B型ゲンゴロウのブログ

見たまま、感じるまま、想うままに岐阜から発信するゲンゴロウの日記

素敵なお話

2015年02月05日 | 言葉・言霊・詩
人生の先輩がある記事のコピーを郵送で送ってくれました。
「いい記事を見つけました。ご夫婦で読んでみてください。」とありました。

それは著書『お金ではなく、人のご縁ででっかく生きろ!』などがあり、
全国で魂に響く講演活動をされている中村文昭さんが書かれた記事でした。

とても素敵なお話だったで、ここに記事全文を記しておきたいと思います。


以下、全文


 僕が台湾に関心を持った最初のきっかけは、一昨年に行われたWBCという野球の世界大会のアジア地区予選、日本対台湾戦でした。
 試合は、前半は台湾が勝っていたんですけど、最終回に日本が追いついて、延長で逆転して日本が勝ちました。
日本の選手たちが大喜びしているところでテレビ中継は終わりました。

 ところがその後、ものすごいドラマが起きたんです。これは球場にいた人しか見ていません。
僕は、人から聞いてネット動画でめちゃくちゃ感動しました。
 何が起きたのか。日本に逆転された台湾の選手たち、すごく悔しかったはずなのに、試合後、選手全員がベンチから出てきて、マウンドに集まり、大きな円を作ったんです。監督やコーチ、医療スタッフもいました。そして内側ではなく外側の観客席の方を向いたんです。
そして何をしたと思いますか?
全員が帽子を脱いで深々と頭を下げたんです。

 実はあの試合の前日、一人の日本人の若者が「ツイッター」という投稿サイトにこんなことを書き込んでいたんです。
「僕はどうしても日本と台湾の試合に行ってやりたいことがあった。それは観客席から『台湾、ありがとう』と書いたプラカードを掲げて応援をすること。
東日本大震災の時、200億円という莫大な義援金を送ってくれ、しかも世界中のどの国よりも早く400トンもの物資を被災地に送ってくれた台湾の皆さんにお礼が言いたかった。
でも、チケットが手に入らなかった。どうか試合を見に行かれる方、僕の代わりにプラカードに『謝謝(シェイシェイ)台湾』と書いて、観客席から声援を送って欲しい」

 台湾側の応援席には台湾のテレビ局が来ているはずです。試合の様子を台湾中に実況中継しますよね。同時に応援席も映るじゃないですか。
そしたら「ありがとう」のメッセージを台湾の人に伝えられると彼は思ったわけです。
その投稿サイトを見た日本の若者がこれに乗りました。
「よっしゃ、あなたの代わりに俺が『ありがとう』を伝えてくる」と多くの日本人が「3・11謝謝台湾」と書いたプラカードを持って球場に入り、それを自分の前に掲げて応援したんです。

 そして、もっと面白いことが起きました。そのツィッターを読んだ台湾の留学生が、その書き込みを中国語に翻訳し、台湾本土の友達に発信したんです。
 それを台湾のマスコミが取り上げて、「日本人がこんなことをしている」と報道しました。
驚いたのは何も知らない台湾の選手でした。試合中、あちこちの観客席から台湾に感謝するプラカードが出ていたんですから。

それで台湾の選手たちは負けて悔しかったと思うんですけど、試合後、マウンドに出てきて頭を下げたんです。
この話をいろんなところでしていたら、「博多の歴女」といわれる白駒さんからこんな話を聞きました。

 2011年、東日本大震災のあった年の年末、台湾の新聞社が台湾国民に「この1年を振り返って、あなたにとって最も嬉しかったことはなんですか?」とインタビューしたんです。
そしたらダントツで多かった1位の回答が「日本のために台湾が世界一お役に立てたこと」だったんです。
 僕、その話を聞いた瞬間、涙が止まりませんでした。
 さらに白駒さんが言いました。
 「中村さん、日本人はだいたい台湾に行ったら台北で買い物をして、おいしいものを食べて、エステして帰ってくるけど、実は南の方に行くと、ものすごく親日的なのよ。日本人より日本のことが好きなんですよ」と。

 その話を聞いて僕は「台湾に行って日本を感じてこよう」「台湾の人から、『あんた、日本人のくせにそんなことも知らんのかい』と言われて恥をかいてこよう」と思い、「一緒に恥をかきに行きませんか?」と呼びかけました。
 
そしたら50人くらいの人が「一緒に行きたい」と手を上げてくれて、昨年の3月に行ってきたんです。

一日目は台北区の街を歩きました。団体で歩いているので日本人だと分かるんでしょう。いろんな人から声を掛けられました。
 それもみんな80代、90代の人たちです。
 明治28年から昭和20年までの50年間、日本は台湾を統治していました。その時代に子供だった人たちが今80代、90代になっているんです。
 で、僕らに「私は昔日本人だったんだ」と言いながら嬉しそうに話し掛けてくるんです。

 あるところで92歳のおばあちゃんが話し掛けてきました。
「この地下でお茶屋をやっているからお茶を飲んで行きなさい」と。
「僕ら次の予定があってすぐ行かないといけないんです。帰ってくるのは夜遅いです」と
説明したら、「夜中の3時くらいまで起きているから大丈夫だ。待っている」と言うんです。

 「商売熱心やなぁ」と思って、「僕ら、お茶とか買わないと思いますよ」と言ったら、そのおばあちゃん、目にいっぱい涙を溜めながら、僕らに言うんです。

 「私は戦後69年間、日本人からお金をとったことはない。私が日本人からしてもらったご恩を日本人に返さないといけないと思って、街を歩いている日本人を見つけたら必ず声を掛けて店に連れてきて、お茶をご馳走してきたんだ。私は死ぬまで日本人からお金を取らないと決めている」と言うんです。その熱い思いは何なんだと思いました。

 その夜、ホテルで夕食を食べたんですけど、日本人だけで食べても仕方がないので、それぞれのテーブルに80代、90代の人たちに入ってもらいました。
そしたら、その方たちがやたら「被災地はどうなっているのか?」と、すごく心配されていたので、東北から参加していた3人に今の現状を話してもらいました。
真剣に聞いていたおじいちゃんの1人が手を挙げて前に出てきて、「私は和歌の会に入っているんだ」と言われたんです。
 話を聞いたら台湾には「和歌の会」とか「俳句の会」とか「川柳の会」とか、そんなのがいっぱいあるそうなんです。
 そのおじいちゃんは2011年、台湾全土の「和歌の大会」でグランプリを取った人だったんです。
 その時に受賞した歌を日本の皆さんに聞いて欲しいと言って前に出てこられたんです。そして、胸を張って堂々と和歌を詠まれました。
「未曾有なる 大震災に見舞われど 秩序乱さぬ 大和の民ぞ」
この瞬間、そこにいた日本人はみんな目頭を熱くしました。
 
 そして、おじいちゃんはこう話されました。
「私は、あの震災直後の日本の皆さんの姿を見て、昔この台湾に来た日本兵の精神が今も生きていると思いました。女性や子供やお年寄り、体の不自由な方々を
先に並ばせて、男たちは『武士は食わねど高楊枝』みたいに後ろで並んでいる。世界中に日本精神を伝えてくれた。あれが私らはたまらなく嬉しかった。
70年前の日本人と変わっていない。あの姿を見て、私ら台湾人はみな心が動いたんだ。まだまだ大変でしょうけど、頑張って欲しい」というようなことを言われたのです。
そこにいたすべての日本人が、この話を聞いて涙を耐えることができませんでした。

記事おわり。



WBCのエピソード動画 日本人みんなに見てほしい。
コメント (4)