大きいせいか何度も落としなかなか飲み込むことが出来ません。
小説や戦争映画で日本軍が行った数々の蛮行は時代の流れとともに薄れ、消える運命にあるが、身近の人間が体験に基づき記述した文章は、何故か心に響くものがある。叔父が記述した随想は他山の石として、白日にさらすことになるが、いびつな社会が造る世界は何らかの参考にはなると思い、いくつかピックアップしてこのブログに投稿することとした。
昭和17年10月1日、臨時召集により、名門金沢の歩兵第七連隊に入隊した。星一つの初年兵である。9月20日繰り上げ卒業して10日位経ってからである。仲間は全員高専卒以上の学徒兵であった。本籍地が金沢にあったため、今まで一度も住んだことがない北国で暮らすこととなった。東京都とは気候も違い、異郷という感じであった。
初年兵は入営して一日二日はお客様扱いであるが、三日目からは班長を始め、班付き上等兵の厳しいしごきが待っていた。動作がノロイ、掃除の仕方が悪い、棚の整頓が悪いといっては木銃で突き落とされ、時にはビンタも飛ぶ。編み上げ靴の手入れが悪いと、寝ている間に引き上げられ、翌朝ビンタである。銃の手入れが悪いとこれまた、大変である。夜の点呼のとき、銃を持ってこいといわれるとビクッとする。構え銃の姿勢で銃口蓋を取り、槓桿(こうかん)を開けて待つ。班長が端から順番に銃口を覗き、少しでも線条にカスが残っていたり、油が多かったりすると駄目だった。いつも30人中三分の一はひっかかり、ビンタを喰らって再手入れ。物悲しく消灯ラッパが鳴る。「新兵さんは可哀想だね。夜寝て泣くんだよ・・・・」将にそのとおりである。
一番恐ろしいのは、古年兵不寝番の撃鉄検査である。これは定期的に行われるのではなく、はからずも不審番に当たった古年兵の思いつきといって良い。消灯後一同が寝静まった頃、初年兵の班の銃架の端から順々に撃鉄(引き金)を引いていく。普通手入れ後に落としておく撃鉄がそのままになっていると、引いたとたんガチッと音がする。「○○○○○番の持ち主出てこい。」と怒鳴られ、その兵が不寝番に連れて行かれる。自分のではないとホッとして寝られる。(次回へ続きます)