辺見庸著『青い花』を読む。
私は読む本の大半を図書館から借りている。
当然、期限が来たら返さなければならない。
心に残った言葉を書き留めて置きたいので、ブログに書いています。
この本は2013年に出版されたものを、2020年11月に
文庫化したものだ。
173頁に一字の空きもなく、びっちりと文字が埋められている。
登場人物は「国内無登録難民」と思われる男一人。
彼が線路上を歩いていく。戦時中に精神を病んだ叔父の言葉を
思い出しながら、戦時中のできごとを思い出しながら、
"きょうこ"を求めながら、ひたすら歩いて行く。
思いつくままに、言葉を氾濫させながら歩く。
「わたしはだれでもない。わたしはあるいている。
わたしは線路をあるいている。
ポラノン(ヒロポンのことらしい)がほしい」
(引用ここまで)
1970年頃に私は学食で後輩とたまたま一緒になったことがある。
彼はアルミの大きな弁当を持ってきていた。
開けると中は一面海苔でおおわれていた。
「あれ、おかしいな。ご飯の真ん中に薄焼き卵が入っている
かもしれない」
そう言いながらご飯をほぐしていっても、白飯とおかか以外は
何もなかった。彼は恥ずかしそうに食べていた。
授業のない時は「にこよん(日雇い労働者)」をしていることは
聞いていた。だが彼のお兄さんがヒロポン中毒で、
家は火の車だというはこの時に知った。
70年になっても、ヒロポンという言葉があることに衝撃を受けた。
戦後四半世紀が経っても、戦争の疵痕が残っていたのだ。
言葉を引用させて頂きます。
人間というのは・・・という切りだしを好まない。だが、ひととは、
どのような音にもひびきにも影にも、いったんはすくみ怯える
にしても、いずれは哀しいほどに慣れてしまうものだ。
たとえ聞いていても聞かなかったことにするのに慣れ
見ていても見なかったことにするのに慣れて、こうじれば、
見なかった、聞かなかったとさえ記憶したりする。
身もこころも外部の条件を反映して、いかようにも変質してしまう。
それはたくましい可変能力というより、ひとがひとであるために
あらかじめ負うている病性なのかもしれない。それをして人間と
いうものの「破滅的な習慣」と言ったりするが、ひととはほんらい
ハメツテキナシュウカンという学名を付されるべき有機毒物である
公算も大なのではないか、
叔父はまた、世界になにもなくなること、なにものも存在しなくなる
ことのしあわせと恍惚にかんしても真剣にかたろうとした。
「ひとはだれひとりとしてなりたい色の花には咲けない」
「善い樹ほど悪い花を咲かす」と教えてくれたこともある。だから狂う。
なりたい色の花に咲くことができるのは神様だけだ。
そのようなことも叔父は口走った。
「人間に尊厳なんかありはしないよ」。自分に説くようにそう言った
こともある。ひとはしきりに「尊厳」を口にしながら尊厳をみずから
つぎからつぎへ壊す生き物なんだ。
「それでもだ、もしも人間に最期の最期までのこされた尊厳という
ものがすこしでもあるのだとしたら・・・」。
かれはふっと息をすってわたしの目を見た。なんだと思う?
