2015年7月26日放送の、テレビ東京「池上彰の教科書に載っていない
20世紀 戦争を考えるSP」を観る。
ちょうど2年前の2013年7月29日に、麻生太郎副大臣は、次のように語っている。
「ナチス政権下のドイツでは、憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって
ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。
あの手口、学んだらどうかね」
この番組では過去から学んだ事例を挙げている。
麻生太郎が言った通り、今の政権とヒトラーとの類似点がいくつもあり興味深かった。
(1)まずは経済政策で国民の支持を得る。
1929年世界恐慌。1932年には失業者が600万人いた。
まずヒトラーが手がけたのは大規模な公共事業の実施だ。
アウトバーン(高速道路)を建設し雇用を生み出し、失業者を50万人まで減らした。
フォルクスワーゲン(国民車)の設計を依頼したのもヒトラーだ。
これで国民のふところが潤い、仕事を得ることができた。
(2)恐怖を煽り、共通の敵を作る。
国民を熱狂させるために共通の敵を作り、みんなを団結させた。
まずは「マルクス主義打倒」、次は「社会民主主義打倒」、次は「民主主義打倒」、
最後は「ユダヤ人打倒」と、次々に新たな敵を作っては潰していった。
(3)演説で「平和」「自由」「取り戻す」を何度も使う。
「ドイツ民族の栄光を取り戻す」
「我々ドイツそしてオーストリアで、あるいは北で西で、あらゆる場所で、ドイツ国民を
そして祖国を、正しい動きに戻そうではありませんか」
「我々が再び立ち上がりたいのであれば、天才的な独裁者が必要である」
「平和のための独裁」
「平和を愛するとともに、勇敢な国民になってほしい」(若者に向けて)
「総統は我々に勝利を約束する。我々に平和を保障してくれる」
(ナチス党大会で、側近ルドルフ・ヘスの開会宣言)
「労働が自由をもたらす」(ダッハウ強制収容所の入り口に書かれた言葉)など。
また、ジェスチャー(指を立てるなど)を使ったり、集会を夜に開くなど、
幻想的な雰囲気の中で国民の熱狂を演出した。
(そういえば、「日本を取り戻しゅ」というのもあったっけ)
(4)憲法を変えずに、憲法の解釈を変える。
「ワイマール憲法」は、第一次世界大戦後に制定されたドイツの憲法で、
当時、世界で最も民主的な憲法と言われた。
ところがヒトラー内閣は、1933年に「全権委任法」を成立させる。
これにより、国会が立法権を政府に委譲することになる。
憲法は変えないでおいて、憲法の下で新しい法律をつくり、憲法の効力を
無くしてしまう。つまり憲法は変えずに、憲法の解釈を変えた。
(憲法解釈でのあまりの一致に、コメンテーターが笑いを堪えているように見えたのは、
私の思い過ごしだろうか)
次に、心に残った言葉を引用します。
(1)アドルフ・ヒトラー
「大衆の多くは無知で愚かである。嘘を大声で十分に時間を費やして語れば、
人はそれを信じるようになる」
「私は、我が民族の復活がおのずから達成されるとは思っていない。
国民自らが、全力を尽くすべきである。
自由や幸せな生活が突然、天から降ってくることはない。
全ては我々自身の意志と行動に掛かっている。
我が国家、我が民族以外の助けを望んではならない!
ドイツ国民の未来は、我々自身の中にこそ存在するのである。
国民自身が国民を向上させるのだ。
勤勉と決断と誇りと屈強さによって、
ドイツを興した祖先と同じ位置に上ることが出来るのだ」 (首相就任演説)
(2)ワイツゼッカー元独大統領
1985年5月8日、ワイツゼッカー元大統領はドイツ連邦議会で
次のように演説している。
「後になって過去を変えたり、起らなかったことにするわけにはまいりません。
過去に目を閉ざすものは結局のところ、現在にも盲目になるのです。
非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、新たなそういう危険に陥りやすい
のです。ユダヤ人はそれ(非人間的な行為)を心に刻んでいます」
(3)メルケル首相
2015年5月3日、メルケル首相はダッハウ強制収容所解放70年式典で、
次のように演説している。
「私たちは決してこの歴史を忘れてはいけない。常に謝罪し続けることが必要だ。
国としてまた市民としての義務により、私たちドイツ人は全てのナチス犠牲者に
対して責任を負っています。
ここダッハウ強制収容所の犠牲者に対しても同様です」
(4)91才のナチス元兵士
「ヒトラーは労働者にパンを与え、アウトバーンを建設した。
それによって人々は仕事を得ることができました。
奴は狂っていました。
そしてドイツの全ての国民を狂わせました。
なぜ誰も奴を止めることが出来なかったのか・・・なぜ・・・どうして・・・。
(5)池上彰
「ドイツの子どもたちは必ず強制収容所の歴史を学ぶ。
過去にあったことをきちんと認識しなければいけない。
そうした姿勢を示すことで、周りの国々の信頼を得ている」
2015年5月、ナチス発祥の地であるミュンヘンに、「NS文書センター(ナチス資料館)
が作られた。
ここは過去にナチスが行ったことの、加害者の歴史の記録を展示している。
番組の最後では、ミュンヘン大学での反ナチスの運動(白バラ運動)で、
命をかけてナチスと闘い、犠牲になった若者たちへの記念碑が映しだされた。
それは地面に埋め込まれた、反ナチス運動の「散らばるビラ」だった。 (敬称略)
