北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

沖泊 恵比須神社

2016-08-03 11:15:46 | 日記
このブログの最初のころに書いた島根県温泉津の近くの沖泊の、今は漁港になっているら

しい港の横の崖に、「恵比須神社」という名前の不思議な建物があって、その時はシートに

覆われて保存修理かなにかの工事中でした。




修理前の写真






沖泊は石見銀山の銀の積出港だったらしいのです、、、


(Fukutomi design officeさん より)





図の左端の日本海の船の絵のところに「沖泊」とあり、「恵比須神社」と書かれています。

「銀山街道沖泊ルート」の終点です。(もうひとつの「銀山街道鞆ヶ浦ルート」の終点の

「鞆ヶ浦」には、残念ながら僕は行っていません。)


トンネル潜ってすぐ近くの温泉津の方が、街も港も大きくて、天然温泉もあるし、水深も

問題ないのなら、どうして沖泊が積出港になったのかは不思議です。(給水のためだけと

も思えませんし、、、。人目につかずに「こっそり」と積み出ししたかったのか、、、?)




日本海側より空中写真。画面中央が沖泊。恵比須神社の屋根が小さく見えています。

右端の少しだけ見えている屋並みは温泉津温泉街。(「温泉津」は「ゆのつ」。)




               (石見銀山世界遺産センター公式ホームページ より)




「恵比須神社」というくらいですから、たぶん航海の安全か何かの神様なんでしょうけど、

16世紀のはじめの頃に、いったいどんな人が発案?して勧進?したのでしょうか? そして

実際の工事をした大工さんはどこのどんな大工さんだったのでしょうか? (沖泊の集落の

規模では、とても建てたり維持したりは、財政的にも難しそう、、、。)



それにしても、写真の不思議な「斜め材」は最初からついていたのか?後のことなのか?


僕は、ちょうどこのブログのプロフィールの階段の写真の家の工事をしたばかりだったの

で、「斜め材」の足元ばかり気になったのでした。







16世紀にコンクリートはなかったんでしょうけれども、、、。



この「斜め材」が、16世紀のはじめからついていたのなら、僕は16世紀の大工さんと同じ

悩みをかかえていた事になってしまうんです、、、。(今なら冷たい石やコンクリートに

接する木材の木口には、少しでも腐蝕を遅らせるために、ホワイトボンドをたっぷり塗っ

たりするんですけど、、、。当時はボルトも何もないわけで、大工さんも心配し始めたら

ば、キリがなかったのでは、、、? 雨はかかるし、、、。)
コメント
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