鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

巨星墜つ!

2022-08-31 14:54:10 | 日本の時事風景
昨日から安倍元首相の国葬に関するコメントブログを考え、今日中に書きたいと思っていた矢先、今朝、いつものようにウメの散歩を終えてから郵便箱の新聞を取り出し、その一面を眼にした瞬間、アッとつぶやいていた。

京セラ創業者で元会長の稲盛和夫氏が亡くなったとあったのだ。

享年90歳だという。昭和7年(1932年)の生まれで、鹿児島生まれの鹿児島育ち、鹿児島大学の工学部を卒業した根っからの鹿児島人である。

ここで根っからの「薩摩隼人」と書きたいところだが、氏の姿勢は決して隼人の持つ「勇猛果敢」のイメージではなく、むしろ温和に過ぎる風貌であり、実際、新聞の一面に載った写真は柔和な顔で合掌をしているかのような姿である。

稲盛氏は晩年になって京都の禅院で得度を受けているので、その心象にふさわしい写真だ。

鹿児島大学の工学部を卒業した稲盛氏は京都のセラミック会社に就職する。いまでこそセラミックが日常用語になったが当時の会社名は「京都碍子(がいし)」であった。電線を張り巡らす際に必要な絶縁体磁器であり、氏はここで研究に没頭する。

そして5年後には特殊なセラミック(ファインセラミック)の合成に成功し、29歳で独立して「京都セラミック」を旗揚げした。

一大成長の転機は、アメリカの大企業IBMからファインセラミック製の集積回路の大量受注を受け、それに応えたことであった。

その後の快進撃は、まさにサクセスストーリーそのものだ。

今や京セラは生産高が1兆8千億円の日本有数の大企業である。たまたま昨日の新聞に、鹿児島における売上高が100億円以上の企業が掲載されていたが、それによると鹿児島最大の売り上げを誇る企業は「南国殖産」で、約1500億円であるから、その大きさが知れるだろう。

一代で大企業を立ち上げた人としては何と言っても松下幸之助で、松下電器は名実ともに家電メーカーのトップを長年占めて来た。(※いま「白物家電」は中国はじめ後進諸国の席捲に甘んじているが、品質や耐久性ではいまだに高い評価を受けている。)

両者の会社に共通しているのは、一代で立ち上げたことのほか、関西圏で産声を上げた企業であること、そして二人とも後進を育てる「塾」を運営したことだ。

松下幸之助は「松下政経塾」、稲盛和夫は「盛和塾」。

松下のは「政経塾」という名称で明らかなように、政治と経済を学び、それを生かして政界に人材を送るのを主眼としていた。ここを卒業して政治家になった人物はかなり多い。著名なのは鳩山由紀夫政権で国土交通大臣になった前原誠司である。この人は京都の出身であり、稲盛氏とも親交があったという。

それに対して稲盛の「盛和塾」の主眼は「経営哲学」であり、政治的な方面に出ることはなかった。ただ稲盛氏自身は経営者にしては珍しく非自民支持で、前原誠司のかつての民主党や国民民主党系の政治家の後ろ盾でもあった。

稲盛の経営における人間哲学は、日本のみならず中国や台湾でも注目を集めており、稲盛はしばしば現地を訪れて講話をしている。翻訳された書籍も随分と読まれているようだ。

氏の人間学の根底を流れている理念は、あのセゴドンこと西郷隆盛の「敬天愛人」で、鹿児島人にとって最高の敬愛の対象は、また稲盛のバックボーンでもあった。

戦前は明治10年の西南戦争で西郷隆盛という巨星が墜ちたが、その後も幾人かの総理大臣を出し、海軍の軍人では東郷平八郎はじめ数多の諸将を輩出した鹿児島だが、戦後はそういった綺羅星は長らく出現しなかった。

稲盛氏は分野こそ違え、そのような綺羅星に並べられる人物だろう。

葬儀はどうなるのか。おそらく「京セラ葬」という名目の会社による葬儀になるのだろうが、稲盛氏自身は「セゴドンは城山の露と消え、当時の政府に逆らったため、葬儀もままならなかった。俺の葬儀を派手にしてくれてはセゴドンに申し訳ない」という思いを残しているかもしれない。合掌。

NPT(核拡散防止条約)会議は決裂

2022-08-30 12:58:55 | 専守防衛力を有する永世中立国
国連安全保障会議常任理事国(核保有5か国)以外の国が核兵器を持つことを抑え込もうという「核拡散防止条約」。

