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#今回はフォローさせていただいている方のブログをテーマにしました。よく知られた百人一首の中の持統天皇の有名な歌を英訳されていますので興味を持ちました。つい、いつものように不躾なコメントをしましたが、とてもいいお返事を頂きました。本ブログで紹介させていただくことも、快諾頂きました。改めて感謝いたします。よろしければお付き合いください(#^.^#)
英訳百人一首002持統天皇
花咲く丘の高校生@gooーblog
春過ぎて 夏きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
いい話題を有難うございます。人気古代史作家の関裕二さんは、天武天皇崩御後に持統天皇が即位した状況が現れていると解説していました。つまり、天香久山は霊山ですので、人間が立ち入るような山ではないのに、そこに洗濯物を干すなどというのはあり得ない話ですので、皇位を奪った喜びの歌だと解釈していました。出典は多分「持統天皇 血塗られた皇祖神」(ワニ文庫)だったと思います。(注)
ところが、天武天皇の後には高市皇子が即位していたという証拠が見つかっています。長男の長屋王の広大な屋敷跡から長屋親王と墨守された木簡が出土しています。701年の大宝律令では親王は天皇の兄弟か皇子だけです。
もしも高市皇子が即位していたら、持統天皇は存在しないのですよネ(^_-)-☆
その証拠が、京都にある天皇家の菩提寺泉涌寺(せんにゅうじ)で天智天皇から飛んで孫の光仁天皇より今上天皇までの歴代天皇を仏式で祀っているのですが、明治になるまで江戸時代の二人の女性天皇が天皇として祀られていなかったのです。仏事に揚げる肖像画は明治になって描かれたものですから。
ですから、この歌は後世に作られたものの可能性が高いです。
何が言いたいかというと、日本書紀は天皇の歴史書ではなく、藤原不比等による勝者の歴史書なのです。なので、不都合な話は捏造して誤魔化しているなのです。
現在、愛子内親王を即位させようという天皇家の消滅を狙った反日活動家の動きで、国民の多くがそれに賛同しているようですが、日本の歴史上、女帝は存在しないと言いたかったのです。伝統国家の日本を護るために女性天皇や女系天皇に反対しないと日本が日本でなくなるという話でした。突然お邪魔して申し訳なかったです(;^ω^赤字は後で追加しました)。
おはようございます、katumoku10 さん
コメントありがとうございます。
なるほど、持統天皇即位には血生臭い抗争があったのですね。
私の中学生の頃は「衣干したり天の香具山」と習ったのですが、「衣干すてふ・・・」と伝聞で詠まれていたのですね。
この歌だけを読むと、うららかな初夏を描写しているように思えますが、実は春先の地吹雪のような激しい抗争の後、ようやく政権が落ち着いてきた安堵の心境を歌ったものでしょうか。
いずれにせよ、持統天皇の素晴らしい感性を読み取ることのできる一首だと思っています。
私も、戸籍制度や天皇制やら日本の「国家体制」にいちゃもんをつける反日活動家には立腹しています。
今後ともよろしくお願いいたします。(ゆ~)
的外れなコメントでしたので少し、躊躇していたのですが、とても心強いお返事を頂いたので、安心し、嬉しくなりました。どうも有難うございました(;^ω^)
(注)すいません、出典の記憶違いでした。正しくは、関裕二「万葉集に隠された古代史の真実」PHP文庫 2019(pp.244-254)でした(;^ω^)
『持統天皇が胸に秘めていた野望が、万葉集の中に暗号めかしく折り込まれている。それが百人一首にも取り上げられている天香久山の歌である。題詞には、「藤原の宮に天の下知らしめしし天皇の代」とあるから、持統八年(六九四)以降の作だ。
<中略>
持統天皇は天武天皇の王家を継承したように見せかけて、実は持統天皇から始まる新たな王朝を構築していたと思われる。つまり、女性の太陽神・天照大神を自らの姿になぞらえ、「天照大神(持統天皇)から始まる王家」という観念上の新王家を開いたのであり、だからこそ持統天皇に、高天原広野姫天皇という天照大神を暗示する諡号が与えられたのであろう。
<中略>
なぜ持統天皇はこのような「背伸び」をしたのだろう。それは、持統女帝から始まる新たな王家の正統性を構築するためであろう。つまり、持統天皇の出現によって、ここから始まる王家は「持統王家(天智天皇の王家でもある)」となり、天武の王家は観念上葬り去られたのである。』
持統天皇の喜びの歌というのも記憶違いでした。すんまへん(*´Д`)
それで、いいところまで謎ときして頂いたのですが、ここで止まると不比等の意図を汲んだ藤原氏の罠にはまることになるのです。どういうことか説明します(^_-)-☆
天智天皇はヤマト王権の基礎を築いた第十九代奴国王天照大神尊ニギハヤヒ大王の正統な跡継ぎだと推理しています。藤原氏は天智天皇の子孫(男系男子)に皇位を継がせるのが正統だと不比等から遺言されていたはずです。実際に天智天皇の孫の光仁天皇が皇位を継ぎ、今上天皇まで続いているのです(詳細は【関連記事】「言挙げしてはいけない古代史の秘密(;^ω^)」の図を参照)。
実在しない持統天皇は皇位をニギハヤヒ大王の子孫に渡すための仮託、つまりかこつけたのです。持統天皇は不比等の創作ですので、持統天皇とされた天武天皇妃(天智天皇の皇女)鵜野讃良(うのさらら)がどこまで野望を持っていたのかははっきりと分かりませんが、ニギハヤヒ大王と同じ天照大神という神号を不比等が与えたのです。
また天武天皇から聖武天皇さらには淡路廃帝(淳仁天皇・舎人親王の子大炊王)まで含めた男性天皇は、スサノヲ・大国主・初代応神天皇の子孫の「ヤマトの祭祀王」なので、藤原氏にとってニギハヤヒ大王を始祖とする正統な天皇ではないのです。勿論、元明・元正・孝謙(称徳)天皇という女帝はフェイクですが。
泉涌寺が、江戸時代まで天智天皇と、飛んで光仁天皇から孝明天皇までの歴代の男性天皇だけを天皇として祀っていたことから分かります(^_-)-☆
【関連記事】
神話が隠した不自然な史実。
不比等が何のために高天原神話を創作したのかを調べました。これによって女性天皇は存在しないことが分かってきました。そうすると、日本書紀に隠された不比等の悪事も見えてきました。それを隠すための高市皇子の出自に関するウソが分かり、卑弥呼やその一族の二人の天皇を隠さねばならない理由も分かりました(詳細は「【発見!】仁徳天皇の怖い秘密?」「空白の世紀と倭の五王の謎(その1)・(その2)・(その3)」参照)。
言挙げしてはいけない古代史の秘密(;^ω^)
日本の古代史が謎だらけなので、九州王朝説などの天才的な発想の様々な仮説が飛び出して収集がつかない状況でしたが、記紀が天皇の歴史書ではないと気づけば、不比等の気持ちを読んで隠したかったことが分かりました(#^.^#)
一番は不比等が権力を握るために行った悪事で、次に権力を握り続けるために都合の悪い出自を隠したということだと推理しました(^_-)-☆
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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