太宰府天満宮を抜けて裏手に回り、坂をのぼりつめたところに「梅が枝もち」屋がある。かたくなる前に食べたら大変おいしいが、家に帰ってチンしたら元の味がよみがえる。
真っ赤なカバーをかけた椅子と「バンコ」に、アジサイが冴えるのももう間もなくだ。中国人や朝鮮人の金切り声を避けて、ここは静かだ。かりに外人がいたとしても、ここまで来る連中は教養もあり話がとても面白くとにかく静かだ。
その一番奥の「梅が枝もち」屋を左手に折れると小さなトンネルがある。贅沢な造りだ。福岡東方沖地震にもびくともしなかった。昭和3年、麻生太吉が寄進した。
と、パンフレットをうのみにするような無粋なことをしてはならぬ。
小さいとはいえ山をうがち強度を確保するには気絶するほどのカネがかかる。参拝者の便利をはかっただと。ばか。トンネルの向こうにはほとんど人家はない。そのほんの数人のためにトンネルを掘ったというのか。あほ。
麻生太吉は惚れた女のために掘った。お石さんが茶屋に通いやすくするために掘った。炭鉱王、麻生財閥の総帥、太吉にはあらゆる賛辞が並ぶ。麻生のクルマを見て農民は土下座したという。その太吉が何の利益にもならない寄進なぞするか。信仰心からお石の茶屋の真横の出るトンネルを掘るか。天満宮から大きくそれたトンネルを掘るか。
孫の麻生太郎はともかく、ひいじいちゃんの麻生太一は男だった。何とでも言え、これは俺とお石さんとの問題だ。お石が雨に濡れないように造った、自転車に轢かれないようにわざと小さく作り、自転車は押して通るようにした。
今でもそのトンネルは寄進されていない。麻生家の所有だ。お石さんのためにつくった証拠だ。
太一がお石さんとそのトンネルを通った記録はない。また、通れるはずもない。噂が天満宮を押しつぶしたであろう。二人には、何もなかったのだ。性欲ダボハゼどもには想像すらできないことだ。
太一もお石さんにトンネルのことは一言も話していない。それでいいのだ。お石さんは十分わかっていた。
その後も、政界、財界、文筆家、学者。一流の人がお石の茶屋に通った。しかし、お石さんの気持ちが揺らぐことはなかった。1976年、お石さんは、トンネルありがとうと心の中で呟いて独身のまま亡くなった。
総理大臣の佐藤栄作、歌人・吉井勇、第29代総理大臣・犬養毅、詩人で作詞家の野口雨情、緒方竹虎、松岡洋右。
お石さんにとってはダボハゼどもにすぎない。「ガタガタ言うなら黙ってトンネルの一つも掘ってみろ。」言いたかったに違いない。お石の茶屋に行かれたら壁を見上げてください。彼とのツーショットがあります。