それをめぐる条約締約国会議が国連本部で開かれ、4週間後の8月26日に最終合意文書が提示される運びとなったのだが、ロシア代表が当日になってドタキャンしたという。

これで前回に続いて最終合意文書が否定されたことになる。

ロシアの言い分は「最終文書の内容は欧米側の主張が主で、政治的に過ぎる」というもので、ウクライナ情勢に対する欧米の強い関与に不満を持っているのが背景にある。

ロシアがウクライナに侵攻する前にプーチンが「核兵器の使用も辞さない」といような不穏な発信をしたことへの強い反発文言が取り下げられたにもかかわらず、ロシアは合意しなかった。

もっともアメリカも「核先制不使用」という文言を削除させたというから、こっちも不穏であり、どっちもどっちだ。

核兵器が実戦で使われたのはアメリカによる日本の広島・長崎に対してだが、その威力を目の当たりにしたソ連もアメリカに対抗して核を保有することになった。1949年のことだった。

その後米ソの対立が深まり、アメリカの隣国キューバに親ソ勢力であるカストロ政権が1959年に生まれると、ソ連はキューバに核ミサイル基地を建設し、アメリカを威嚇し始めた。有名な「キューバ危機」である。

アメリカ大統領はケネディ、ソ連の首相はフルシチョフで、この時はソ連の方が矛を収め(1962年10月)、キューバから基地を撤去して事は危うく解決を見た。

実はこの2年後の1964年10月に共産中国が初の水爆実験に成功しており、世界で5番目の核保有国になっている。この時の不思議は、米英等核保有国の中国への抗議がなかったことだ。

そして中国はこの8年後の1972年に、当時まだ安保理の常任理事国だった中華民国(台湾)政府に代わって常任理事国の座に就いてしまった。(※この背景にはイギリスの思惑があったのかもしれない。1950年1月に前年の10月に建国されたばかりの中華人民共和国をいち早く承認しているからだ。日本が中華民国と友好関係になることを危惧していたのだろう。)

かくて国連に加盟したばかりの中国共産党政府が、国連を追放された台湾の代わりに安保理の常任理事国になったという不可解が理解できる。中国の共産勢力と日本がタッグを組むことは全くあり得ないという安心感が、米英をして共産中国を安保理の常任理事国に据えさせるという芸当を演出したのだ。

結果として国連安保理の常任理事国のみが「保核」(核兵器を堂々と保持)になったのだが、それ以外の国に核兵器が行き渡らないようにする条約がNPTで、何のことはない核兵器こそが安全保障の要だということでもある。

日本は核保有はしないのが国是である。非核の立場だ。持てるだけの技術や資金はあるのだが持たない国是である。

これに対して核とは全く無縁の国々がある。「無核」の立場だ。

「保核」「非核」「無核」のうち「無核」の国々が圧倒的に多いのが現在の世界であり、日本政府が言うところの「橋渡し」とは、「保核」国家群とと「無核」国家群との橋渡しという意味だろう。つまり「保核の国が無核の国を攻撃しないよう仲介に立ちますよ」ということだ。

ところが日本は「アメリカの核の傘に入っているから安全」という保障を「日米安全保障条約」によって得ている。それなら「無核」の国々に対して「あなたの国もアメリカの核の下に入りませんか。安全ですよ」というのが「橋渡し」ではないのか。

要するに「無核」の国々に対して、アメリカと「安全保障条約」を結ぶよう勧めるのが日本の橋渡し役となるのではないか、ということである。

ところが日本がアメリカにそのように進言したらこう言うだろう。「二国間の個別的な軍事援助条約は国連憲章上認められない。多国間で結ぶならよい」と。

ならば日本もアメリカとの二国間軍事条約である「日米安全保障条約」は解約せねばなるまい。その上で「クワッド」のような多国間安全保障条約を結び直す。その上で、「無核」の国々にも多国間(核保有国を含む)安全保障条約を結ぶように助言する。これなら橋渡し役として筋が通る。

ところが「保核」のアメリカとの二国間軍事同盟を結んで「核の傘の下にいるから安全」と思っている国が、核廃絶への「橋渡しをします」と言ってみても、多くの「非核」「無核」の国々は「自分だけぬくぬくとしている。いったい自分の国に2発も核兵器を使ったアメリカのその核の傘にいるのが安全だとよくもまあ思えるもんだ。わけわからん」というのが、大方の考えだろう。

