北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

森根さん

2015-06-08 19:12:17 | 日記
「むいね」さん。森根さんという字にしてしまいます、、、。当時、僕は無頼の生活をして

いました。大学の建築科を卒業はしたのですが、鳩の街の設計事務所の就職に失敗して、

横浜で一年間の歩掛かり調査のアルバイトでお金を貯めて、早稲田の喜久井町で同級生6

人と、とんかつ屋とラーメン屋の二階を借りて、共同生活を始めたのです。そこは、あっ

と言う間に雀荘のようになってしまい、一年中徹夜マージャンに明け暮れる「梁山泊」のよ

うになってしまいました、、、。(なにせ下は店だから、夜になると誰もいない、、、。)

だれかれ構わず出入りして、一年中鍵はかけず、朝起きると隣に知らないお姉さんが寝て

いることもありました。(あくまでもマージャンの参加者、何もありません、、、。)原宿

のウルテックに二日酔いでアルバイトに行ったのもその頃だったでしょうか、、、。僕は

麻雀は極端に弱く、アルバイト代はすぐになくなってしまうのでした、、、。



新宿の紀伊国屋書店の裏に、「公明酒場」という、これまた極端に安い大衆酒場がありまし

た。新宿で、ここより安い店あったんだろうか、というくらい安い店です。店のおばちゃ

んは相撲が好きで、栃錦の大ファンでした、、、。栃錦は、とっくの昔に引退していて、

「おばちゃん、これからは千代の富士(まだ関脇くらい)の時代でないの?」というと、おば

ちゃんは悲しそうな顔をするのです、、、。相撲は栃錦と信じているのでした、、、。



むいねさんは、そこで「発見」したのです。



いつものように金欠で仲間のK君と「公明酒場」で飲んでいたら、隣にオドオドした感じで

一人で飲んでいる小柄な男性客がいるのです。普段は、めったに隣の客に声を掛けたりす

ることはないのですが、所在なさ気で、おとなしそうで、さみしそうで、やさしそうで、

あぶない感じもまったくしなかったので、酔いも手伝って、声を掛けてしまったのです。



それが、むいねさんでした。



聞くと、沖縄出身で船に乗っていて、今日、入港したのだというのです。名前は「むいね」

で(だから漢字は判らない、、、)、一人で新宿に出てきて飲んでいたというのです、、。

今晩泊まる所も決まっていないようなので、K君と二人で、「それなら、うちらの所に泊ま

ればいい」で、むいねさんを早稲田に連れて帰ってしまったのです、、、。早稲田に着く

と、やはりマージャンの真っ最中で、むいねさんはマージャンはしないみたいで、みんな

の酒をチビチビ飲んで、寝てしまいました、、、。翌日、また船に乗るのでしょう、いな

くなりました、、、。


半年か一年して、夕方くらいか、僕が早稲田に外から帰ると、マージャン卓のコタツ布団

の中で、知らない男の人が寝ていました。むいねさんでした。僕は、すぐに、むいねさん

だと判って、「むいねさん!」と声を掛けました。「よくこの場所をおぼえていたねー!」

でも、むいねさんはボソボソと、あんまり良く喋らないんです、、、。


結局、むいねさん、また一晩泊まって出て行きました、、、。





追記  その頃、僕はよく高円寺ガード下の「球陽書房」に通っていました、、、。でも、

    「森根」って凄い名前ですねぇー、「御嶽」の「森(むい)」に、このブログの『沖縄

    の「神の道」つづき』に出てくる、『「ウントネ」とは「宗家」の事のようで

    す。』の、「ウントネ」の「ネ」は「根」でしょうから、「森根」はその組み合わさ

    った名前ということになりそうですから、、、一族には優秀な人も多そうです。

    がんばれーっ!(「ちばりよ~っ!」かな?)






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愛宕山 その3

2015-06-08 15:19:48 | 日記
御嶽(うたき)は、「○○森(むい)」とも言います。沖縄では、森のことを、「むい」と言う

のです。もしかしたら、「森(むい)」の方が、「御嶽(うたき)」より古い呼び方なのかも知

れません、、、。


東北地方には、「○○森(もり)」という名前の山がたくさんあります。すこし地図で探して

も、青森県や岩手県や秋田県に、「二ツ森」、「高森」、「安家森」、「黒森」、「害鷹森」、など

など、全部「山」の名前で、「森」の名前ではありません。


沖縄には、「むいね」さんという苗字があります、、、。漢字は判りません、、、。「森根」

だと地名も苗字もあるのですが、読みは「もりね」のようです。(「森根」は、嘉手納飛行場

の米軍用地に土地を収用されて、「森根」の人達は、一族離散になってしまったのだそうで

す、、、。)


私の函館の知り合いで、「二ツ森」さんという名前の大工さんがいます。函館で一番腕の良

い大工さんです。字で書くと「二ツ森」さんなのに、周囲からは、「にもりさん」と呼ばれて

います。「ふたつもりさん」と呼ぶ人は、いません、、、。


沖縄の御嶽は、「ユタ」と呼ばれる女性しか立ち入れない聖所で、必ずしも山とは限りませ

ん。海に臨む拝遥所のような御嶽もあるようなのです。「山」というよりは、むしろ「森」

に近いのかも知れません。(「女性原理」なのは間違いなさそうです、、、。)



「愛宕山」は、江戸時代に修験道の人が、「愛宕信仰」とともに、全国の山に名前をつけたら

しいのですが、私には修験道というのは良く判りません、、、。



愛宕の、もう一つの読み方「おたぎ」と、沖縄の御嶽の「うたき」、、、、、。「おたぎ」と

「うたき」、、、。どちらも、後から付けられた名前だから、似てしまっているのかも知れ

ません、、、。(「あたご」は、さらにもっと後、、、?)



