久しぶりに近所をお散歩した。
まずは関口芭蕉庵。ここは松尾芭蕉が神田川の改修工事の監督をしていた頃の、1677年から1680年の間に住んでいた場所。没後、芭蕉と弟子たちを祀った芭蕉堂が建てられていた。今は戦後再建された芭蕉庵と芭蕉堂が建つ。神田川沿いの正門はいつも閉じられていて、水神社との間の胸突坂の通用門から出入りする。最初の写真はその通用門。
中は小さな庭園で、湧き水をためたひょうたん池がある。池の周りを散策できるつくりになっていて、木々の間に歌碑が配置されている。
まずは関口芭蕉庵。ここは松尾芭蕉が神田川の改修工事の監督をしていた頃の、1677年から1680年の間に住んでいた場所。没後、芭蕉と弟子たちを祀った芭蕉堂が建てられていた。今は戦後再建された芭蕉庵と芭蕉堂が建つ。神田川沿いの正門はいつも閉じられていて、水神社との間の胸突坂の通用門から出入りする。最初の写真はその通用門。
中は小さな庭園で、湧き水をためたひょうたん池がある。池の周りを散策できるつくりになっていて、木々の間に歌碑が配置されている。
大きな芭蕉の木が目印
さみだれ塚は、「五月雨にかくれぬものや 瀬田の橋」の芭蕉の短冊を埋めて墓としたとされていて、関東に7箇所ある「芭蕉の墓」の一つ。
水神社のほぼ隣は肥後細川庭園。幕末に熊本の細川候の下屋敷になり、明治には細川家の本邸になった。昭和になって東京都が買い上げて新江戸川公園となり、その後文京区に移管され、今は文京区立肥後細川庭園、が正式名称。あたしたちが一番最初に来たときはまだ新江戸川公園って呼んでたから、この名前になったのはかなり最近のことだと思う。
区立の公園のためか入り口がたくさんあって便利、水神社に一番近い場所から入った。池の向こうにあるのは松聲閣。細川家の学問所、一時期は細川家の住まいだったらしい。今は見学可能だしカフェも併設されている。寄席や文化と自然を楽しむ講座がシリーズで開かれている。毎回抹茶と季節の和菓子がついているところが大名関連施設っぽい(笑)。
本当はもう少し遠出しようと思っていたんだけど、なんと主人のスマホのバッテリーがピンチ〜。携帯用バッテリーも「充電したと思ってたんだけどなぁ」で役に立たず。じゃあ帰りますかってことで、途中カフェに寄り一息ついてから、マリア大聖堂にお邪魔して帰ることにした。
内部は撮影禁止。お祈りの場だからね。丹下健三設計で1964年に竣工。ここはカテドラルなので東京教区の大司教が儀式を司祭する、東京教区の教会の親玉っていえばいいのかな。内部の打ちっぱなしのコンクリート壁は、トップライトからの光を際立たせるので、荘厳な印象さえした。うちから見るとカテドラルと一体化しているように見える鐘塔は、敷地内の別の場所に立っている。
キリスト教が解禁された19世紀後半、フランスから運ばれてきた2つの鐘のうちのひとつ。ギュスターブ・ボアソナード氏とアンリエット夫人により寄付され、アドレード・ジョセフィーヌと名付けられていた。もう一つの鐘は「江戸のジャンヌ・ルイーズ」と名付けられ、最初は二つ揃って築地教会の聖堂で鳴り響いていた。その後東京大司教座が関口教会に移されたのと一緒に、こちらに移設。戦時中の供出は、明治憲法記念会からの申し入れで免れた模様。もう一つの鐘は今でも築地教会に保管されているらしい。松方コレクションを、サンフランシスコ講和条約後に寄贈返還したのもフランス。まだODAなんて言葉のなかったであろう時代に、フランスは政府開発援助のお手本を日本に示してくれていたのかも、って思える。
同じく敷地内には、フランス人宣教師ドマンジエル神父が建てた、ルルドの洞窟がある。今日は外国人女性が最前列で膝をついてお祈りを捧げていらした。あたしもベンチに座って、マロのことをお願いした。
近所を散策するだけで、坂を登ったり下ったり結構足腰が鍛えられる。冬の間は永青文庫も鳩山会館も閉まっていて、野間記念館はこれから美術館とは異なる文化施設に生まれ変わるために休館中。それでもいろんなものに刺激をされる、楽しい散歩だった。文京区ばんずあぁぁぁ〜い(苦笑)。
敷地内には文京区の保護樹木を含む多くの植物が生い茂り、今はちょうど椿が盛りをちょっとすぎたかな?って感じで咲いていた。このあたりは古くは椿の名所で椿山と呼ばれていた名残かな?