そう問うていた。わたしは首を横にふった。
脳裡に闇夜の水切りを見ていた。黒い礫。黒い飛沫(しぶき)。
叔父は語を継いだ。
「げんに目の前に見えていることをインチキだ、うそだと
言えることだよ。そう言えるかどうかだよ」。
朝鮮戦争にろくに反対もせず、戦争特需で大もうけし、戦争の苦しみを
わすれ、浮かれ、かつ虚脱し、いちじは三百万人以上の潜在ヒロポン
常用者がいたこと、すさまじい苦しみにのたうちまわっていたこと、
一九五三年の医薬品総生産高は約七百五十六億円だったけれども、
ヒロポンなど覚醒剤の売り上げは同年、一説に二百数十億円だったこと、
ヒロポン生産に抗議した製薬会社のまじめな労働者たちが生産妨害者として
解雇されたこと、理のとうぜん、精神科病院が超満員だったことを、
セニョール、セニョーラ、ご存知ないのでありましょうか。
と、叔父はあの芝居(注 「暗視ホルモンの夜」、という芝居。
暗視ホルモンとはヒロポンのことらしい)で表現したかったのでは
ないだろう、とわたしはおもう。
叔父はだれかを告発したかったのではないはずだ。
叔父はそんなひとではない。 (引用ここまで)
私は読む本の大半を図書館から借りている。
当然、期限が来たら返さなければならない。
心に残った言葉を書き留めて置きたいので、ブログに書いています。
この本は2013年に出版されたものを、2020年11月に
文庫化したものだ。
173頁に一字の空きもなく、びっちりと文字が埋められている。
登場人物は「国内無登録難民」と思われる男一人。
彼が線路上を歩いていく。戦時中に精神を病んだ叔父の言葉を
思い出しながら、戦時中のできごとを思い出しながら、
"きょうこ"を求めながら、ひたすら歩いて行く。
思いつくままに、言葉を氾濫させながら歩く。
「わたしはだれでもない。わたしはあるいている。
わたしは線路をあるいている。
ポラノン(ヒロポンのことらしい)がほしい」
(引用ここまで)
1970年頃に私は学食で後輩とたまたま一緒になったことがある。
彼はアルミの大きな弁当を持ってきていた。
開けると中は一面海苔でおおわれていた。
「あれ、おかしいな。ご飯の真ん中に薄焼き卵が入っている
かもしれない」
そう言いながらご飯をほぐしていっても、白飯とおかか以外は
何もなかった。彼は恥ずかしそうに食べていた。
授業のない時は「にこよん(日雇い労働者)」をしていることは
聞いていた。だが彼のお兄さんがヒロポン中毒で、
家は火の車だというはこの時に知った。
70年になっても、ヒロポンという言葉があることに衝撃を受けた。
戦後四半世紀が経っても、戦争の疵痕が残っていたのだ。
言葉を引用させて頂きます。
人間というのは・・・という切りだしを好まない。だが、ひととは、
どのような音にもひびきにも影にも、いったんはすくみ怯える
にしても、いずれは哀しいほどに慣れてしまうものだ。
たとえ聞いていても聞かなかったことにするのに慣れ
見ていても見なかったことにするのに慣れて、こうじれば、
見なかった、聞かなかったとさえ記憶したりする。
身もこころも外部の条件を反映して、いかようにも変質してしまう。
それはたくましい可変能力というより、ひとがひとであるために
あらかじめ負うている病性なのかもしれない。それをして人間と
いうものの「破滅的な習慣」と言ったりするが、ひととはほんらい
ハメツテキナシュウカンという学名を付されるべき有機毒物である
公算も大なのではないか、
叔父はまた、世界になにもなくなること、なにものも存在しなくなる
ことのしあわせと恍惚にかんしても真剣にかたろうとした。
「ひとはだれひとりとしてなりたい色の花には咲けない」
「善い樹ほど悪い花を咲かす」と教えてくれたこともある。だから狂う。
なりたい色の花に咲くことができるのは神様だけだ。
そのようなことも叔父は口走った。
「人間に尊厳なんかありはしないよ」。自分に説くようにそう言った
こともある。ひとはしきりに「尊厳」を口にしながら尊厳をみずから
つぎからつぎへ壊す生き物なんだ。
「それでもだ、もしも人間に最期の最期までのこされた尊厳という
ものがすこしでもあるのだとしたら・・・」。
かれはふっと息をすってわたしの目を見た。なんだと思う?
そう問うていた。わたしは首を横にふった。
脳裡に闇夜の水切りを見ていた。黒い礫。黒い飛沫(しぶき)。
叔父は語を継いだ。
「げんに目の前に見えていることをインチキだ、うそだと
言えることだよ。そう言えるかどうかだよ」。
朝鮮戦争にろくに反対もせず、戦争特需で大もうけし、戦争の苦しみを
わすれ、浮かれ、かつ虚脱し、いちじは三百万人以上の潜在ヒロポン
常用者がいたこと、すさまじい苦しみにのたうちまわっていたこと、
一九五三年の医薬品総生産高は約七百五十六億円だったけれども、
ヒロポンなど覚醒剤の売り上げは同年、一説に二百数十億円だったこと、
ヒロポン生産に抗議した製薬会社のまじめな労働者たちが生産妨害者として
解雇されたこと、理のとうぜん、精神科病院が超満員だったことを、
セニョール、セニョーラ、ご存知ないのでありましょうか。
と、叔父はあの芝居(注 「暗視ホルモンの夜」、という芝居。
暗視ホルモンとはヒロポンのことらしい)で表現したかったのでは
ないだろう、とわたしはおもう。
叔父はだれかを告発したかったのではないはずだ。
叔父はそんなひとではない。 (引用ここまで)