昨日から安倍元首相の国葬に関するコメントブログを考え、今日中に書きたいと思っていた矢先、今朝、いつものようにウメの散歩を終えてから郵便箱の新聞を取り出し、その一面を眼にした瞬間、アッとつぶやいていた。
京セラ創業者で元会長の稲盛和夫氏が亡くなったとあったのだ。
享年90歳だという。昭和7年(1932年)の生まれで、鹿児島生まれの鹿児島育ち、鹿児島大学の工学部を卒業した根っからの鹿児島人である。
ここで根っからの「薩摩隼人」と書きたいところだが、氏の姿勢は決して隼人の持つ「勇猛果敢」のイメージではなく、むしろ温和に過ぎる風貌であり、実際、新聞の一面に載った写真は柔和な顔で合掌をしているかのような姿である。
稲盛氏は晩年になって京都の禅院で得度を受けているので、その心象にふさわしい写真だ。
鹿児島大学の工学部を卒業した稲盛氏は京都のセラミック会社に就職する。いまでこそセラミックが日常用語になったが当時の会社名は「京都碍子(がいし)」であった。電線を張り巡らす際に必要な絶縁体磁器であり、氏はここで研究に没頭する。
そして5年後には特殊なセラミック(ファインセラミック)の合成に成功し、29歳で独立して「京都セラミック」を旗揚げした。
一大成長の転機は、アメリカの大企業IBMからファインセラミック製の集積回路の大量受注を受け、それに応えたことであった。
その後の快進撃は、まさにサクセスストーリーそのものだ。
今や京セラは生産高が1兆8千億円の日本有数の大企業である。たまたま昨日の新聞に、鹿児島における売上高が100億円以上の企業が掲載されていたが、それによると鹿児島最大の売り上げを誇る企業は「南国殖産」で、約1500億円であるから、その大きさが知れるだろう。
一代で大企業を立ち上げた人としては何と言っても松下幸之助で、松下電器は名実ともに家電メーカーのトップを長年占めて来た。(※いま「白物家電」は中国はじめ後進諸国の席捲に甘んじているが、品質や耐久性ではいまだに高い評価を受けている。)
両者の会社に共通しているのは、一代で立ち上げたことのほか、関西圏で産声を上げた企業であること、そして二人とも後進を育てる「塾」を運営したことだ。
松下幸之助は「松下政経塾」、稲盛和夫は「盛和塾」。
松下のは「政経塾」という名称で明らかなように、政治と経済を学び、それを生かして政界に人材を送るのを主眼としていた。ここを卒業して政治家になった人物はかなり多い。著名なのは鳩山由紀夫政権で国土交通大臣になった前原誠司である。この人は京都の出身であり、稲盛氏とも親交があったという。
それに対して稲盛の「盛和塾」の主眼は「経営哲学」であり、政治的な方面に出ることはなかった。ただ稲盛氏自身は経営者にしては珍しく非自民支持で、前原誠司のかつての民主党や国民民主党系の政治家の後ろ盾でもあった。
稲盛の経営における人間哲学は、日本のみならず中国や台湾でも注目を集めており、稲盛はしばしば現地を訪れて講話をしている。翻訳された書籍も随分と読まれているようだ。
氏の人間学の根底を流れている理念は、あのセゴドンこと西郷隆盛の「敬天愛人」で、鹿児島人にとって最高の敬愛の対象は、また稲盛のバックボーンでもあった。
戦前は明治10年の西南戦争で西郷隆盛という巨星が墜ちたが、その後も幾人かの総理大臣を出し、海軍の軍人では東郷平八郎はじめ数多の諸将を輩出した鹿児島だが、戦後はそういった綺羅星は長らく出現しなかった。
稲盛氏は分野こそ違え、そのような綺羅星に並べられる人物だろう。
葬儀はどうなるのか。おそらく「京セラ葬」という名目の会社による葬儀になるのだろうが、稲盛氏自身は「セゴドンは城山の露と消え、当時の政府に逆らったため、葬儀もままならなかった。俺の葬儀を派手にしてくれてはセゴドンに申し訳ない」という思いを残しているかもしれない。合掌。
