前にGoogle Earth で確かめたら、一度、駐車場か何かになって、今はアパートか小さな
マンションか何かが建っているような気がする。(建物の部分の倍はありそうな広い庭だ
ったのだが、、、。)当時、姥目樫(うばめがし)の巨大な生垣に囲まれていた庭である。
(姥目樫は、海岸近くの砂地の土地には適しているようなのだが、あれほどの背の高さの
鬱蒼とした姥目樫の生垣なぞ、後にも先にも見たことが無い、、、。まるで、その家と
庭の主と同じように、老成したような姥目樫だった、、、。)その姥目樫の生垣の内側は
、これまた、まるで山川の世界史の教科書の「エンクロージャー」って、こんな柵なんじ
ゃなかったの?と言った感じの、栗の太い丸太の柵で用心されていた、、。そして、建物
の近くには、中世の修道院の「庭井戸」まであった(らしい)。
林達夫さんの、植物と庭に関する造詣については、林達夫著作集2精神史への探求「わ
が失楽園」「ユリの文化史」、同4批評の弁証法「作庭記」「私の家」「植物園」を読ん
でいただくしかない。私などは、その「植物園」の管理棟のような付属建物の記述を読ん
で、いっぺんに宗旨替えして、うすっぺらい近代建築が嫌いになったくらいである。
写真は、その「管理棟のような付属建物」。
この庭がなくなってしまった事の意味については、私には書けない。私には書く資格も
ない。旧帝国ホテルと同じように、ただ、ただ、もったいないと思うだけです、、、。
やっと、使っても大丈夫そうな写真を見つけました。
この写真の向かって右側が、その庭でした。姥目樫の生垣は長さが17~8m近くはあったと
思います。当時は(今から35年くらい前)、この写真のような、簡単な門扉はなかったよう
に記憶してます。(道路から直接、玄関で、感じのいい木製の郵便受けがあったよう
な、、、。)また、この写真は、もしかしたら道路が拡張になる前かも知れません。
(つまり、姥目樫の生垣は道路にぶつかってしまって、どうあっても無くなってしまう運
命だったのかも知れません、、、。)