小さいころ、じいちゃんが教えてくれた。ボールペンというのはペン先のボールを伝ってインクが紙につくのではない。それなら書かないときでもインクは出つづけ、紙はインクでベトベトになるだろう。
ペン先を持ち上げ紙から離すとボールはわずかに前進しカシメられたノズルに密着する、それが弁として機能しインクを止める。
機械とは、より単純に、しかもより多機能に、という要求をつねに受けている。この矛盾する要求に応えていくのが技術者の使命だ。じいちゃんは続けて、
再び紙の上に書き始めるとき、ボールは回転し、その回転によりインクを紙に運ぶ。
Bicボールペンは弾丸の先につけて撃ち込んでもまだ字が書ける。CMでそれを見た僕らは実験した。当時は、火薬銃ぐらい誰でも作る能力があった。ブロックに撃ち込まれたBicをほじりだし、“Bic”と書いたときは、CMに出演している気分だった。
じつにすばらしいこのボールペンにも欠点があった。
天井にはかけない。インクが重力によって下がり、ボールのインク側が負圧になりボールは回転しても肝心のインクがつかない。
壁に書くときも同様だ。僕は仕事をしていたときはノートを立てて、それに書きながら説明することもあったので困ったことがある。
NASAはこれを解決するため膨大な予算をかけた。初期の宇宙船には日記をかけるほどのメモリーの余裕はない。とりわけプライバシーという権利意識の強いアメリカ人は、privateな空間を欲した。
苦心惨憺どこにでもかけるボールペンができた。今、「パワータンク」として市販されているものと同一の機能だ。ぼくは愛用している。
話はここからだ。僕の話はいつも後半の1/5からが重要で面白い。
NASAは本当の目的を忘れていた。ペンがどの角度であっても書ける。これが目的であった。
当時世界の金の4/5を持っていたアメ公は、すべてカネで買えると信じ、すべてカネで解決できると信じた。USAに出来ないことはない、と。
愚か者。金や権力では手にいらないことがある。むしろそれら汚いものを凌駕する能力を人は持っている。発想力だ。
バイコヌールのソ連人は大笑いをした。
鉛筆を使えよ。