鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

満開の菜の花

2020-02-26 11:50:41 | おおすみの風景
菜の花が満開だ。

我が家から北へ県道550号線を渡って200メートルも行くと、辺り一面に菜の花が咲いている畑地帯がある。

里道沿いにひしめくように咲き誇る菜の花だが、畑自体に植えられたものではなく、かっては栽培されていて今はもう栽培しなくなった後に、こぼれた種が自然に芽を出し繁殖したらしい。

車の往来の激しい県道沿いにも同じような群落が咲いているから、おそらくあれも同じこぼれ種の仲間だろう。

とにかく今現在満開で、辺りに明るい点描となっていて存在感がある。愛犬ウメとの散歩道沿いに鮮やかに咲いている菜の花。真ん中の白い屋根の倉庫らしい建物の向こうは高隈連山。(昨日ブログを書いたときは桜島の灰で霞んでいたが、今朝はくっきりと見えた。)

ところで菜の花がこんなに満開なのにミツバチの群れを見ないのは不思議である。普通なら近くによるとブンブンという羽音が聞こえるのだが、全くいないので不気味なくらい静かだ。

ミツバチが数年来姿を見せない理由はよく分からないらしい。あるところでは養蜂家の巣箱のミツバチがそっくり忽然と姿を消したというし、それほどではないにしても数が減ったのは間違いないだろう。

モンシロチョウが我が家の玄関先の葉ボタンに12月になっても飛び回って卵を産み付け、孵化した幼虫が葉を食い荒らすので困っている――とは以前にブログに書いた。

モンシロチョウの方は暖冬異変をこれ幸いに、真冬だろうが何だろうがアブラナ科の植物を狙って卵を産み付けるのは、彼らのたくましさの証拠であり、彼らとの闘い(知恵比べ)で幼虫拿捕に邁進すればよく、実害はない。

しかしミツバチの減少はハチミツ業者や養蜂家それにミツバチによる受粉を頼みにしている果樹園芸(イチゴを含む)農家にとっては由々しき問題だ。たちまち果実の良し悪しと量産に影響する。

約50年の昔に読んだ『沈黙の春』では化学肥料大量使用と農薬散布によって生態系に異常が起き昆虫類・鳥類が激減していくことによる「春の沈黙」だったが、今経験しているのは気候変動による季節の喪失からくる「春の静けさ」なのだろうか。

新型コロナウイルス(2)

2020-02-21 21:58:26 | 災害
先日来、国会予算委員会のテレビ中継を見ていたが、相変わらず「桜を見る会」が質疑の中心を占めていた。

野党議員は桜を見る会前日の安倍首相後援会の某ホテルにおけるパーティの費用の出所について、もしこれが首相サイドのマネーから出ていたとすれば「議員は選挙民を饗応してはいけない」という政治資金規正法に違反している。領収書があるだろう――と突っ込む。

安倍首相はこれに対して「一般論として領収書は必要だが、当日は参加者銘々が自分で払っているので領収書はありようがない」と突っぱねる。

明らかに嘘だが、某ホテルも首相サイドから口裏を合わせるように言われたのだろう、御無理ごもっともで口を閉ざしてしまった。

昨年初めてこの「桜を見る会」が取り上げられたとき、即座に「来年の桜を見る会は中止する」と官房長官が異例の先回りをしたが、あれは自ら「臭い物に蓋をする」論法であったから、自分にはピンときた。要するに事実は野党の突込みの通りなのだろう。

事ここに及んでもまだ白を切る首相には驚くほかない。見ていて痛々しかった。早く非を認めてしまえば小事で済んだのに情けないとしか言いようがない。「奢れる者久しからず」の格言が浮かんでくる。

好むと好まざるにかかわらず、新型コロナウイルスの猛威は今極限に達しようとしている当節、安倍政権の対応に批判が出ている。

アメリカ発では「乗客をクルーズ船に閉じ込めておくのは考えられない」と言うし、また医療関係者は症状の出ていない者は早く下船させて潜伏期間の間自宅待機させればよかったと言っている。

