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【ゆっくり解説】おとぎ話で語れない恐ろしい末路!吉備・温羅伝説の謎!!
いい話題を有難うございます。これは日本書紀で吉備津彦とされた一般には物部氏の祖神ニギハヤヒの吉備平定の史実を誤魔化した話ですよ。
日本書紀は天武天皇が編纂を命じたので天皇の歴史書だと騙されていますが、崩御して34年後に藤原不比等によって完成させられた勝者藤原氏のための歴史書でした。
平安時代の貞観年間の前あたりから地殻変動や火山活動が活発になって地震や津波や噴火が頻発し、世の中が乱れたので、備中国一宮吉備津神社の吉備津彦には特別な神階が与えられていることから、天智天皇の孫光仁天皇から今上天皇までの歴代天皇の祖神だったと分かったのです。
ニギハヤヒ大王は吉備で奴国を再興して、ヤマト王権の基礎を築いた人物です。楯築王墓に葬られています。楯築神社のご神体の亀石というヘビを象った弧帯文石に人の顔が彫られていますが、奴(ナーガ・龍蛇神)国王ニギハヤヒ大王の顔ですよ(^_-)-☆
この人面蛇体の神はシナの三皇神話の筆頭、人類の始祖神とされる天皇伏羲と同じなのですから、天皇のルーツだと分かりました(詳細は「【大発見!】天皇家のルーツの証拠!(*^▽^*)」。
話が長くなったので、つづきはブログ記事にしました。よろしければご参照ください(#^.^#)
何故吉備なのかですが、ニギハヤヒの兄が、宋史 王年代紀十八代奴国王スサノヲだったのです(詳細は「王年代紀は記紀神話を正した!」参照)。スサノヲは丹後半島で玉造工房を整備し、半島南部の鉄を仕入れて、奴国を隆盛にした大王でしたので王宮を留守にすることが多く、宮廷楽師らの反乱で殺されて、倭国を乗っ取られた史実があったのです。
古事記がこの史実を暴露していました。乱暴者の神スサノヲを八百万の神々が捕まえて拷問し、全財産を贖罪として奪って高天原を追放したと書かれています(注1)。
107年に後漢安帝に生口を献上した倭国王帥升の正体が奴国宮廷楽師の師升だということが文献から分かりました。江戸時代に発見された金印ですが、反乱を起こした師升が奴国王にすり替わるためにスサノヲを拷問して金印の在りかを聞き出そうとしたものだと分かります。ところが、いち早くスサノヲの部下が持って逃げる途中、志賀島によって埋めて隠したものだったのです。そのために捕らえたスサノヲの部下160人を奴隷として献上して倭国王に認められたということだったのです(詳細は「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?(´・ω・`)」参照)。
この史実の発見は古代史の謎を解く最初の大きなカギだったのです(^_-)-☆
この師升らの反乱から弟ニギハヤヒと王子イタケルらは祖母イザナミの実家の縄文海人ムナカタ族の手助けで妻木晩田遺跡(むぎばんだいせき)に逃げました。イタケルは出雲を与えられて成長しましたが、ニギハヤヒは、父王イザナギ(十七代奴国王伊弉諾尊)に吉備を任されたかつての部下が旧奴国(狗奴国)を裏切って倭国の交易センター比恵・那珂遺跡群に出入りして交易で隆盛になっていたので、討伐したと推理しています。
出雲王イタケルの子八束命がムナカタ族を束ねる王となって、スサノヲの縁故で半島の鉄を仕入れて隆盛になり、倭国攻略の戦略で大分県大野川流域から阿蘇山麓に鉄製武器製造の鍛冶集落群を造りました。一方、後漢王朝の衰退で半島が混乱して倭国が衰退していたので、八束命の子日高彦(狗奴国の官狗古智卑狗、豊岡市久久比神社祭神の久久遅彦は王の襲名)が菊池川流域に前線基地を作り、倭国の佐賀平野・筑紫平野などを攻撃し、で倭国を滅亡寸前まで追い詰めました。倭国大乱です。ところが半島を平定した公孫氏が帯方郡を設置し、倭国王難升米は公孫氏の支援を受けて、油断していた菊池川の方保田東原(かとうだひがしばる)遺跡などを襲撃して、油断していた日高彦を討った事件がありました。
これによって日高彦のナンバー・ツーのムナカタ族赤坂比古(和邇氏の祖)が狗奴国を裏切り、卑弥呼が登場します。赤坂比古と娘卑弥呼の居城が宇佐市安心院町宮ノ原(みやのはる)遺跡です。倭国大乱に二は海に面した不弥国(うみこく、宗像市田熊遺跡群)から要害堅固な山城に疎開していました。三女神社が卑弥呼の宮室とされた場所だと推理しています。
卑弥呼の死後に狗奴国の追討軍が倭国に到着しましたが、先代赤坂比古の後を継いだ卑弥呼の弟赤坂比古が卑弥呼の死を知って戦意喪失したので、倭国王難升米は金印を持って半島に逃亡した模様です。
無傷で倭国を手に入れた追討軍の大将の尾張王乎止与命(ヲトヨノミコト、ニギハヤヒ大王の子孫、記紀のカグツチ)が狗奴国王を裏切って倭国王に立ったので、日高彦の後を継いでムナカタ族の王となって副将として参戦していた高野御子(記紀の武内宿禰)がそれに不服として、内戦が起こりました。高野御子に加勢した弟赤坂比古の活躍で尾張王を討って、高野御子が倭国を取り戻しました。丁度倭国に来ていた帯方郡使張政の進言で十三歳の台与(記紀の神功皇后のモデル)を外交上、卑弥呼の後の女王として魏を後ろ盾として、結局、狗奴国を裏切ってしまいます。高野御子は列島に散らばっていたムナカタ族を傘下にしたので、後世に大国主と呼ばれます。
