私の中で
「感じのいい人
」というのが
かなり重要なポイントとなっていたと思います。
自分自身も人から「感じのいい人」と思われるように振舞うことに
多大なエネルギーを費やしていた…
人を見るときも、
「感じのいい人」かどうかが、
第一の視点でした
。
というのは
「あの人は感じがいいから、周りに気を使えるいい人」
「感じのいい人は人の気持ちを考えられるいい人」
という価値観があったからです。
感じのよくない、無愛想な人は周りに気を使わせて失礼な人…
そう思っていました。
ところがここ数年、
なんだかとっても無駄なところにエネルギーを注いでいたんじゃないかって思うようになりました。
「感じのいい人」を装う、そう振舞うのは
自分が周りからよく思われたいから。
自分をよく見せるために使っていたエネルギー
。
相手に「感じのいい人」を求めるのは
それが「いい人」と思っているから。
そうでない人は「あんなんじゃダメだわ~
」と勝手に決め付けて。
「感じのいい人」はどれだけでも装える、
言わば 身につけている洋服のようなもの
。
洋服は、選ぶのは自分だけど、自分自身ではありません。
自分をよく見せるために、着飾ることにものすごいエネルギーを費やしていたって感じがするんです。
そのエネルギーをもっと自分自身を磨く、
心が曇らないように磨くことに費やせれば、
どんなにか自分が光り輝くことか
。
周りを輝かせることができることか
自分が着飾ったところで、
周りを光り輝かせることはできません
。