一方、感染経路の分からない発症者が意外な県で発見されたりしていて、混乱に拍車をかけている。

ここから市中での二次あるいは三次感染はすでに始まっているという見方もある。中国が1月23日に武漢を「完全封鎖」する前に武漢を離れた中国人や日本人が旅行や帰省で日本に入った可能性は高いからだ。

中国ではすでに2200人を超える死者を数え、感染者も77000人以上となったそうである。この分で行くと2月中には10万人に達するに違いない。中国は国家総動員体制でこれに臨んでいるが、果たして終息はいつなのか。

新型コロナウイルスに対するワクチンの開発はまだまだ先のようだから、おそらく3月一杯は感染者と死者の数は着実に増えていくに違いない。

日本での感染者は、もし市中での二次、三次感染が事実とすればまだまだ増える可能性が高い。

この騒動で3月1日の鹿児島マラソンが中止が本決まりになった。そのほか直近のイベントは軒並み中止になっている。

日本での夏季オリンピックがもしかしたら中止になるだろうから――とロンドンの関係者が「その時はロンドンで引き受けよう」などという人騒がせな情報も仄聞される。

中国当局の対応はもとより世界の注目を浴びるのは当然だが、オリンピックの近い日本の対策も世界は注視している。いたずらに委員会で虚言を呈している場合ではない。早く謝罪でも何でもして新型コロナウイルス対策に万全を期して欲しいものだ。


初冠雪

2020-02-18 10:50:33 | おおすみの風景
夕べ遅くなってから強い風がうなりを上げていた。

朝起きてみると、案の定、周辺の山に雪が積もっていた。初冠雪だ。我が家の南に連なる大姶良の山々が上から半分位が白くなっていた。標高450メートル前後の稜線が連なる横尾山系。

愛犬ウメの散歩がてら北の高隅山連山を見てみたが、こっちはまだ雪雲を被ったままで、山麓が白くなっているのは分かったが山頂あたりは全くの雲の中であった。

9時に会員であるシルバー人材センターの研修会に参加した後、帰り際にプラッセダイワというスーパーの3階屋上(駐車場を兼ねている)に上がってみたら、ようやく高隈連山の主峰・御岳山(1182メートル)(連山の最高峰は大箆柄岳で1237メートルある)が何とか望まれた。まだ10時過ぎだというのにもう雪の白さは谷筋に残るばかりになっている。日の出から3時間で樹々に積もった雪はすっかり溶けて落ちたのだろう。気温があと3度も下がっていたら相当な降雪になり真っ白になったと思うが。

まあそれでもようやく山が白くなるという「真冬らしい風景」が見られたのだから良しとしなければなるまい。

今朝のニュースで桜島も初冠雪したとあった。何と平年に比べて50日も遅いそうである。たいてい桜島に雪が降るのはいわゆる「クリスマス寒波」の頃で、その後は1月から2月にかけて5~6回は冠雪を見るものだが、今年は例外中の例外(想定外)だ。

もっとも昨夜のニュースでは福岡県の初雪が111年ぶりに遅い記録を更新した――とあったからどこもかしこも暖冬を通り越して「真冬がない」ことになったのだろう。

コートや厚手の衣類など軒並み売れ行き不振だというが、よかったのはインフルエンザの猛威がなかったことと暖房費が節約できたくらいか。

新型コロナウィルス感染の行く先の不安は拭いきれず、一応は「武漢封鎖」という中国当局の手荒な(独裁的な)措置が功を奏してはいるようだ。しかしまだ寒さは続くから終息は当分先だろう。

パルショータという発酵食品(3)

