アメリカのバイデン大統領が4月15日に「アメリカが経験した最長の戦争を止め、8月末までに米軍を撤退させる」と表明してから、アメリカの支援を受けていたガニ大統領の政府が頑張って国を立て直すことはなく、逆にタリバン勢力によって包囲網を狭められ、ついに首都カブールがタリバンの手に帰した。
その日は8月15日。日本の終戦記念日でもあるのだが、バイデン声明からどんぴしゃり、4か月後のことであった。
当事国のアメリカ始め欧米各国及び韓国などは、米軍の撤収に呼応して大使館員や大使館で使用されていたアフガニスタン人職員を救援すべく、軍用機などを現地に飛ばし、自国に帰還させた。
ところが日本はわずかに遅れて自衛隊機・政府専用機などを送ったのだが、カブール空港付近で起きたIS(イスラム国)による自爆テロのためにそれまで残っていた少数の日本人と現地人家族などは空港に辿り着けず、取り残されることになってしまった。
新型コロナワクチン同様、後手後手に回る日本の対応のまずさが、ここでも表れている。
アフガニスタンでは昨年、「農業用水開発の医者」こと福岡県出身でペシャワール会を率いていた医師・中村哲さんがテロで命を落としており、治安の悪さはつとに有名だ。
そもそもアフガニスタンに外国の軍隊が入ったのは、戦後では1979年のソ連軍で、ソ連はアフガニスタンで社会主義政府の樹立を目指していたのだが、10年後の1989年に自身の国が「民主化」したため、出兵の意義がなくなり撤収した。その後に力を付けて来たのがイスラム原理主義で、1996年にはタリバンが政権を握った。
ところが、2001年9月11日にニューヨークで起きた同時多発テロを引き起こした「アルカイーダ」というテロ組織を匿っていたという理由でアメリカが侵攻し、タリバン政権は瓦解している。2年後にアルカイーダの指導者ウサマディンラビンを殺害した後、アメリカは民主政府を構築すべく相当な肝いりで民主化を進めていた。
一方で同じ頃、イラク戦争に勝利したアメリカ(および欧米の多国籍軍)への反発から、過激なイスラム組織「IS(イスラム国)」が誕生している。今度アメリカの後押しだったガニ大統領政府に代わって政権を回復(?)したタリバン政権にとってもこのIS(イスラム国)は難敵で、アフガニスタンはタリバンと旧政府軍とISによる三つ巴の内戦になるのではないかと危惧されている。
こんな状況では、現地に取り残された日本人および大使館に雇われていた現地人が非常に心配である。その一方で東京パラリンピックに二人のアフガニスタン選手が来るというニュースが流れた。ちょっとびっくりだ。選手だから特別に来日の手立てが得られたのだろうか? なおさら日本へ脱出できなかった人々が気の毒に思われる。
この二人の選手は競技終了後にアフガニスタンに戻るのだろうか。それともひょっとして亡命を申請することになるのだろうか。そんな事例が、ミャンマーから来たサッカー選手(男子)とウクライナからの女子選手にあった。両者ともに早々と認められたようである。
男子サッカー選手の母国ミャンマーも国内が危機的な状況にある。2020年の総選挙でアウンサンスーチー女史率いるNDL(国民民主統一連合)に完敗を喫したミャンマー軍トップが、今年の2月1日にクーデターを起こし、軍政に逆戻りした。
アウンサンスーチー氏がミャンマーの国政に携わるようになったのは1988年で、それまでの軍政に対する国民の不満のはけ口の象徴的な存在となった。新たに民主的な憲法も作られたのだが、民主化は進まず、軍政は三度にわたりスーチー氏を自宅軟禁に追い込んでいる。
スーチー氏の父親はミャンマーでは誰一人知らぬものはないミャンマー独立の英雄アウンサンマウン将軍で、戦時中に日本が組織したビルマ独立義勇軍の一員であった。しかし大戦中に日本の戦敗を見越したのか、宗主国イギリスの手引きによるものか(おそらくどっちもだろう)、独立義勇軍を離れ、イギリス側に就いている。
1948年にビルマは独立するが、イギリスの本音はビルマを独立させたくなかった。独立の前年にアウンサンマウンは暗殺されたのだが、下手人と言われた人物は親日家であり、日本を裏切ったアウンサンを許せなかったためと言われているが、実はこの暗殺はイギリスの謀略ではないかという説もある。
日本を見限ってイギリス側に寝返り、日本軍と戦うようになった、つまり連合国側陣営に入ったとはいえ、「戦争終結後に独立を」と強硬に主張し続けたアウンサンのような人物は植民地のままにしておきたかったイギリスにとっては目の上のたん瘤だったのだろう。
そのアウンサンの長女がスーチー氏で、父が暗殺された1947年、彼女はまだ幼児であったのでイギリスが引き取る形で本国に移住させ、その後、イギリス人と結婚をし、国籍もイギリスである。
国籍が旧宗主国のイギリスであることも、イギリスからの独立を勝ち取ったビルマのそんな歴史を背負っているビルマ(現ミャンマー)国軍にとっては、痛しかゆしなのではないか。
しかし目下のところ民主主義を熱望する国民と、ほぼ全権を掌握している国軍との溝は深まるばかりだ。
国民の間では武器を手に取る者も現れているという。アフガニスタンのように過激な反政府テロ組織が出現することはないと思うが、予断は許さない。仏教徒のお国柄だから、むしろかつてのベトナムのように、また今でもチベットではあるという「焼身自殺による抗議」が起きるかもしれない。
