包帯を巻きつつ思ふ透明人間のつけし黄色いしみを
「黄色いしみ」がどう受け取られるのかを知りたいです。
初めての参加です。
勝手がよくわかりませんが、よろしくお願い致します。
トラックバックを間違えてしまったようなので、
再度送ります。何度もすみません。
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コメントを頂きましてありがとうございます。
たくさんの方に、いろいろな角度からコメントを頂きまして、
すごく嬉しいです。
この歌はしあわせものだと思います。
最初に申し上げますと、かなり妄想が入ってしまいました。
ごめんなさい。でも真剣に読んだので、どうか許してやって下さい。
「黄色いしみ」でパッと浮かんだのは、皮脂汚れや膿、下のものなど、生き物が出す汚れでした。
生きている限りは仕方ないものだけれど、汚れには嫌悪感がある。
しかしそれは、生き物が生きているからこそなので、強い否定もできない。
そういう、胸の奥の方でざわめくような、複雑な嫌悪を感じました。
「しみ」がひらがななので、「嫌悪」と呼べるような強いものではなく、どちらかというと不安のようなものかなーとも思います。
「透明人間」という、生きてるんだか生きてないんだかよく分からない存在は、「見たくないけど認めたいもの」のイメージで読みました。
すると私の連想した、生の象徴でもある「黄色いしみ」と対比になりつつ、同じ本質を持っているので、きっと梅田さんが想定されたのとは全く違う感じなのでしょうが、とても面白く拝読いたしました。
余談ですが、見たくないけど認めたいものと言ったら、1番最初に自分自身の認められない一面が浮かんできたので、私の中では、そういう物語ができています。
それにしても、透明人間が何かを残すなんてとても意味深ですね。そして「包帯」や「黄色いしみ」というアイテムがあるので、その謎が読み解けそうな気がする。そういう適度な難しさがあるように思います。私の頭には、難しすぎて答えには辿り着けませんでしたが、それでも惹かれてしまう、強い魅力を感じました。
では、長文失礼いたします。
コメントを頂きましてありがとうございます。
お名前が素敵ですね。
こちらは桜がちらほら咲き始めました。
夜桜もすてきでしょうね。
お茶会のコメントに伺いました。
昨日は訪れていただきましてありがとうございます。
包帯を巻きつつ思ふ透明人間のつけし黄色いしみを
わたしは自分の膝に包帯を巻きつけている様子を思い浮かべました。
そして、まっさらな白い包帯を巻きつけながら、さきほどとりかえた包帯のことを考えているんじゃないかしら。
包帯をするくらいなのですからきっと大きなすりきずなんでしょう。派手にこけたのかな??
消毒してガーゼをあてて、包帯を巻く。
そうすると血の赤がじんわりとにじみでてくる。最初の手当てはそんなふうだとおもうのです。
ところが2回目以降は血じゃなくて体液(なんていうのでしょう??血ではなくて傷口をじわじわふさいでいる別の体液があるんですよね。白血球たち??w)が黄色いしみをつくっている。ガーゼにも包帯にもしみができている。
包帯をくるくるはずすと、間隔をあけて黄色いしみがあらわれる。「これはなんだろう??」
って感じたのかな、と受け取りました。
「黄色いしみ」に、透明人間をおもいうかべる連想のおもしろい歌だとおもいました。
コメントを頂きましてありがとうございます。
このような機会をもてましたことを
とても嬉しく思います。
お茶会のコメントに参りました。
▼ 包帯を巻きつつ思ふ透明人間のつけし黄色いしみを
「黄色いしみ」については「包帯」との呼応で考えると「傷口から滲み出る膿や体液によるしみ」と考えるのが自然な気がします。
謎のある歌です。
その黄色いしみをつけたのが「透明人間」であるということをどう読むのか。
透明人間は人間としての肉体を持つが目には見えない存在。おそらく人がその存在に気付くのはたとえば傷ついて流す血、たとえばその傷痕から滲み出る膿。「痛み」が目に見えるかたちにまであらわれてやっと、そこに痛みがあったことを、そこに確かに人間が存在していたことに、はじめて気付くのかもしれない。
誰にも気付かれなかった傷口をまもり癒すための包帯の黄色いしみに、もう今は血の流れないしかしそこに確かにあった「痛み」を感じる。
そのような味わいの一首として読みました。
コメントを頂きましてありがとうございます。
一人で歌を作っていますと、どうしても独りよがりになってしまいます。
