か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

第二次上海事変(再論)

2013年07月24日 | 東洋歴史

戦争は銃でするようだ。Jonny got his gun.と言えばジョニーが戦場へ行ったことの比喩だとされる。しかし、それほど銃が当たるのであろうか。狙撃においては現在ほぼ1000メートルまで射程は伸びている。だがそれはじっと何日もスコープに敵兵が入るのを待つことのできる右翼の好きなブータン人が得意としたことである。

撃ち損じて弾が急所をそれ苦しむ日本兵をそのグルカ兵は、焼き鳥のくしのように串刺しにした。これは牟田口が常道を外れた作戦を強行したからである。

中国大陸に行ったのが間違いだったとかほざくバカがいる。そんなら樺太は何だ。攻めた覚えはないぞ。中国をとる理由がないなら樺太をとられる理由はもっとない。つまり、

戦前までは領土は弱いものがとられるという鉄の法則で動いていた。

さて38銃だ。弾が湿る。製造工場によってでない弾がある。銃の「くせ」が大きく他人の銃は使いにくい。3.7キロ(着剣して4.1キロ) 地獄の重さだ。一度ポロポロのプラスチックごっこじゃなくて本物を持って山を走れ。必ず死ぬ。走れなくなったら味方の将校が撃つ。

したがってこんなもんで当たる筈はない。実際弾に当たって死んだのは戦死者の2%だ。砲撃、擲弾筒(手榴弾発射機)、重機。兵は赤い液体となって宙に舞った。

しかしここで困るのは便衣隊だ。民間の服装をしているしどこから撃ってくるかわからず非常に困った、とはどの戦争手記にも書いてある。

これは殺すべきだ。ためらったら味方がやられる。市民も含め全員殺すべきだ。それが残虐という
なら中国に行くべきではない。すべての責任は軍がとると言って始めた戦争だから政府は宣戦布告すらしてない。皆殺しの戦争になるのは必然であった。

さあ、責任とれよ陸軍。寡兵よく大敵に抗しと美化されるが、嘘だ。日露戦争以上の死者を出している。

井戸に毒瓦斯(ガス)を入れて苦しませるのは、一人でも敵兵がいる可能性のあるとき当然だ。南京大虐殺をなかったとかいうのもおかしな話だ。弾は民間人と便衣とを分けて飛ばない。

子供の首を切って母親に渡した。父親に娘とSEXをさせた。すんだら殺した。寒いからと家に火をつけて回った。いくらでもある。裏もとっている。上海から南京まで続けた。

一体虐殺でない戦争がどこにあった。

Posted at 2013/07/20

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