初年兵教育の訓練時は、よく往復駆け足をした。自分自身、初年兵当時は駆け足が苦手で良く落伍したが、初年兵・集合教育及び予備士官学校での訓練のお陰で駆け足も苦にならなくなった。駆け足は、兵を強くするためであった。雨や雪の日は、日課を変更し、学科・精神訓話あるいは体操に振り替えるのが普通であったが、検閲が近づくと教育計画をこなすため、雨の日でも雪の日でも演習に出かけざるを得なかった。
ある雪の降りしきる日に、連隊から四里離れた安原の海岸まで演習に行った。午前の訓練が終わり、昼食のため午後一時まで小休止した。雨や雪の日の休憩は、民家の軒先を借りるが、激しく降る場合には民家の厚意で暖炉裏端を使わせて貰うこともあった。その際、たとえ酒を出されても、演習中ということで絶対に口にしてはいけなかった。
午後一時近くになって、「集合!」を掛け、兵の整列を待つ。やや遅れて、班長や上等兵たちが赤い顔をして、ふらふらと集まってきた。教育に当たる班長達が禁を破って酒を飲むとは何事だと、さすがの自分も怒った。「貴様!酒を飲んだな!」と怒鳴ると「申し訳ありません」と口先だけで謝る。「こんな状態では訓練もできん。これから帰営する。T上等兵、落伍者を拾ってこい」と命令し、安原から連隊まで四里の道を駆け足で走り始めた。
その理由の第一は率先垂範すべき教育係が酒に酔っていること、第二は吹雪になり積もる雪のため帰営が遅くなる恐れがあることであった。兵隊には罪はないが、致し方ない。先頭に立って走るが次第に隊列が崩れる。速度を緩めて、皆がついてくるようにし、中間点付近では休憩。10分後に走り出した。もう直ぐ市内に入る。隊列を整えながら走る。
兵隊達は歯を食いしばって頑張っている。香林坊を通り、尾崎神社から黒門通りを経て、あと、二~三百メートルで営門というところで落伍者が続出した。営門を「演習中!」といって走り抜け、三中隊前に到着した。自分に従ってきた兵は三分の一の20名位になっていた。予定よりも早く三時過ぎに帰営できた。落伍者を待って、「本日はご苦労。ゆっくり休め」と労いの言葉をかけ解散した。
あとで同僚の見習士官から聞くと、営門前の店の人たちが「あの教官は鬼教官だ」といっていたそうだ。本音は営門通過を心配して行ったことであったが、連隊でお咎めはなく、過去の出来事で済んでいる。