通勤途中で、目があいました(笑)
1700年代後半から1800年代前半にかけて相次いで発行された蝦夷地の古い記録
=「蝦夷図説(蝦夷島奇観)」「蝦夷草紙」「東遊記」などによると、
蝦夷地はワシの尾羽の産地で、諸国諸大名の弓の矢羽に使うために移出され、
それがアイヌの手によって捕られたことが記されています。
オオワシはアイヌ語で「kapatcir カパッチリ」とか「kapatcir kamuy カパッチリカムイ(ワシ・神)」といい、
カワウソやテン、アザラシ、ラッコなどの皮やクマの皮、胆などと並び、
本州向けに交易された狩猟物とともに軽物と呼ばれ、
アイヌが生産し高値で取引される商品でした。
松前藩や幕府によって専売品とされましたが、集荷は場所請負人が行っていたため、
しばしば不正の対象にもなったとか。
軽物のほとんどを生産できる蝦夷地の東部地域は交易の一大拠点であり、
ゆえに自立的なアイヌ社会が保持されたといわれます。
当時、1羽分の尾羽を1尻、10尻を1把、1把が米4斗(1俵)から8斗に相当したといいますから、
いかに価値の高いものとして扱われたかがうかがえます。
ちなみに、カムイと称されたオオワシに対し、
同じワシでもオジロワシにはカムイと呼ばれていた記録は見当たりません。
どうやら尾羽の枚数がオオワシは14枚でオジロワシは2枚少ない12枚ということが
影響しているようだとも伝えられていますが、
はたして…!?
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