知らずに「わかってもらっているつもり」の歌が多くなってしまいます。
今回、初めてお茶会に参加し、皆様からコメントを頂きまして
本当によい経験になりました。
ありがとうございました。
この歌は、自分ではなかなかうまく読みきれずにいたので、皆さんのコメントがとても参考になっています。歌を詠む行為もそうですけど、読むほうも、自分の能力を超えた読み方はなかなかできないものなので(読めているつもりでも、勝手な思い込みで読んでいることもあるし)、こうして大勢で1つの歌を読む機会があるのは、やはり捨てがたいですね。
皆さんのコメントを読ませていただき、久哲さんの介護説に「なるほど」と思いました。そのように読むと、すっきり解釈できる気がしますが、一首の中に判断材料が少ないので、本当に介護の歌なのかどうか確信はありません。
私がうまく読み取れなかったのは、上の句「包帯を巻きつつ思ふ」の部分です。自分に包帯を巻いているのか、他人に巻いているのか? 自分か他人かで、状況も心境も大きく違ってくると思うので、この点を判断できる手がかりがあればと思いました。
「黄色いしみ」は、包帯についているらしいことから考えて、傷口から出た膿かなと推測しました。
お祝いのお言葉とコメントをありがとうございます。
お昼に、昨日の残りのカレーとナンを食べました。
カレーは美味しいですね。
ありがとうございました。
百首完走おめでとうございます♪
「黄色いしみ」
私はカレーのしみを連想しました。
カレーって洗っても薄く黄色く残ることがあるので・・・^^;
洗いたての包帯を透明人間にかいがいしく巻いてあげているのは彼の奥様で、
(いつどこでカレー食べたのかしら?)とか、
(このしみどうやったらとれるのかしら?)なんて考えているのかな・・・って思いました。
お歌の解説を楽しみにしています。(*^^*)
コメントを頂きましてありがとうございます。
興味深く拝読いたしました。
「お茶会」は初めてですが、楽しいですね。
よろしくお願い致します。
「黄色いしみ」ですが。
食事の食べこぼした汁か何かだと思いました。
黄色だから、まだこぼしてからそんなに時間がたっていないに違いない。
(カビが生えたら、黒だったり赤だったりするでしょうから!)
ちゃんと食事をとっているのですね。
しかも、包帯を巻くということは汚れた包帯を外して洗濯していると。
衣食足りて礼節を知ると言いますが、とりあえず世間的に透明人間氏は問題ない生活を送っていると思われます。
内面はどうか、別の問題だろうとは思いますが。
と、食い意地の張った庭鳥は想像しました。
初めまして、お祝いのお言葉とコメントを
ありがとうございます。
初めてのお茶会でまごまごしています。
よろしくお願い致します。
わあ、完走おめでとうございます。
100首って膨大な数にいまさらくらくらしました。
わたし、接骨院で働いていた時期がありまして、「包帯」というと同業種の方かしらん?と思ってしまうのです。
そういう目で鑑賞しました。
包帯ってけっこうすぐ黄色くなるんですよね、皮膚がむけていなくても。
透明人間(その包帯にまかれた数かぎりないすべての人々)のつけし(滲出液、にじみ出たもの、脱皮のあとのかわのような)黄色いしみを
という受取方をしました。
うーん、梅田さまの解説の日を楽しみにしています。
お祝いのお言葉ならびにコメントをありがとうございます。
わたしの方こそとても勉強になりました。
ありがとうございました。
お邪魔いたします。
遅ればせながら、完走おめでとうございます。
まず、頓珍漢な漢(男)であると前置きした上で、
僕の意見を書いてみます。
「黄色いしみ」についてですが、これはやはり下々
のモノ(液体か固体)に起因する染みと考えました。
そして、初句の「包帯を巻きつつ」で主体の我は
自分に包帯を巻いているのか、他者に巻いている
のかを考えて、やっと・・・
「これ 介護詠じゃん!」
と気づきました。
要は、床ずれ防止用の包帯を取り替えている場面の
切り取りと読みました。
むろん、ここまで読み込まなければ、分かりにくく
詠むと言う事に問題は残りますが、介護の辛さを
直裁に詠まない、もしくは詠みたくない気持ちは理解
出来ます。
介護対象も透明人間化して、わざとぼかしている。
そこで、解釈の手がかりとして「黄色いしみ」の
仕掛け。
「黄色いしみ」がタンと硬質な現実ですもの。
これは凄い勉強をさせていただきました。
ありがとうございました。