か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

黄色いトースター

2017年02月11日 | 日用家庭用品修理

 

 奥にあるのは電子レンジ。パナソニックがまだナショナルだったころのもので37年前のものだ。大変重たく、一人でかろうじて持てるが移動するには二人いる。出力は低いが、優しくふわーっと出来上がるケーキに至福の時を味わっている。

故障はした。ターンベルト、電球、fuse。本質ではない。

今日はその手前にある黄色いトースター。

これもほぼ20年になるが、焼き加減の調節が一定しなくなった。よく見るとわかるがスイッチが一つ少ない。あるのは電源SWと焼き加減のためのスライドとパンを押し下げるつまみのみだ。

つまりタイマーがない。今の車のように、CPUをいれてセンサーの塊にして行くのとは全く逆行する考え方だ。バイメタルサーモスタットという金属の温度による膨張率の違いを利用した原始的な焼き加減調整だ。

蛍光灯のグロースターターにも入っている。

この利点は何かというと、時間が来たら焼きあがるタイマー式に対し、焼けたら焼き上がりなので夏と冬で調整する必要がない。温度が数百度になるところに電子機器を置いてないから故障が少ない。安い。

周りの人がやけどしないようにうまい工夫をしている。

大きいのだ。修理もしやすい。

巷では前に開くオーブンがよくつかわれるが、そこで茶わん蒸しをしたり目玉焼きを焼いたりするから焦げがついてとても汚い。

トースターはパンを焼くものだ。

たったそれだけのことしかできないのに、このトースターは、電子レンジに負けじと十分大きい。手前に比較のため黄色のBテープ(直径5cm)をおいた。

小さい中に機能が凝縮されているものを良しとする時代もあった。それは貧しい時代が要請したのだ。トースター一つ置けないのは、トースターに責任はない。そんな狭い家に住む自分の落ち度である。

「あれもこれも」を望む国民が本物を知ることはない。言ってしまえばトースターがなくとも死ぬことはない。ガスコンロでもパンは焼ける。「あれもこれも」と機能を満たそうとする限り本物を知る機会は来ない。

70年代、ラーメンをすすってスカイラインに乗る男がいた。僕はその男を笑わない。多くの「あれもこれも」の偽物を拒み彼の価値観は「本物」を求めた。

 

 

 

 

 


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