NPTに対する日本政府の考え方は、日本が日米同盟下の「核の傘の下」にいる限り、説得力は全くないと思わなくてはならない。


ノーマザー、ノーライフ(再考)

2022-08-29 15:39:31 | 母性
昨日は読売テレビ(KYT)で放映の24時間テレビを観ていた。合間にいつも視聴する「笑点」があるから序でにというと叱られそうだが、タレントの誰かが走る「100キロランニング」という企画は楽しみではある。

今年は兼近という若いヤンキーっぽいタレントが走ったが、それよりも同時に少年少女の身体障碍者を含む3組がそれぞれの困難を乗り越えて好きなことに邁進する姿が放映されていたが、これには感動した。

51.5キロのトライアスロンに挑戦した小6の少女は、父母ともにトライアスロンの選手だそうだが、父親は本人が2歳の頃に他界しており、結局、直接的には母の影響下でトライアスロンに挑戦するようになったという。

兼近の100キロランと合わせて放映していたが、少女の方が早く、明るいうちに、どこかの河川敷に設けられたゴールに到着した様子が映された。

そこには母が待っていた。気付いた少女は母に飛びつき、しがみついた。幼児がよくする「子ども抱っこ」そのものだった。小6の少女にしては可愛いと言えば言えるが、普通はもうしない抱っこだろう。51.5キロを単独で走り切るという重圧から解放されたその瞬間だった。やはり母の存在感なのだ。

二番目の子は10歳の少女で、首から下がほとんど動かせず、口に咥えたサインペンのような物で紙に絵を描いたり、字を書いたりして意思を伝える他ない子であった。

6歳か7歳くらいまではごく普通の女の子だったのだが、突然脳脊髄に腫瘍が現れ、身体の運動が不可能になったそうで、首の後ろ側の太い脊髄に腫瘍があるので、手術で除去できないらしい。

それでも明るい子である。去年弟が生まれ、今は歩くようになって自分を姉と慕う姿にいたく感激しているのだそうだ。

「神さまがお父さんお母さんのもとへ生まれるのを許してくれた。弟もそうだよ」と言っている。

子どもは単刀直入だ。決められた両親のもとに生まれるのは宿命(命を宿す)である。

その宿命によって授けられた子を親がどう育てるか。これが運命(命を運ぶ)になる。

親は子の鏡だから、たいてい親は子に自分のやっていたことをさせたいと思うはずだ。子どもも親を選んできた以上、おおむねそれに異存はないだろう。

「子は親の背中を見て育つ」ということわざは、親が余りにもああしろこうしろと操縦してはいけない、かえって逆効果になるということの教えだが、姿(親の背中)を見せないようではまずい。子は自分の存在を無視されたようで困惑するほかない。

やはり家庭内のことは母親が、それ以外は主に父親の出番だろう。そこに役割分担があるのだが、当節は家庭に母親がいないことが多い。これが子どもを家庭から遠ざける原因で、「選んで生まれてきた」子どもからすれば当然の話である。

この10歳の少女の家庭は両親が揃っているのだが、やはり寄り添ってもらいたいのは母親だろう。同性ならなおさらだ。

それにしても明るい少女である。少女の夢がかなって欲しいものだ。(※母親の寄り添いをちゃんと得ていることで、もう半分かなっている!)

3番目は両足の無い14歳の少年の話であった。

生まれつき両足がないわけではなく、全く足として機能しない足に生まれついたこの少年のことは、かつてこの番組で取り上げたらしく、当時の少年の様子が放映されていた。

小学校に入る段階で、機能しない両足を切断するという大手術を受け、その後は上半身だけで順調に生育している。車いすバスケットにチャレンジし、上半身の身体能力だけで立派に競技に出たりしている。

健常児の兄がいて、弟と同じ車いすバスケットに取り組んでいるというから頼もしい。上の10歳の少女の見立てでは、同じ親のもとに生まれて来る兄弟はまさに運命共同体なのだろう。

そしてこの兄弟にも優しい母がいる。

これら3例とも、母の寄り添いは十分のようであった。

当たり前だが、子どもは母に宿ってこの世に生を享ける。母なくしていかなる子もこの世に生まれることはない。

「ノーマザー、ノーライフ」の第一義的な意味はそれである。これも以前言ったが、たとえ大富豪イーロンマスクが20兆円出そうと30兆円出そうと、ひとりの赤ん坊も造れないのだ。