2020-02-12 09:58:03 | 古日向の謎
エチオピア南部高原の一部族の主食であるパルショータというモロコシ製の発酵酒からの連想で、「乳の出ない叔母に養育されたウガヤフキアエズノミコトは飴を与えられて育った」という鹿屋市吾平町飴屋敷に伝承されたその「飴」とは、パルショータのような穀物(当地では当然コメ)を原料とする栄養豊富な発酵飲料だったのだろう、というところまでこぎつけたのだが、その発酵飲料を「飴」(あめ)というのはなぜかが疑問になって来た。

飴は今日的には固いキャンデー状のものを指すのが一般だが、元の漢字の「飴」は「イー」と発音し、中国語では「イー」は水っぽかったり軟らかかったりする麦芽の糖化作用によってできる飴で、キャンデーのような糖分を溶かして固めただけのものは文字通り「糖」という名で「タン」と発音するそうである。

となるとウガヤフキアエズノミコトを育てた発酵飲料は「イー」の方の飴に該当する。その「イー」の方の飴という字を漢字から借りながら、和音では「あめ」と言っている。

その「あめ」とは何に由来するのだろうか?

そこで記紀を参照してみると、日本書紀の神武紀に「飴」が登場するのである。

日向から東征してきた神武天皇一行が大和入りするのは、河内の日下で土豪のナガスネヒコ軍に敗れ、大きく南へ迂回し紀伊半島の熊野に上陸し、そこからヤタガラスの導きで険しい山々を越えて大和南東部の宇陀地方であったが、そこからは八十猛や兄磯城などというゆく手を阻む強力な勢力が立ちはだかっていた。

神武天皇は何とか「血塗らずして」事向けやわ(平定)したい。そこで天つ神に祈ると「天の香具山の頂上の土を採取して平皿と小壺を作り、そこにお供え物をして神々に祈ればよい」との教示があり、敵の間をくぐってどうにか採取した土で平皿と小壺を作ることができた。

そして丹生川の川上に行って天神地祇を祭り、さらに祈ると別の教示があり、天皇はこう詔した。

「平皿に水無くして飴を作ろう。飴ができたら刃の勢いを借りずに天下を平らげるようになろう。」

そこで飴を作ったところ、飴は自ずから出来上がった。

(※このように神慮の恩恵を蒙った神武天皇はその後、「刃に血塗らず」とはいかなかったが、数々の難敵を平らげ、橿原に王朝を開いたーーと神武紀は記している。)

以上が飴という食品の描かれた部分で、古典(記紀)ではこれが初見である。

この時の飴は「あめ」と言わずに「たがね」としてあるが、「水無くして」作られた「飴」は「たがね」と呼び、水を加えて発酵させたのを「あめ」と呼んでいて区別がなされている。

水を加えないで作るというのはコメの粉状の物が大気中の水分(湿気)を吸収し、米そのものに含まれている糖化酵素の働きにより、主成分であるでんぷんが糖化して固まることを指しているはずである。

これを「たがね」と称するのはおそらく「固かあめ」(かたかあめ)からの転訛だろう。つまり「あめ」こそが本来の和製パルショータに付けられた名称だと思うのである。

神武天皇が神に祈って生まれたのは「水無しの飴」(たがね)で、目に見えない糖化酵素の働きによるもの、また飴屋敷の「飴」(あめ)は水を加えるが同じく目には見えない天然の麹菌の働きによるもので、どちらも目には見えない霊妙な働きによるもので、当時の人から見れば「神(天=あめ)による産物」であったがゆえに「あめ」という名称になったに違いない。

逆に言うと「飴屋敷」の「飴」を今日風の砂糖分を固めただけの飴、すなわちキャンディーと連想する方が「あめ」本来の名称の由来からすると間違っているということになる。あくまでも本来の飴(あめ)は霊妙な発酵作用を伴って作られるがゆえに「あめ」なのである。

天から降ってくる雨も「あめ」だが、本来の飴が眼には見えない糖化・発酵作用という天の恩寵によって生まれることから「あめ」というのと根本は一緒だろう。

天から降ってくる適度な雨は慈雨であり、田畑に多大な恩寵をもたらすからである。

――以上、かっての古日向の領域に含まれる鹿屋市吾平町の飴屋敷に伝承される「飴の謎」が、ようやく解けたように思う。

パルショータという発酵食品(2)

