その本家本元の立派な大山祇神社のある島と同じ瀬戸内海の島、広島県呉市から車のま
ま行ける倉橋島の桂浜に桂浜神社はあります。
松林の浜辺の鳥居から社殿への階段下を見たところ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/d0/c6d1f4ac483402af619e0191ff7e867d.jpg)
鳥居をくぐり抜け、石造の小さな太鼓橋から社殿への階段を見たところ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/46/807c7edab655ad8c284eb42ef88fc32f.jpg)
この写真の中央上に、海からすぐ浜辺の松林の中に立っている鳥居が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/aa/baab3d5d6f1aceb0449def3682385fc8.jpg)
島の道路が、社殿への階段と浜辺の松林の中の鳥居のあいだを走っていて、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/29/307cedd5165e5ed9e1c157b449c71474.jpg)
クリークにかかる石造の小さな太鼓橋が見えます。
このクリークは日本初の西洋式造船ドックにつづいていて、、、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/fe/8d3ada7139172c8686ea12c2fe62c38f.jpg)
今は「船溜り」のようになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/92/058601d49902c817d13fa8d3e1376404.jpg)
ここは僕に、網野善彦さんや沖浦和光さんの著書に出てくる『海民』を強く意識させる
場所です。おそらく呉での近代の造船の技術には、それまでの和船の船大工の技術が相当
つながっていたでしょうし、重源の瀬戸内海での勧進普請にも、和船の船大工がかかわっ
ていたのではないでしょうか?
社殿への階段なのですが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/48/04d6fee12c7142272b1a68dd02d00b38.jpg)
写真では判りずらいのですが、両側はかなり急峻に切り立っていて
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d0/d375200b4648b1002bd23338ed14de68.jpg)
上がりきった社殿のある場所は「馬の背」のように狭くて、「舌状の丘陵の端部」などという
ものではありませんでした。
朝起きて、こういうところを散歩できたら、幸せですねぇ、、、。
ま行ける倉橋島の桂浜に桂浜神社はあります。
松林の浜辺の鳥居から社殿への階段下を見たところ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/d0/c6d1f4ac483402af619e0191ff7e867d.jpg)
鳥居をくぐり抜け、石造の小さな太鼓橋から社殿への階段を見たところ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/46/807c7edab655ad8c284eb42ef88fc32f.jpg)
この写真の中央上に、海からすぐ浜辺の松林の中に立っている鳥居が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/aa/baab3d5d6f1aceb0449def3682385fc8.jpg)
島の道路が、社殿への階段と浜辺の松林の中の鳥居のあいだを走っていて、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/29/307cedd5165e5ed9e1c157b449c71474.jpg)
クリークにかかる石造の小さな太鼓橋が見えます。
このクリークは日本初の西洋式造船ドックにつづいていて、、、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/fe/8d3ada7139172c8686ea12c2fe62c38f.jpg)
今は「船溜り」のようになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/92/058601d49902c817d13fa8d3e1376404.jpg)
ここは僕に、網野善彦さんや沖浦和光さんの著書に出てくる『海民』を強く意識させる
場所です。おそらく呉での近代の造船の技術には、それまでの和船の船大工の技術が相当
つながっていたでしょうし、重源の瀬戸内海での勧進普請にも、和船の船大工がかかわっ
ていたのではないでしょうか?
社殿への階段なのですが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/48/04d6fee12c7142272b1a68dd02d00b38.jpg)
写真では判りずらいのですが、両側はかなり急峻に切り立っていて
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d0/d375200b4648b1002bd23338ed14de68.jpg)
上がりきった社殿のある場所は「馬の背」のように狭くて、「舌状の丘陵の端部」などという
ものではありませんでした。
朝起きて、こういうところを散歩できたら、幸せですねぇ、、、。