でも、日本人は、この「愛宕」とか「あたご」って名前が好きみたいで、巡洋艦やイージス艦

の名前に付けちゃうんですね、、、。確かに、巡洋艦「うたき」やイージス艦「おたぎ」では

あまり強そうではありません、、、。



写真は、イージス艦「おたぎ」ではなく、イージス艦「あたご」
















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愛宕山 その2

2015-06-07 14:44:23 | 日記
さて、この西村公朝さんの「愛宕念仏寺」、「愛宕」と書いて「あたご」ではなく「おたぎ」と読

むのです、、、。昔、山城国と言っていた時代に「愛宕郡」という「郡」があったのですが、

これも「おたぎのこおり・おたぎぐん」と読んだらしい、、、。(「京都府愛宕郡」は戦後の

一時期まで残っていたとの事。)


これ、どうして「おたぎ」と読むんでしょうか?


東京の小学生なら必ず遠足に行くコースに、奥多摩の御岳山(標高929m)と日の出山(標高

902m)の、尾根道の縦走コースがあります。縦走コースといっても、JR青梅線の御嶽駅を

降りて、少し集落を歩いた滝本駅から、ケーブルカーに乗って、終着の御岳山駅から往復

しても、5kmあるかないかの、初心者コースなのですが、、、。



御岳山




日の出山




御岳山は「みたけさん」、御嶽駅は「みたけえき」と読みます。(同じ「みたけ」なのに、どう

して漢字は「御岳」と「御嶽」で違うのか、私には良く判りません、、、。)御岳山は古くか

ら山岳信仰の対象で、御嶽神社という神社があります。



こちらは木曽の御嶽山です。



御嶽山と書いて「おんたけさん」と読みます。麓の村は、三岳村(みたけむら)です。



でも、御嶽というと、どうしても沖縄の御嶽(うたき)を思い出してしまいます、、、。




(写真は代表的な御嶽の「斎場御嶽」ではありません。「金枝篇」のネミの森のイメージで選

びました、、、。)




                      愛宕山 その3 につづきます、、、。




  追記  源氏物語で桐壺の更衣がなくなったとき、殯(もがり)?が行われたのは

      「愛宕(おたぎ)の野」のようです。火葬のようですから、殯ではないのかな?


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愛宕山 その1

2015-06-06 02:33:33 | 日記
愛宕山(あたごやま)、日本中にある、、、。Wikipediaに出ているだけでも、かぞえたら

126もある。(愛媛県宇和島市の愛宕山は、どうして載っていないんだろう、、、?どれも

それほどは高くない山で、湾の入り口や盆地の平地から目立つ山のようです、、、。ちな

みに、千葉県で一番高い山も愛宕山、標高408m。鋸山、標高329mではありません、、。)

関東の人にとっては、「汽笛一声新橋を」の、NHK発祥の地でもある芝の愛宕山(標高26m)

だろうが、関西、特に京都の人にとっては、台所の火除け(火伏せ)のために貼ってある、

「阿多古祈符火迺要慎」の御札(僕には読み方も判らない、、、)で有名な、愛宕神社のある

愛宕山(標高924m)のはず。(落語の「愛宕山」は、こちらの「愛宕山」。)


渡月橋から見た「愛宕山」




こちらが「阿多古祈符火迺要慎」の御札




京都の街のあちこちに「右あたごみち」とか

「左あたごみち」とかの石の道標がある。




(戦前、京都の愛宕山にはケーブルカーもあって、スキー場まであったらしい、、、。)


この愛宕山の登山道、鳴滝道というらしいのですが、登り始めてすぐの所に、仏像彫刻家

の西村公朝さんが住職をされていた、「愛宕念仏寺」というお寺があります。









境内は一般の方の彫った羅漢像が増殖中






                      愛宕山 その2 につづきます、、、。



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旧一条恵観山荘

2015-06-06 00:46:57 | 日記
せっかく鎌倉まで来ましたので、、、。


鶴岡八幡から、東に滑川をさかのぼると、浄明寺のバス停の先に、茶道の家元がありま

す。その敷地内に、「旧一条恵観山荘」という建物があるのです。



これは良い建物です。





炉の切ってある部屋が三つあったと思いますが、一番東の四帖半の北側の三帖程度の部屋

に、料理を暖めるためなのか、不思議な炉があって、何と、暖気がかやぶき屋根の天井裏

にまわって建物を暖めるという、当時としては信じられないような「暖房設備」のついてい

る数奇屋建築なのです。



杉戸




長四帖から六帖間




長四帖の茶室




鎌倉に移築される前は、京都の下賀茂神社の西に建っていたらしく、長四帖の床の脇の

障子窓からは、次の記事の「愛宕山」が見えたのではないかな? というのが私の推理なの

ですが、、、、。




追記  30年少し前に、家元の敷地内に再移築される前は、もう少し下流のところに

    建っていて、道路から見えたのです。当時は、わざわざ建物の用心のために、

    裏の別の建物に管理人の夫婦の方に住んでもらって維持されていました。国宝級

    の建物を維持管理するのは大変な負担なのです、、、。

    (家元の名前はパソコンで変換出来ず、断念しました。申し訳ありません、、。

    「炉の切ってある部屋が三つあったと思いますが」は結果的に間違いではないので

    すが、写真の六帖間の奥の三帖間には、炉は切ってなかったと思います、、。)



追記の追記  すいません。一条恵観山荘が建っていたのは、下賀茂神社じゃなくて上賀茂神社

       の西の、現在の西賀茂川上町の辺りで、すぐ西に山が迫っていたので、「愛宕山」

       は見えなかったと思います、、、。



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