大国主の倭国に押し潰されそうになった狗奴国は、腹いせに大国主傘下の無防備な集落青谷上寺地遺跡などを襲撃して、老人・女性や子供まで虐殺しています。そして父の仇討ちのために尾張王建稲種命(熱田神宮祭神、ヤマトタケルのモデル)が九州遠征し、苦難の末に大国主・赤坂比古そして台与を討ち、九州を参戦した狗奴国王の部下(物部氏の祖)に占領した北部九州の統治を任せて、纏向遺跡に凱旋します。卑弥弓呼大王から直ぐに、大国主傘下を平定する命をうけて東国遠征の途中で戦死します。尾張王のあとを継いだ尻綱根命が尾張勢を率いて、丹後半島や北陸道などを鎮撫し、狗奴国王(記紀の崇神天皇)が日本を統一します。
ところが、280年に呉が西晋によって滅ぼされ、シナが統一されましたので、西晋に朝貢していた倭国を討ったので仕返しを怖れて狗奴国は大混乱したようです。大国主・台与の祟りということで狗奴国王は大国主と台与の子ホムダワケを探し出して、大国主と台与の鎮魂のためにヤマトの祭祀王(応神天皇)に即位させて、箸墓で台与を、桜井茶臼山古墳で大国主を改葬しました。つまり、西晋の追討を逃れるために、狗奴国を邪馬台国の後継国として、狗奴国の王都(纏向遺跡)をヤマトと呼ぶことにしたと推理しました。なお、仲哀天皇が応神天皇の父というのは誤魔化しですよ(詳細は「仲哀天皇の謎?( ^)o(^ )」参照)。
以上がヤマト王権成立の仮説の概略です(文末の図参照)。
日本書紀では尾張王建稲種命の仇討ちを景行天皇の九州遠征の話として誤魔化していますが(詳細は「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)(その2)(その3)(その4)」参照)、民話の猿カニ合戦はこの史実から作られたものです(詳細は「サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?」「抹殺された尾張氏の謎(その1)、(その2)、抹殺された尾張氏の謎(その3)尾張と言えばカニだ~わ!」参照)。また、崇神天皇紀の四道将軍、日本武尊の東海遠征や仲哀天皇の熊襲征伐、神功皇后による応神天皇の即位までの約350年の話を創って、三世紀後半の日本建国の史実を誤魔化したということが考古学や民俗学などの成果から判明しました(詳細は「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」参照)。
712年に完成されたとされる現存する最古の歴史書「古事記」は、九世紀の日本書紀の勉強会で突然表に出されたものなのです。正史に古事記の記録はなく、日本書紀で参照した痕跡も見当たりません。日本書紀が隠した史実をそれとなく暴露する暗号書だったのです(詳細は「「記紀は天皇の歴史書」が古代妄想?」」参照)。
最初の暗号は高天原に最初に降り立ったのが天御中主神としています。紀元前4世紀初頭の福岡市吉武高木遺跡で日本最初の王墓群が発見されています。初代奴国王天御中主、二代王天村雲尊、三代王天八重雲尊と王妃や王族の墓がありました。天村雲尊の木簡から三種の神器が揃って見つかっています。四代王天爾聞尊(あめのににぎのみこと)の墓は春日市須玖岡本遺跡の最古の王墓だと推理しています。祖父から王権の印(レガリヤ)として後に草薙剣とされた天叢雲剣を与えられて福岡平野を平定した史実から、日本書紀の天孫降臨神話が創作されたのですよ(詳細は、「【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?」参照)。
初代奴国王の天御中主の名前は、ナーガ(龍蛇神)を信奉する倭人の王という意味なのです。紀元前473年に滅んだ呉の王族が半島南部の倭人に助けられて逃げ、恐らく寒冷化による治安の悪化の影響で九州に遷都したのでした。ここから日本の歴史が始まったわけですが、日本人の本当の神話は、上で述べたように中国(なかつくに)の三皇神話だったのです(詳細は「中国神話は日本人の神話だった?」参照)。
初代奴国王天御中主の子孫のニギハヤヒ大王は宋史 王年代紀の十九代奴国王天照大神尊、先代旧事本紀の天照国照彦天火明櫛玉饒速日命だったのです。神武東征神話ではヤマトに先に降り立っていた天孫で、逆らう義理の兄のナガスネヒコを斬って神武天皇が即位する話は、ニギハヤヒの子孫が大国主(トビ・トミで蛇神)を討って初代ヤマトの祭祀王が即位した史実から創作しています。古事記はナガスネヒコが大国主(トビヒコ)と暴露しています。大国主の国譲り神話も、高天原から送り込まれた神タケミカズチとフツヌシはそれぞれ尾張王建稲種命と狗奴国王の部下(物部氏の祖)のことなのです(詳細は「国譲り神話は都合の悪い史実を隠すためだった!」参照)。
これで記紀神話の正体がお分かり頂いたと思います(^_-)-☆
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「於是八百萬神共議而、於速須佐之男命、負千位置戸、亦切鬚及手足爪令拔而、神夜良比夜良比岐(その後、八百万の神々一同は相談して、須佐之男にたくさんの贖罪の品物を科した。また、髭と手足の爪とを切って祓えを科し、高天原から追放してしまった。)」(「古事記」上巻、訳は 「古事記・現代語訳「上巻」天照大御神と須佐之男命」より引用)