北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

ところが

2014-10-09 01:07:14 | 日記
建物より先に、庭がなくなってしまった例がある。前に書いた、林達夫さんの鵠沼の家。

前にGoogle Earth で確かめたら、一度、駐車場か何かになって、今はアパートか小さな

マンションか何かが建っているような気がする。(建物の部分の倍はありそうな広い庭だ

ったのだが、、、。)当時、姥目樫(うばめがし)の巨大な生垣に囲まれていた庭である。

(姥目樫は、海岸近くの砂地の土地には適しているようなのだが、あれほどの背の高さの

鬱蒼とした姥目樫の生垣なぞ、後にも先にも見たことが無い、、、。まるで、その家と

庭の主と同じように、老成したような姥目樫だった、、、。)その姥目樫の生垣の内側は

、これまた、まるで山川の世界史の教科書の「エンクロージャー」って、こんな柵なんじ

ゃなかったの?と言った感じの、栗の太い丸太の柵で用心されていた、、。そして、建物

の近くには、中世の修道院の「庭井戸」まであった(らしい)。

林達夫さんの、植物と庭に関する造詣については、林達夫著作集2精神史への探求「わ

が失楽園」「ユリの文化史」、同4批評の弁証法「作庭記」「私の家」「植物園」を読ん

でいただくしかない。私などは、その「植物園」の管理棟のような付属建物の記述を読ん

で、いっぺんに宗旨替えして、うすっぺらい近代建築が嫌いになったくらいである。

写真は、その「管理棟のような付属建物」。






この庭がなくなってしまった事の意味については、私には書けない。私には書く資格も

ない。旧帝国ホテルと同じように、ただ、ただ、もったいないと思うだけです、、、。


やっと、使っても大丈夫そうな写真を見つけました。






この写真の向かって右側が、その庭でした。姥目樫の生垣は長さが17~8m近くはあったと

思います。当時は(今から35年くらい前)、この写真のような、簡単な門扉はなかったよう

に記憶してます。(道路から直接、玄関で、感じのいい木製の郵便受けがあったよう

な、、、。)また、この写真は、もしかしたら道路が拡張になる前かも知れません。

(つまり、姥目樫の生垣は道路にぶつかってしまって、どうあっても無くなってしまう運

命だったのかも知れません、、、。)
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固いものと柔らかいもの

2014-10-09 00:01:08 | 日記
固いものと柔らかいものと、最後は柔らかいものが残るみたいだ。建築と庭では、庭が残

る。人間の作った建築は、庭の木一本にもかなわない。コンクリートでも事情は同じだ。

福井県の一乗谷朝倉氏庭園はいつのまにか、ずいぶん整備されて、一乗谷朝倉氏遺跡に

いつ変わってしまったんだろう?昔の「庭園」の方が、なじみがいいんだけど、、、一乗谷

朝倉氏「遺跡」ってなると、固くて、いけない。ついでに、あんまり整備しないで、申し

訳ないけど、、、、。(勝手を言って、すいません、、、。)

建物では喜んでくれなかったお客さんが、庭が出来るとすごく喜ぶ。後々の相談を、造園

の方が、一手引き受けと言う事も少なくない。(手を入れたいんだけど、別の建築会社を

紹介して、、、いい設計士さんいないかしら、、、)建築屋としては、情けない、、、。

造園のほうは、手入れで、毎年行く。建築屋は建てたら、それっきり、、、。遠くの親戚

より、近くの質屋、、、とは、ちょっと違うか、、、、。建築の方では、建具屋さんが、

そうなる事がある。クロスの張替えから、電球の交換まで頼まれたりする、、、。庭や建

具の職人さんの方が、人のいい人が多いような気さえする。これじゃ、ダメですねぇー。



写真は、一乗谷朝倉氏「遺跡」です。

















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七飯

2014-10-08 19:46:50 | 日記
函館の隣の七飯町で以前に設計させていただいた、別の歯科医院の先生から、「木を伐ら

なければならなくなった、、、。」こちらも、木は伐りたい人間ではないのですが、道を

隔てた近所の、今はなき某T雪ハウスの無落雪屋根のスノーダクトのドレインが、飛んで

きた葉っぱで詰まったら大変だから、、、という事で、泣く泣く伐採、、、。(あー、嫌

だ、こんな仕事したくない、、、。)もしかしたら、田中清玄さんも、この木の横を歩い

ていたかも知れないのに、、、。








こんな仕事も、たまに、来てしまいます。



(田中清玄と言う方については、Wikipediaで調べてみてください。七飯町出身なのですが

不思議な人です。調べると、三島の龍沢寺という寺の山本玄峰という人とか、井上日召

とか、これまた不思議な人がたくさん出てきます。全学連委員長の唐牛健太郎さんと言

う方も函館出身で、田中清玄さんとつながりがあったようです。函館山の中腹に、唐牛

健太郎さんの碑があります。函館も昔は色々な意味で元気な町で、多方面の人材が多士

済々だったのですが、最近は、すっかりおとなしい町になってしまったようです。)
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閑話休題

2014-10-07 14:52:28 | 日記
以前、千葉で設計した住宅が、造園家の方のサイトで紹介されていました。
















「庭蝉」さんといいます。

http://www.niwasemi.com/works/2012/11/6.html

です。お近くの方は、是非どうぞ、、、。



追記


ブログで、この住宅の写真を見た方から、「建物の外観が不自然だ。」との指摘を受けま

した。実は、その通りなのです。2階には1部屋しかない住宅で、吹き抜けが多いのです

が、(建て主さんは誰かから聞いて、後から床を張って部屋にすると得だと思っていたよ

うです、、。ですが、それは後から判ったことで、私は吹き抜けの希望を伺っても、なる

べくボリュームのない吹き抜けにしました。設計士ならば当然だと思います。もちろん

床を張っても部屋にはなりません。階段さえ付きません。予算は随分と掛かりました。)

その1部屋は弟さんの部屋の予定だったのですが、お姉さんの方が「どうしてもバルコニ

ーを付けて欲しい。」との希望で、屋根をえぐってつけたのです。(三角の木製の手摺り

がそうです。)図面を変えるのは簡単ですが、人の心を変えるのは大変なのです、、、。

予算は余計にかかるし、形は不自然に崩れるし、良いことなど1つもないと説明はするの

ですが、、、。設計士の理を尽くした説明よりも、御自分の気持ちを優先されたかったよ

うです、、、、。設計士との打ち合わせは、とても大事です。もちろん全て予算に関わる

事柄です。このバルコニーを作るのに、幾らかかった事でしょうか、、、。(外壁は増え

て、サッシも追加。防水の下地は断熱までして、配管も増える。大工さんの手間賃だけで

も相当です。150~160万円くらいでしょうか? それだけあれば、もっとバランス良く、

他の仕上げなり、金物なりを良くすることに、予算をまわせます、、、。) 今は、弟さん

が、一人で住まわれています。(当初の、設計士の私の「読み」通りでした、、、。)
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ひとさへひとにとゞまらぬ

2014-10-07 13:09:40 | 日記

友人の幸田章君が亡くなった時に、想い出していた詩です。



 告別


おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管(くゎん)とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ


この、「ひとさへひとにとゞまらぬ」ってところで、ジンっときちゃうんです、、、。

どうしようも、ありません、、、。宮沢賢治の詩です。












幸田君が内井事務所時代に最後に担当した新吹上御所。池田山の旧正田邸の面影が

ちょっとあるかも知れませんね、、、。









 

 

 

 

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