昨年来、富士山に麓から登ってみたい・・・
と言ったのは誰だったか?
俺じゃない、ヤッキー君です
それは無茶なんじゃとか言いながら登山地図とニラメッコする日々
吉田口登山道の一合目下の馬返からのコースタイムは往復約15時間
これくらいの時間なら行けるかも、と徐々にやる気になってきて
この3連休に企画して富士吉田市内のホテルを前から2泊分予約
中日の16日が天気が悪くなれば中止とヤッキー君と話してましたが
まさかこんなに晴れ渡るとは!
前日(15日)に同じく馬返から登った方のレポをヤマップで見ると
暴風が吹き荒れて7合目で撤退とあり緊張感が増してました
ヤマレコの記録
下山してスマホ記録をSTOPするのを忘れてしまい
帰る車の中で気づいたから下りがちょっとおかしいです
前日(15日)の夕刻に富士吉田に入り
まずは北口本宮富士浅間神社に参拝
古代より崇高な山であった富士山は、神体山(即ち禁足地)であり、麓にて祭祀が行われ、遥かにその御姿の見える場所からも遙拝されてきました。時代が下り、仏教の伝来を経て、また修験道などの影響を強く受け、修行を通して超自然的な験力を得ることを目的に、室町時代には庶民の間でも信仰登山が盛んになっていきました。
晴天に遥かに望む富士へ行きたい、登って拝みたいと願う者が増すのは当然のことでしょう。入山者の増加につれて険しい山内に踏道も出来て、庶民も登頂を目指せる状態へ近づいていきました。
しかし、江戸から吉田までは健脚でも片道3日、吉田から頂上までは少なくとも往復2日、合計8日間の旅(運よく好天に恵まれた場合)は、現在からは想像もできない程の時間と費用がかかりました。
そこで、庶民に信仰が広がるにつれて、お金を集め代表を選び皆の祈願を託す「講」の仕組みを利用するに至ったことは想像に難くありません。
こうして、近世には江戸を中心に各地域で「富士山信仰のための講 ~富士講~」が成立しました。
HPより抜粋
明日の無事の登山を祈りました
緊張とワクワクで熟睡はできす(いつものこと)
4時前に起床して登山口の馬返へ
4:45登山開始
いざ初の富士山へ
ここから登る人はスーパーなトレランのひとばかり
すごい勢いで登っていきます
7月28日に富士山登山競争があるから練習らしい
山頂まで512分・・って何時間?
一合目の休憩茶屋跡
道中にこのような朽ちた茶屋跡が点在しています
涼しい樹林帯をゆっくり進む
三合目
昭和初期までこんな賑やかな茶屋があったそうな
昔の人たちも眺めたんだろうなあ
雲海の奥の山々は金峰山とか甲武信岳
しゃくなげが満開で癒されながら
こんな案内があちこち見られる
戦国時代から御座石と呼ばれていた大岩
約2時間で5合目の佐藤小屋
ここまで順調
6合目手前で森林限界を超えて
見えた!
テンション爆上がりしました
6合目で富士スカイラインからの道と合流してやっと登山者と合流
太陽がじりじり照り付けます
麓に見える三日月型の山中湖
ズーム
山中湖の手前の広大な草原は自衛隊富士演習場
小屋がたくさん見える
どの小屋の前も人がいっぱい
青空よ
8合目が近くなり
ヤッキー君がスローダウンして苦しそうに
空気が薄いし疲労もでてきた様子
そして足が攣りそうになり
先日買った漢方(芍薬甘草湯)とコムレケアを飲ませてあげる
富士山は赤い山だと知りました
一歩 一歩
アメリカ人の若者グループ
すごい勢いで登ってんだけど
休憩も多いからずっと抜きつ抜かれつ
かなり辛そう
ゆっくり ゆっくり
標高日本第2位の北岳より高く
人生最高地です
途中左手に見える下山道
砂埃をあげて下りていく登山者たち
山頂が見えてきた
それにしても人・人・人
酸素缶吸ってる人もあちこちいます
吸っても吸っても
「なんもかわらん」言うてました
もう少しで山頂だ
さぁつくぞ~
山頂です
すごい人です
まるで賑わう海の家みたい
スタートから7時間半
遠かった
麓からよく頑張った!
二人ともに初登頂
がっちり握手
いろんな感情がこみあげてきて
涙がでました
後編(お鉢巡り~下山)に続く