能力がないとそのコンプレックスからか、妙に力んだり必要以上に人をバカにしたりする。小学校の先生の中にはこういうのが多い。例外的には頭が下がるほどの神様のような人もいる。子供のために人生をささげたような人だ。とくに女性。男性は校長になりたいという邪念が入るので行動や言動に裏がある。
小学校の先生のうち大多数は女性だ。上記した神様のような人は例外中の例外で、それ以外の人の馬鹿さかげんは尋常ではない。このての人間に限って裏では保護者や子供の悪口にとめどがない。
ほう、そんなに能力がおありならご自分たちでなさる運動会などさぞや素晴らしいものでしょう。
ところがうちの近所の小学校の運動会は違った。かけっこで順位をつけるのは差別だという。
足に早いの遅いのそれぞれ事情があるのだからみんなで手をつないで一列になってゴールしましょう、だと。
まるで文化大革命ではないか。
形式平等主義は子供のやる気を奪う。
この運動会を一年間待ち続けていたはずの足の速い子供がいたはずだ。彼がヒーローになることができる一生で一度のチャンスをなぜ奪った。