20世紀 戦争を考えるSP」を観る。
ちょうど2年前の2013年7月29日に、麻生太郎副大臣は、次のように語っている。
「ナチス政権下のドイツでは、憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって
ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。
あの手口、学んだらどうかね」
この番組では過去から学んだ事例を挙げている。
麻生太郎が言った通り、今の政権とヒトラーとの類似点がいくつもあり興味深かった。
(1)まずは経済政策で国民の支持を得る。
1929年世界恐慌。1932年には失業者が600万人いた。
まずヒトラーが手がけたのは大規模な公共事業の実施だ。
アウトバーン(高速道路)を建設し雇用を生み出し、失業者を50万人まで減らした。
フォルクスワーゲン(国民車)の設計を依頼したのもヒトラーだ。
これで国民のふところが潤い、仕事を得ることができた。
(2)恐怖を煽り、共通の敵を作る。
国民を熱狂させるために共通の敵を作り、みんなを団結させた。
まずは「マルクス主義打倒」、次は「社会民主主義打倒」、次は「民主主義打倒」、
最後は「ユダヤ人打倒」と、次々に新たな敵を作っては潰していった。
(3)演説で「平和」「自由」「取り戻す」を何度も使う。
「ドイツ民族の栄光を取り戻す」
「我々ドイツそしてオーストリアで、あるいは北で西で、あらゆる場所で、ドイツ国民を
そして祖国を、正しい動きに戻そうではありませんか」
「我々が再び立ち上がりたいのであれば、天才的な独裁者が必要である」
「平和のための独裁」
「平和を愛するとともに、勇敢な国民になってほしい」(若者に向けて)
「総統は我々に勝利を約束する。我々に平和を保障してくれる」
(ナチス党大会で、側近ルドルフ・ヘスの開会宣言)
「労働が自由をもたらす」(ダッハウ強制収容所の入り口に書かれた言葉)など。
また、ジェスチャー(指を立てるなど)を使ったり、集会を夜に開くなど、
幻想的な雰囲気の中で国民の熱狂を演出した。
(そういえば、「日本を取り戻しゅ」というのもあったっけ)
(4)憲法を変えずに、憲法の解釈を変える。
「ワイマール憲法」は、第一次世界大戦後に制定されたドイツの憲法で、
当時、世界で最も民主的な憲法と言われた。
ところがヒトラー内閣は、1933年に「全権委任法」を成立させる。
これにより、国会が立法権を政府に委譲することになる。
憲法は変えないでおいて、憲法の下で新しい法律をつくり、憲法の効力を
無くしてしまう。つまり憲法は変えずに、憲法の解釈を変えた。
(憲法解釈でのあまりの一致に、コメンテーターが笑いを堪えているように見えたのは、
私の思い過ごしだろうか)
次に、心に残った言葉を引用します。
(1)アドルフ・ヒトラー
「大衆の多くは無知で愚かである。嘘を大声で十分に時間を費やして語れば、
人はそれを信じるようになる」
「私は、我が民族の復活がおのずから達成されるとは思っていない。
国民自らが、全力を尽くすべきである。
自由や幸せな生活が突然、天から降ってくることはない。
全ては我々自身の意志と行動に掛かっている。
我が国家、我が民族以外の助けを望んではならない!
ドイツ国民の未来は、我々自身の中にこそ存在するのである。
国民自身が国民を向上させるのだ。
勤勉と決断と誇りと屈強さによって、
ドイツを興した祖先と同じ位置に上ることが出来るのだ」 (首相就任演説)
(2)ワイツゼッカー元独大統領
1985年5月8日、ワイツゼッカー元大統領はドイツ連邦議会で
次のように演説している。
「後になって過去を変えたり、起らなかったことにするわけにはまいりません。
過去に目を閉ざすものは結局のところ、現在にも盲目になるのです。
非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、新たなそういう危険に陥りやすい
のです。ユダヤ人はそれ(非人間的な行為)を心に刻んでいます」
(3)メルケル首相
2015年5月3日、メルケル首相はダッハウ強制収容所解放70年式典で、
次のように演説している。
「私たちは決してこの歴史を忘れてはいけない。常に謝罪し続けることが必要だ。
国としてまた市民としての義務により、私たちドイツ人は全てのナチス犠牲者に
対して責任を負っています。
ここダッハウ強制収容所の犠牲者に対しても同様です」
(4)91才のナチス元兵士
「ヒトラーは労働者にパンを与え、アウトバーンを建設した。
それによって人々は仕事を得ることができました。
奴は狂っていました。
そしてドイツの全ての国民を狂わせました。
なぜ誰も奴を止めることが出来なかったのか・・・なぜ・・・どうして・・・。
(5)池上彰
「ドイツの子どもたちは必ず強制収容所の歴史を学ぶ。
過去にあったことをきちんと認識しなければいけない。
そうした姿勢を示すことで、周りの国々の信頼を得ている」
2015年5月、ナチス発祥の地であるミュンヘンに、「NS文書センター(ナチス資料館)
が作られた。
ここは過去にナチスが行ったことの、加害者の歴史の記録を展示している。
番組の最後では、ミュンヘン大学での反ナチスの運動(白バラ運動)で、
命をかけてナチスと闘い、犠牲になった若者たちへの記念碑が映しだされた。
それは地面に埋め込まれた、反ナチス運動の「散らばるビラ」だった。 (敬称略)