イランがパーレビ王朝の支配下にあったころ、石油の富を一族で独占する前近代の王朝に世界中から批判が集まる中で、日本はパーレビと協力して石油プラントを作った。
イラン革命がおこりパーレビは追放された。パーレビに取り入り石油利権のおこぼれにあずかろうと姑息にも石油プラントという巨額のわいろを贈った日本は、革命ですべてを失った。
日本は一貫して反革命の立場に立ってきた。最近ではイラン核開発をやめさせようとイランに対し経済制裁が行われているが、最も熱心なのはアメリカのポチ日本である。
この歴史的経緯を見ても、能天気にイランが親日国であるというネトのウヨウヨの幻想は捨てたがよい。
この歴史的な日本のスタンスをよく知るイランの知識層が、どうして親日になろうか。
テヘランのバザールの商人は「おしん」を見ていたく感激し日本に幻想を持つ人が多い。
しかし、田舎で一生ペルシャ絨毯(じゅうたん)の前に座って目がつぶれるまで絨毯を編む少女は知っている。絨毯商人が少女の貧乏につけ込んで低賃金で児童労働をさせ、それをまた日本の商人が買いたたく。
日給100円で編んだ絨毯は日本に行くと1000万になる。
どうして親日になろうか。
このようにつねにイランに敵対してきた日本のスタンスを変更するならともかく、イランの敵国アメリカと深い紐帯で結ばれた日本がいかにイランから外交成果を得られようか。
何かと仲介をしたがる日本の外交官は、アメリカに「何か直接イランに言いにくいことがあったらおっしゃってください、私がイランに伝えますよ。」と腰ぎんちゃくらしく、あるいはちょうちん持ちらしくお伺いを立てた。
アメリカは言った。「毎週イランのトップとは連絡を取っているからそんな心配イラン。」
このような低能の集合体である日本政府が、仲介します、とか、石油ください、とか言っても笑いものになるだけだ。 現にそうなった。