京セラ創業者で元会長の稲盛和夫氏が亡くなったとあったのだ。
享年90歳だという。昭和7年(1932年)の生まれで、鹿児島生まれの鹿児島育ち、鹿児島大学の工学部を卒業した根っからの鹿児島人である。
ここで根っからの「薩摩隼人」と書きたいところだが、氏の姿勢は決して隼人の持つ「勇猛果敢」のイメージではなく、むしろ温和に過ぎる風貌であり、実際、新聞の一面に載った写真は柔和な顔で合掌をしているかのような姿である。
稲盛氏は晩年になって京都の禅院で得度を受けているので、その心象にふさわしい写真だ。
鹿児島大学の工学部を卒業した稲盛氏は京都のセラミック会社に就職する。いまでこそセラミックが日常用語になったが当時の会社名は「京都碍子(がいし)」であった。電線を張り巡らす際に必要な絶縁体磁器であり、氏はここで研究に没頭する。
そして5年後には特殊なセラミック(ファインセラミック)の合成に成功し、29歳で独立して「京都セラミック」を旗揚げした。
一大成長の転機は、アメリカの大企業IBMからファインセラミック製の集積回路の大量受注を受け、それに応えたことであった。
その後の快進撃は、まさにサクセスストーリーそのものだ。
今や京セラは生産高が1兆8千億円の日本有数の大企業である。たまたま昨日の新聞に、鹿児島における売上高が100億円以上の企業が掲載されていたが、それによると鹿児島最大の売り上げを誇る企業は「南国殖産」で、約1500億円であるから、その大きさが知れるだろう。
一代で大企業を立ち上げた人としては何と言っても松下幸之助で、松下電器は名実ともに家電メーカーのトップを長年占めて来た。(※いま「白物家電」は中国はじめ後進諸国の席捲に甘んじているが、品質や耐久性ではいまだに高い評価を受けている。)
両者の会社に共通しているのは、一代で立ち上げたことのほか、関西圏で産声を上げた企業であること、そして二人とも後進を育てる「塾」を運営したことだ。
松下幸之助は「松下政経塾」、稲盛和夫は「盛和塾」。
松下のは「政経塾」という名称で明らかなように、政治と経済を学び、それを生かして政界に人材を送るのを主眼としていた。ここを卒業して政治家になった人物はかなり多い。著名なのは鳩山由紀夫政権で国土交通大臣になった前原誠司である。この人は京都の出身であり、稲盛氏とも親交があったという。
それに対して稲盛の「盛和塾」の主眼は「経営哲学」であり、政治的な方面に出ることはなかった。ただ稲盛氏自身は経営者にしては珍しく非自民支持で、前原誠司のかつての民主党や国民民主党系の政治家の後ろ盾でもあった。
稲盛の経営における人間哲学は、日本のみならず中国や台湾でも注目を集めており、稲盛はしばしば現地を訪れて講話をしている。翻訳された書籍も随分と読まれているようだ。
氏の人間学の根底を流れている理念は、あのセゴドンこと西郷隆盛の「敬天愛人」で、鹿児島人にとって最高の敬愛の対象は、また稲盛のバックボーンでもあった。
戦前は明治10年の西南戦争で西郷隆盛という巨星が墜ちたが、その後も幾人かの総理大臣を出し、海軍の軍人では東郷平八郎はじめ数多の諸将を輩出した鹿児島だが、戦後はそういった綺羅星は長らく出現しなかった。
稲盛氏は分野こそ違え、そのような綺羅星に並べられる人物だろう。
葬儀はどうなるのか。おそらく「京セラ葬」という名目の会社による葬儀になるのだろうが、稲盛氏自身は「セゴドンは城山の露と消え、当時の政府に逆らったため、葬儀もままならなかった。俺の葬儀を派手にしてくれてはセゴドンに申し訳ない」という思いを残しているかもしれない。合掌。