「ノーマザー、ノーライフ」の二次的な意味は、「母の寄り添いなくして子は育たない」ということで、ここからは「運命」の範疇だ。生母がいなければ、それに代わる祖母や叔母の存在を必要とするだろう。もちろんそれが父親であってもよい。「寄り添うこと」が可能ならば・・・。

「ノーマザー、ノーライフ」は時代と状況によって濃淡はあるが、人種・民族・国家を超越する「道」、それももっとも宗教に近い道である。

烏の啼かぬ日はあっても・・・

2022-08-27 15:41:58 | 専守防衛力を有する永世中立国
2月24日にロシア軍が「大規模軍事演習」の名を借りウクライナの首都キエフ(キーウ)近郊を爆撃して始まったウクライナ=ロシア戦争は8月24日で早6か月、その戦況は毎日、「烏の啼かぬ日はあっても」マスコミに取り上げられない日はない。

報道によれば、これまでの半年間でウクライナ側の犠牲者は軍人が9000人、一般市民が5500人、双方で約1万5千人の人的被害が計上されている。また、ロシア側の犠牲者はほぼ軍人だけ(在ウクライナロシア人は除く)で、8万とも9万とも言われているが、ロシア側からの公表は無いので実数は不明である。

この8月24日は1991年にウクライナが旧ソ連邦の一員からの独立を果たした日であり、ウクライナの最も記念すべき日であったが、ロシアはミサイルでとある駅を攻撃し、民間人多数を殺害した。

現在のゼレンスキ―政権はこれを受けて、ロシアとの関係修復は絶対に有り得ないと声明を出している。2014年にロシアに併合されたクリミア半島のロシア基地や弾薬庫をウクライナ軍が破壊しているのも、今後の長期戦を見据えてのことだろう。

クリミア半島と言えばあのナイチンゲール女史が負傷兵の看護に尽力した「クリミア戦争」のあったところで、当時の戦いは直接的には帝政ロシア(ロマノフ王朝)とオスマン帝国(現トルコ共和国)との戦いであったが、帝政ロシアの威力を畏れたイギリスとフランスとがオスマントルコに加勢したため、戦いは2年半の長期にわたり(1853年~1856年)、双方の戦死者75万という大きな戦争であった。

クリミア戦争では2年半で75万の戦死者であるから、半年当たりにすると15万であり、今度のロシア侵攻によるウクライナ、ロシア双方の戦死者は約10万。SNSを含む報道が激越である割りには少ないように感じるが、逆に当時の戦いがいかに肉弾戦であったかが窺われる。

ただし、クリミア戦争当時、おそらく戦死者数は軍人・軍属に限られるはずで、この半年のロシアの無差別攻撃によって子供を含む一般市民が5500人も亡くなっているのは明白にロシアの戦争犯罪である。いかなる戦争においても一般市民を標的にすることは許されていないのだ。(※当然のことだが、1945年に行われたアメリカの沖縄上陸戦における一般住民への攻撃及び日本本土への無差別空爆と原爆投下は戦争犯罪である。)

もし仮に、今、双方が停戦協定を結び攻撃を止めて終戦に至った際には、ロシアは「一般市民への攻撃に対する罪」(人道への罪)によって裁かれるはずだ。プーチンは「俺は背広姿だった。軍人ではない」と白を切り、罪を国防長官はじめ諸将に着せようとするだろうが、そうは行くまい。

クリミア戦争ほど長期にわたって欲しくはないが、いったいどこで矛を収めるのか、残念ながら予断は許されない状況である。


ところで、7月8日以降、ウクライナ戦争に加え、烏の啼かぬ日はあってもマスコミに登場しない日が無いのが、安倍元首相の暗殺事件と旧統一協会の問題である。(※8日の夕方には繁華街では安倍元首相の殺害に関する号外が配られた。)

最初この殺害事件は安倍氏自身への怨恨、特にモリカケ問題の内のモリ問題によるものかと、私などは思ったものだが、そうではなく容疑者が「旧統一協会に母親を取られ、多額の寄付をさせられて貧困に陥ったことへの恨みから安倍氏を殺害した」と供述したことに驚ろかされたのだった。

その日以降、新聞の第一面には旧統一協会の記事が出ない日はなく、国際面でウクライナ戦争が載らない日はなくなった。

この旧統一協会は自民党との関係が深く、安倍氏の祖父である岸元首相の時代から「国際勝共連合」という名の関連団体が絡んで、そのレールがしっかりと敷かれたようで、関連団体として名を変え品を変えても癒着して来たのが明るみに出て来てしまった。

