中国による尖閣諸島? それともロシア? 北朝鮮?

いずれも可能性は極めて低い。そんなことをしたら当該国はアメリカを始め国際社会から完全制裁を受けるだろう。何にもしない日本をなぜ攻撃するのか――と。

戦後77年間、軍事的に中国人を一人たりとも殺したことはなく、ロシア人を殺したこともなく、北朝鮮人を殺したこともない日本が、軍事的に攻撃される理由が分からないし、そうなったら、とにかく国際社会が黙っていないだろう。

日本は戦後一度も対外戦争をしたことはない。日米同盟があるからだという考えもあるが、アメリカが参戦した戦争は直接日本と関係のある戦争ではなく、日本が守ってもらったという戦争ではなかったから、それは否定できる。

要するに日米安全保障条約があるから日本は戦後、戦争に巻き込まれずに済んで来たという考えに歴史的な根拠はほとんどない。あるとすれば「親方星条旗」に洗脳された忖度意識によるものだ。一種の「ビビり」である。

この「ビビり」によって核兵器禁止条約会議へのオブザーバー参加さえ拒否している日本は、少なくとも条約締結国62か国の超失望感を誘っている。

せっかく戦後77年間、安全平和の先進国として世界の称賛を得て来たのに、この体たらくでは軽蔑の対象になりかねない。

「非核三原則」は無論だが、自分の国は自分で守るという「専守防衛」の意志を強く持つためにも、防衛戦力を持つ永世中立国への道に進むべきだ。

それこそ日本本来の姿である。世界はそれを待っている。