芭蕉庵を出ると坂を挟んで水神社。上水道関口水門の守護神
鳥居の後ろにそびえるイチョウは、文京区の保護樹木
水神社のほぼ隣は肥後細川庭園。幕末に熊本の細川候の下屋敷になり、明治には細川家の本邸になった。昭和になって東京都が買い上げて新江戸川公園となり、その後文京区に移管され、今は文京区立肥後細川庭園、が正式名称。あたしたちが一番最初に来たときはまだ新江戸川公園って呼んでたから、この名前になったのはかなり最近のことだと思う。
区立の公園のためか入り口がたくさんあって便利、水神社に一番近い場所から入った。池の向こうにあるのは松聲閣。細川家の学問所、一時期は細川家の住まいだったらしい。今は見学可能だしカフェも併設されている。寄席や文化と自然を楽しむ講座がシリーズで開かれている。毎回抹茶と季節の和菓子がついているところが大名関連施設っぽい(笑)。
池泉回遊式庭園、鴨の夫婦が水遊び中
いつ来ても、本当に手入れが行き届いたお庭だと感心する
日当たりの良いお庭で紅梅がほころんでいた
本当はもう少し遠出しようと思っていたんだけど、なんと主人のスマホのバッテリーがピンチ〜。携帯用バッテリーも「充電したと思ってたんだけどなぁ」で役に立たず。じゃあ帰りますかってことで、途中カフェに寄り一息ついてから、マリア大聖堂にお邪魔して帰ることにした。
内部は撮影禁止。お祈りの場だからね。丹下健三設計で1964年に竣工。ここはカテドラルなので東京教区の大司教が儀式を司祭する、東京教区の教会の親玉っていえばいいのかな。内部の打ちっぱなしのコンクリート壁は、トップライトからの光を際立たせるので、荘厳な印象さえした。うちから見るとカテドラルと一体化しているように見える鐘塔は、敷地内の別の場所に立っている。
キリスト教が解禁された19世紀後半、フランスから運ばれてきた2つの鐘のうちのひとつ。ギュスターブ・ボアソナード氏とアンリエット夫人により寄付され、アドレード・ジョセフィーヌと名付けられていた。もう一つの鐘は「江戸のジャンヌ・ルイーズ」と名付けられ、最初は二つ揃って築地教会の聖堂で鳴り響いていた。その後東京大司教座が関口教会に移されたのと一緒に、こちらに移設。戦時中の供出は、明治憲法記念会からの申し入れで免れた模様。もう一つの鐘は今でも築地教会に保管されているらしい。松方コレクションを、サンフランシスコ講和条約後に寄贈返還したのもフランス。まだODAなんて言葉のなかったであろう時代に、フランスは政府開発援助のお手本を日本に示してくれていたのかも、って思える。
今の大聖堂が完成した1964年にお役目を終え、今は敷地内に飾ってある
同じく敷地内には、フランス人宣教師ドマンジエル神父が建てた、ルルドの洞窟がある。今日は外国人女性が最前列で膝をついてお祈りを捧げていらした。あたしもベンチに座って、マロのことをお願いした。
近所を散策するだけで、坂を登ったり下ったり結構足腰が鍛えられる。冬の間は永青文庫も鳩山会館も閉まっていて、野間記念館はこれから美術館とは異なる文化施設に生まれ変わるために休館中。それでもいろんなものに刺激をされる、楽しい散歩だった。文京区ばんずあぁぁぁ〜い(苦笑)。
いずれまたゆっくり来たいと思いながら
小雨の中を歩きました。
きょうは暖かくて、お散歩日和でしたね。
もう紅梅が開き始めているのですね。
春の足音が聞こえますね。
良いですね。
ゆっくり歩いてみたいです。
小庭園での書道展、雰囲気があっていいですね。
雪が舞った土曜日とは打って変わって
日差しが暖かい日曜日でした。
紅梅が咲き始めていて、季節が進んでいるなぁと感じました。
ビルの間に小さな祠や神社があったり
皇居にも江戸城時代の石垣が残ってたり。
昨日は肥後細川庭園に何人もカメラを抱えた方が歩いていました。
三脚を立てて本格的な撮影をしようとする人までいましたよ。
なんでもやっているんですね
日本中に彼の足跡が残っています
やはり忍者でも あったのか ?
kebanecoさんは 文京区でも 湯島天神の方へは あまりいらっしゃらないのですね
周囲に沢山面白いスポットがあって羨ましいです
確かに、やっぱりスパイ?忍者?だったのかなぁ。
湯島天神、確かに〜。
うちは新宿区や豊島区に近い、文京区の外れの方なので(苦笑)。
そういえば岩崎邸に行っても湯島天神にはいかなかったなぁ