旧統一協会(正式名は世界基督教統一神霊協会)を組織した文鮮明という人物(1920年生まれ)は、「世界」と「国際」を団体名に冠することがお好みのようで、霊感商法という詐欺まがいの信者獲得が危険視されるようになってからは新しく2015年に「世界平和統一家庭連合」と改名しているのだが、これにもまた「世界」が付けられている。

安倍元首相そのものは旧統一協会と直接的な関係は無いようだが、選挙における票田としての宗教団体の大きな一部であったことは認識していたようだ。その流れで、昨年の家庭連合主催の行事にビデオメッセージを送り、その映像をたまたまか母親が持参した見せたのかは分からないが、とにかく視聴し、その挙句、「安倍元首相も統一協会を応援している。怪しからん」と殺害への思いを募らせてしまったのだろう。

安倍氏もとんだ八つ当たりに遭遇したものである。

8月の内閣改造人事で、副大臣などまで入れた新規被任命者のうち6割とか7割とかの自民党員がやはり旧統一協会と関係を持っていたことが判明し、これも大問題になっている。当の岸田首相にも「熊本岸田会」の後援会長が、文鮮明の提唱した「日韓海底トンネル」協議会の議長をしていたというので話題になっている。

世界基督教統一神霊協会という宗教に名を借り、「日本はサタンの国だ。地獄に落ちたのを救いたかったら金を出せ。天皇は文鮮明・韓鶴子夫妻の前にひれ伏せ。」などと言うとんでもない団体の仕上げがトンネル工事に名を借りた集金だったとは、どこまで金の好きな闇の団体だったのだろうか。


処暑の花火

2022-08-25 20:34:39 | おおすみの風景
暦の上で8月23日は「処暑」で、夏の暑さもようやく和らぎ、季節は秋へと歩み出す頃である。夜、庭に出てみると草むらから秋の到来を告げるコオロギの鳴き声があちこちから聞こえてくる。

日中の主役のセミも、もうクマゼミのあのシュワシュワという大音量は全く消え去り、時たまツクツクボウシが声を振り絞っているが、それもすっかり間遠になった。

今年の夏は台風に見放された珍しい夏だった。例年なら今頃までに3つか4つは西日本のどこかに上陸して被害をもたらすのだが、今年はまるで嘘のようにやって来ないままである。いったいどうしたのだろう。

これも異常気象と言うなら、有難い有難い異常気象だ。

鹿児島県では旧盆のあと、新型コロナウイルス感染のピークを迎え、今も新規感染者が4600人とか多い状態が続いている。ただ当地鹿屋市ではお盆明けの5日間くらいは300人台の後半が続いたが、ここへ来て200人台に落ち着いてきている。

それでも孫の通っている保育施設では休園措置が取られており、子どものいる家庭では親子ともども感染している例もあって、なかなか大変である。


24日の夜は、我が家から直線距離で3~400mにあるハンセン氏病療養施設の星塚敬愛園で花火大会が実施され、娘一家がやって来て見物をした。

庭の南東の隅にかつてプレハブの倉庫が立っていた跡のコンクリートの床がそのまま残っていて、車の駐車場として使っているのだが、そこに椅子とベンチを持ち出して観覧席にした。

午後7時半に予告通り打ち上げが始まった。


最初の500連発と思われる。いやでも花火大会を盛り上げる。


今年の大輪花火はこの手のものが多い。真ん中の流れ花火は普通はそれだけで打ち出されるのだが、大輪とセットになっている。

そのほか、珍しかったのが大輪の半分が別の色になっていたり、中には大輪の向かって左から右へまるでサーチライトがぐるりと回って輝くようなのがあったりした。花火業界も工夫を重ねているのだろう。

星塚敬愛園では例年7月下旬か8月上旬に夏祭りがあり、たいてい夕方明るいうちに1時間余りの歌謡ショーがあり、そのあと暗くなってから花火の打ち上げがある。

歌謡ショーに招かれるのは結構大物歌手が多い。コロナ禍の昨年、一昨年と歌謡ショーは中止になったが、それまで見に行った中で、記憶に残るのが瀬川瑛子、福田こうへい、田川寿美、大川栄策、中村美津子などベテランから若手までよく知られた歌手ばかりであった。

我家からは歩いて10分ほどと近いので、いつも園内で売られている生ビールを片手に聴く歌謡ショーは夏の「マイ風物詩」なのだ。

しかし今回を含めて3回、残念ながら歌謡ショーは中止になった。来年こそは楽しい夏の夜のひと時が味わえるものと期待している。