最近読んだ本です。
「皇子たちの南北朝 後醍醐天皇の分身」
私にとってかゆい所に手が届く本でした。
太平記を読んでいて気になったのが、後醍醐天皇の皇子が次々に登場する点。
子沢山ということは知っていたけど、名前も似ているし、思わず表を書いちゃったくらいです(^^;)
護良親王(大塔宮)は、後醍醐天皇配流中に中心になって倒幕活動していた方なので
一番インパクトありますが、特に各地に派遣された皇子たちがね…
どんな表を書いたかというと、こんな。
義良→奥州(北畠)
成良→鎌倉(足利直義)
恒良・尊良→越前(新田)
懐良→九州(菊池)
みたいな簡単なの。
ちなみに、資料によって異なりますが、どうやら後醍醐天皇には、皇子皇女合わせて30人はいたようです。
もちろん、歴史上に登場するのはごく一部。
主立った者は、大塔宮護良、宗良(尊澄)のほか、各地に派遣された皇子達です。
しかもみんな十歳以下で…。
…このあたりが太平記を読んでいて、違和感だったところ。
…って子供ですよね、でもちゃんと令旨を出しているから、仕事もされていたようで。
まわりにしっかりした者がついていたからだと思うのですけど。
武家の力を頼るでなく、自らの皇子を使って、南朝の政権を回復・維持しようとした
ところが、後醍醐天皇の発想のすごいところだと思います。
網野善彦さんの本もかつて読んだけど、まさに「異形の王権」…。
そして、皇子たちが、本当によく戦ったということ。
それまでの、朝廷のみやび~…なイメージとは、とうてい結びつきませぬ。
ホラ、平安文学の、和歌とか、色恋に明け暮れる宮中の貴公子達を思い出してごらんなさいヨ(^^;)
それとの比較もあってか、南朝の皇子たち、こうして後からみると悲劇的な要素がとっても大きい…。
それはつまり道具として使われたと思われたからなのです。
(だって、主だった方々、みな短命で、幕府の手にかかって殺されたり、自害したり…)
でも、志半ばで吉野で亡くなった後醍醐の意志を継いで、その後も戦いつづけた
皇子たちに、この本を読み終わってからは、違った印象をもちました。
特に、この歌。
吉野が幕府に攻撃され、後村上帝(義良)が、吉野を捨て、賀名生に移ってから、
兄の宗良ととりかわした歌。
宗良
たらちねの守りをそふるみ吉野の 山をばいづち立ちはなるらむ
後村上返し
ふる郷となりにし山は出でぬれど 親の守りは猶もあるらむ
…父、後醍醐帝の影響は大きかったのだろうなぁ…。
なんだか、この時代のスケールの大きさと、奥の深さに、ほとほと参ってしまった私です。
中世は、文学的にもあまり主だったものがなかったので、スルーしてきた分野ですが、
最近は古代から一貫して日本の歴史を改めて知らなくては…と思う次第です。
「皇子たちの南北朝 後醍醐天皇の分身」
私にとってかゆい所に手が届く本でした。
太平記を読んでいて気になったのが、後醍醐天皇の皇子が次々に登場する点。
子沢山ということは知っていたけど、名前も似ているし、思わず表を書いちゃったくらいです(^^;)
護良親王(大塔宮)は、後醍醐天皇配流中に中心になって倒幕活動していた方なので
一番インパクトありますが、特に各地に派遣された皇子たちがね…
どんな表を書いたかというと、こんな。
義良→奥州(北畠)
成良→鎌倉(足利直義)
恒良・尊良→越前(新田)
懐良→九州(菊池)
みたいな簡単なの。
ちなみに、資料によって異なりますが、どうやら後醍醐天皇には、皇子皇女合わせて30人はいたようです。
もちろん、歴史上に登場するのはごく一部。
主立った者は、大塔宮護良、宗良(尊澄)のほか、各地に派遣された皇子達です。
しかもみんな十歳以下で…。
…このあたりが太平記を読んでいて、違和感だったところ。
…って子供ですよね、でもちゃんと令旨を出しているから、仕事もされていたようで。
まわりにしっかりした者がついていたからだと思うのですけど。
武家の力を頼るでなく、自らの皇子を使って、南朝の政権を回復・維持しようとした
ところが、後醍醐天皇の発想のすごいところだと思います。
網野善彦さんの本もかつて読んだけど、まさに「異形の王権」…。
そして、皇子たちが、本当によく戦ったということ。
それまでの、朝廷のみやび~…なイメージとは、とうてい結びつきませぬ。
ホラ、平安文学の、和歌とか、色恋に明け暮れる宮中の貴公子達を思い出してごらんなさいヨ(^^;)
それとの比較もあってか、南朝の皇子たち、こうして後からみると悲劇的な要素がとっても大きい…。
それはつまり道具として使われたと思われたからなのです。
(だって、主だった方々、みな短命で、幕府の手にかかって殺されたり、自害したり…)
でも、志半ばで吉野で亡くなった後醍醐の意志を継いで、その後も戦いつづけた
皇子たちに、この本を読み終わってからは、違った印象をもちました。
特に、この歌。
吉野が幕府に攻撃され、後村上帝(義良)が、吉野を捨て、賀名生に移ってから、
兄の宗良ととりかわした歌。
宗良
たらちねの守りをそふるみ吉野の 山をばいづち立ちはなるらむ
後村上返し
ふる郷となりにし山は出でぬれど 親の守りは猶もあるらむ
…父、後醍醐帝の影響は大きかったのだろうなぁ…。
なんだか、この時代のスケールの大きさと、奥の深さに、ほとほと参ってしまった私です。
中世は、文学的にもあまり主だったものがなかったので、スルーしてきた分野ですが、
最近は古代から一貫して日本の歴史を改めて知らなくては…と思う次第です。