今週の生け花。とてもよくできた。
この頃は写真機をジャンクで買ってきて、家でじっくり修理する。そんな事に凝っていた。すると写真機が20個ぐらいになった。
電子回路の故障であれば修理は不可能である。しかし、カメラの頭脳はそう簡単には故障しない。相変わらず故障はメカニカルな部分である。
修理をするのは楽しいがデジカメの変遷が分かるようになり悲しい気持ちにもなった。初期段階のカメラはFINDERがついているし筐体は金属である。画素は400万画素あれば上等だ。しかもなかには新品もあり、5万円ぐらいしたから今から15年前の5万はなかなかの出費だ。
ぜーんぶ200円。
会社は無駄と知りつつ画素競争を始める。しかも新しいテクノロジーは小出しにしてなかなか現実の製品まで降りてこない。
車もおんなじだ。車をカメラで囲んで当たり屋を防ごうという魂胆だが、腕力の弱いのがドラレコ程度で助かった話は聞かない。
こんなロードレイジは主として九州の田舎の人間だ。強がって追い越したの、ガンつけたの、バカらしいことで人生をつぶしている。生まれてこなければ本人も被害者も穏やかに生きたのに、生まれて人に迷惑だけをかけて死んでいく。
いつかこんなロードレイジがいなくなるためのブログを書く。
早い話が、バカに車を持たせ産業の奴隷として利用しようと考える国土交通省と警察庁がクルマを生産の手段にした。低賃金は人を短気にする。
技術者は精一杯メーカーの特色度出そうと悪戦苦闘している。ホワイトバランスは太陽光から蛍光灯に至るまで全体の光の波長の感度を調整している。それがメーカーごとに特色があって面白い。
別にCARLZEISSを使う必要はなかった。落ち着いたやや青い色調はTessarの色ではない。ほとんどのメーカーのカメラを修理したが、その会社の思想が表れていた。
NIKONはもはや小型デジカメに対するやる気はない。ただ歴史を持つ会社はつまみやボタンの位置、メニュウに出てくる順序などに頻度の高いものを合理的に並べている。それとシャッターの絶妙なストロークの深さ。
この点昨日今日始めた会社とは長日の差がある。同時期にできたカメラではないのでそのまま比較はできない。
マスキングテープを貼っているのは冷たいから。黒テープは光って鳥が逃げないように。私は女のパンツは撮りません。汚い。
重要な技術やほんものの設計思想は、時間がたってもそんなに変わらないのである。NIKONは撤退するので今は中華のおもちゃを作る。CANONは頑丈にできていてタスク深く入ると高級コンデジ並みの芸当ができる。色がきれいだ。カシオはモニターの色が汚い。どういう回路にしたらこんなに汚いカメラができるのか知りたい。
ここ2,3年のカメラはレンズが完全に本体に収納されない。これを本体内に収納しようとすると難しく部品が増えカネがかかるのだ。使いにくい。1ミリも出っ張りのないIXYの高級バージョンを作ってみろ。20万出しても買う。
画素は600万あれば十分だ。嘘だと思うなら撮り比べたらいい。
民間がひそかに技術上のカルテルを結びバカな消費者に技術を小出しにして何回も買わせて儲けようとする。
だが、社会主義のでたらめはそんなレベルではない。旧ソ連製のブリキを打ち抜いたようなカメラを見たとき、そして東独製の戦後そのままのcopyLEIKAを見たとき、東欧の崩壊を予感した。
ファインダーを残したカメラを見ると精密な技術を追求した技術者の苦悩が見える。
あとはそれぞれ色の好みだ。しょせんFILMではない。色の立体感はない。ただ民衆に受けようと使いもしない機能満載で、この頃出てきたメーカーが売れているのが嫌だ。
僕は40年以上NIKON党だった。銀塩(FILM)はいまでも他の追随を許さない。デジカメはCANONの勝ちだな。SONYのボタンが小さいのが残念だ。女性ならいいかな。CASIOはカメラを作ったのが残念だ。発奮せよ。子供だましをするな。CPUの能力をどうでもいいことに割くな。僕でも言えることがある。
カメラは写真を撮る道具だ。