2020-02-11 09:20:18 | 古日向の謎
パルショータというモロコシを原料にした発酵食品(発酵酒)を主食としているエチオピア南部原住部族のアルコールに対する強さは、彼らがアルコール分解後のアセトアルデヒド分解酵素を豊富に分泌できる体質であることを物語っているのだが、それはそれとして、私がはっと思ったことがあったのである。

それは幼児のような子供にすらあの発酵酒を飲ませている驚くべき光景を見た時だった。もちろん幼児や子供にはパルショータを薄めて飲ませているようだが、アルコール分がゼロになるわけではない。だが、遺伝的に幼児でもアセトアルデヒド分解酵素を多く持っているので害にはならないのだろう。

この事実は私を次の感慨に導いた。

というのも鹿屋市吾平町に吾平山上陵という名の御廟のあるウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)だが、日向神話によるとミコトは天孫の第二代ヒコホホデミノミコトの(山幸彦)息子である。ところが産みの母のトヨタマヒメは海岸(渚)にミコトを産み落とすとそのまま海に帰ってしまい、その代わり妹のタマヨリヒメを養育者としてミコトに就けた。

日向神話ではその後どのようにしてタマヨリヒメがミコトを育てたのかについての記述はない(本文ではない一書に「乳母をつけた」と一箇所あるが…)。

ところが地元には「飴屋敷」(鹿屋市吾平町上名)という集落があり、その近傍には「飴屋敷跡」というミコトを育てた場所も特定されている。伝承では、タマヨリヒメは未婚だったのでもとより乳は出ない。そこで飴屋敷に住む老婆が「飴」を献上し、またその作り方を教えてくれたのでそれで育ったというのである。

「飴でどうして赤ん坊が育つのだろうか?」

というのがそれを知った時の最初の私の反応だったが、しばらくして「飴は今時では固いキャンディーを連想するが、ミルクに近い飲料なら赤ん坊でも飲める。とすると米を原料にした甘酒のような物だろうか」と思い至った。

次に考えたのが「甘酒ではないだろう。第一糖分が多すぎる。それより日本酒を作る過程でできるモロミのような物ではないか。だが、モロミにはアルコール分が含まれている。」だった。

さらに「モロミは麹菌が生み出す栄養豊富な液体だから乳の代わりに飲ませられるが、とにかくアルコール分があるので乳児には無理かもしれない。」とトーンダウンしてしまった。

そこへもって来てあのパルショータである。

かの部族ではアルコール分があるのに幼児にも飲ませているではないか。薄めて飲ませているようだが、それでもアルコール分は残っているのに幼児にとって何ともない。しかも栄養は満点だという。

これだ! これに似た物をタマヨリヒメはミコトに飲ませていたのだろう。ミコトはアセトアルデヒド分解酵素を持っていたに違いない(番組によると現代日本人の40パーセントは酒に弱いというが、逆に言えば60パーセントは酒に強い。つまりアセトアルデヒド分解酵素を豊富に分泌する体質である)。

原料の米については事欠かない。というのも飴屋敷近辺は姶良川の河畔にある田園地帯で稲作には最上の土地柄だからだ。

もう一つの「ウガヤフキアエズ養育と飴」の伝承地である宮崎県の鵜戸神宮。しかしその近辺に米が採れるような田園はない。「お乳飴」というのを売っているが、あれでは乳児は育てられない。

同じ古日向に属する地域だが、向こうは藩政時代以降は伊東氏の支配する飫肥藩だったので飫肥藩なりの日向神話解釈の結果、ウガヤフキアエズの誕生地と養育地がセットになり、「神話的光景」に相応しく仕立て上げられたのだろう。

それにしても「飴屋敷」の「飴」だが、和製パルショータがなぜ「飴」と呼ばれたのか、これについても一考を要するが、それは続きで・・・。