進出企業が多くODAによる援助国でもある日本、そして旧宗主国イギリスの対応が注目される。
その日は8月15日。日本の終戦記念日でもあるのだが、バイデン声明からどんぴしゃり、4か月後のことであった。
当事国のアメリカ始め欧米各国及び韓国などは、米軍の撤収に呼応して大使館員や大使館で使用されていたアフガニスタン人職員を救援すべく、軍用機などを現地に飛ばし、自国に帰還させた。
ところが日本はわずかに遅れて自衛隊機・政府専用機などを送ったのだが、カブール空港付近で起きたIS(イスラム国)による自爆テロのためにそれまで残っていた少数の日本人と現地人家族などは空港に辿り着けず、取り残されることになってしまった。
新型コロナワクチン同様、後手後手に回る日本の対応のまずさが、ここでも表れている。
アフガニスタンでは昨年、「農業用水開発の医者」こと福岡県出身でペシャワール会を率いていた医師・中村哲さんがテロで命を落としており、治安の悪さはつとに有名だ。
そもそもアフガニスタンに外国の軍隊が入ったのは、戦後では1979年のソ連軍で、ソ連はアフガニスタンで社会主義政府の樹立を目指していたのだが、10年後の1989年に自身の国が「民主化」したため、出兵の意義がなくなり撤収した。その後に力を付けて来たのがイスラム原理主義で、1996年にはタリバンが政権を握った。
ところが、2001年9月11日にニューヨークで起きた同時多発テロを引き起こした「アルカイーダ」というテロ組織を匿っていたという理由でアメリカが侵攻し、タリバン政権は瓦解している。2年後にアルカイーダの指導者ウサマディンラビンを殺害した後、アメリカは民主政府を構築すべく相当な肝いりで民主化を進めていた。
一方で同じ頃、イラク戦争に勝利したアメリカ(および欧米の多国籍軍)への反発から、過激なイスラム組織「IS(イスラム国)」が誕生している。今度アメリカの後押しだったガニ大統領政府に代わって政権を回復(?)したタリバン政権にとってもこのIS(イスラム国)は難敵で、アフガニスタンはタリバンと旧政府軍とISによる三つ巴の内戦になるのではないかと危惧されている。
こんな状況では、現地に取り残された日本人および大使館に雇われていた現地人が非常に心配である。その一方で東京パラリンピックに二人のアフガニスタン選手が来るというニュースが流れた。ちょっとびっくりだ。選手だから特別に来日の手立てが得られたのだろうか? なおさら日本へ脱出できなかった人々が気の毒に思われる。
この二人の選手は競技終了後にアフガニスタンに戻るのだろうか。それともひょっとして亡命を申請することになるのだろうか。そんな事例が、ミャンマーから来たサッカー選手(男子)とウクライナからの女子選手にあった。両者ともに早々と認められたようである。
男子サッカー選手の母国ミャンマーも国内が危機的な状況にある。2020年の総選挙でアウンサンスーチー女史率いるNDL(国民民主統一連合)に完敗を喫したミャンマー軍トップが、今年の2月1日にクーデターを起こし、軍政に逆戻りした。
アウンサンスーチー氏がミャンマーの国政に携わるようになったのは1988年で、それまでの軍政に対する国民の不満のはけ口の象徴的な存在となった。新たに民主的な憲法も作られたのだが、民主化は進まず、軍政は三度にわたりスーチー氏を自宅軟禁に追い込んでいる。
スーチー氏の父親はミャンマーでは誰一人知らぬものはないミャンマー独立の英雄アウンサンマウン将軍で、戦時中に日本が組織したビルマ独立義勇軍の一員であった。しかし大戦中に日本の戦敗を見越したのか、宗主国イギリスの手引きによるものか(おそらくどっちもだろう)、独立義勇軍を離れ、イギリス側に就いている。
1948年にビルマは独立するが、イギリスの本音はビルマを独立させたくなかった。独立の前年にアウンサンマウンは暗殺されたのだが、下手人と言われた人物は親日家であり、日本を裏切ったアウンサンを許せなかったためと言われているが、実はこの暗殺はイギリスの謀略ではないかという説もある。
日本を見限ってイギリス側に寝返り、日本軍と戦うようになった、つまり連合国側陣営に入ったとはいえ、「戦争終結後に独立を」と強硬に主張し続けたアウンサンのような人物は植民地のままにしておきたかったイギリスにとっては目の上のたん瘤だったのだろう。
そのアウンサンの長女がスーチー氏で、父が暗殺された1947年、彼女はまだ幼児であったのでイギリスが引き取る形で本国に移住させ、その後、イギリス人と結婚をし、国籍もイギリスである。
国籍が旧宗主国のイギリスであることも、イギリスからの独立を勝ち取ったビルマのそんな歴史を背負っているビルマ(現ミャンマー)国軍にとっては、痛しかゆしなのではないか。
しかし目下のところ民主主義を熱望する国民と、ほぼ全権を掌握している国軍との溝は深まるばかりだ。
国民の間では武器を手に取る者も現れているという。アフガニスタンのように過激な反政府テロ組織が出現することはないと思うが、予断は許さない。仏教徒のお国柄だから、むしろかつてのベトナムのように、また今でもチベットではあるという「焼身自殺による抗議」が起きるかもしれない。
進出企業が多くODAによる援助国でもある日本、そして旧宗主国イギリスの対応が注目される。