16日のお盆最終日は暑かったですね。
しかも、仏様を送って行くのに、一番暑い時間帯の2時半にお墓参りに行ってきたものですから、もう大変!
夫と二人でバケツで水をかぶってしまったかのような汗をかき、そのまま盆棚を片付けて、体中の水分を絞り出したかのような汗がしたたり落ちて、たまらずシャワーを浴びました。
その日は、塩分を多めに摂り、水もたくさん飲んだのですが、いくら飲んでも足りないくらいでした。
今日は打って変わって、曇りのお天気。
気温はそれほど低くも無かったのですが、なぜか涼しく感じられました。
仕事は早番。
帰宅途中、車のナビをテレビに切り替えて、なんとなくニュースを聞いていたのですが、統一教会にそれと知らずあの手この手で勧誘され、入信してしまった人の話が出ていて、怖いなと思うと同時に、自分の昔の記憶がよみがえりました。
20代の頃だったか、イラストの仕事を請け負いながら、それだけでは食べて行けず、広告代理店のアルバイトなどもしていた時の記憶です。
画材の買い出しに水戸へ行き、駅前を歩いていた時に、何かの署名運動をしている若い人たちの前を通りました。
すると、女の人が一人、私を呼び止め、今、オオタカの生息地を守る運動をしているので、良かったらご署名お願いしますと言ってきました。
なんでも、自然保護を訴えているのだとかで、まあ、そういうことなら悪い活動でもないだろうと思い、名前と住所と電話番号を、その前にも何人か書いているので、真似て書いておきました。
用紙を持っているお兄さんが、「こういうことに興味あるんですか?」とか何とか言っているので、ああ、まあ・・・とか曖昧に返事して、立ち去ったと記憶しています。
でも、それはまずい行為でしたね。
それから数日経って、夜遅くに、家族が寝静まったころ、その時の女の人から電話がかかってきたんです。
私はてっきり友だちからだと思って出たのですが、署名活動していたお姉さんだとわかって、なぜ電話してきたのだろうと不審に思いました。
話は、今度、沖縄の米軍基地に反対する運動をしているので参加してくれないかと言うものでした。
私は忙しいから無理ですと言ったと思うのですが、実際はそんなに仕事は無かった頃です。
相手は、私の口調から、そんなに忙しくはないと感じ取ったのでしょうね、何の仕事をしているのかしつこく訊いてくるんですね。
それで仕方なく、本当のことを言ってしまったのですが、それなら十分、運動に参加できるよって、馴れ馴れしい言い方で迫るんですね。
だから私は、沖縄の米軍基地に反対すると言ったって、その米軍基地のお陰で生計を立てている人たちだっているわけでしょうから、いちがいに反対は出来ませんって言ったんです。
もちろんそのころの私は、生活で手いっぱいで、沖縄の基地問題なんて全く気にしてはいませんでした。
問題の本質も知りませんでしたが、ただ何となく、この人たちの言っていることは信用できないぞって、心の奥で黄色信号が灯ったんですね。
すると相手は、沖縄のほとんどの人たちは、米軍基地があることで、騒音問題や事件があったりで我慢を強いられていて、出て行ってもらいたいと思っているって言うんです。
そういう風に吹っ掛けられると、逆に何か反論してやりたい気持ちになったのですが、私のほうは何の情報も持ち合わせてはいませんでしたので、いわば相手方の土俵であることを警戒して、それ以上のことは言わない代わりに同意もしませんでした。
そして、じゃあ、オオタカの件はどうするのかと訊いたら、今は米軍基地の件が重要だと言うので、そんな、一つのことも解決できないのに、次々と手を出して何をするつもりなんですか、って訊きました。
すると、逆に、「解決出来ると思ってるんですか?」って言われました。
「は?」でしたね。
「結局、何がしたいんですか?」って言ったら、誰誰さんと言う人のセミナーに来てください、そうすればいろいろわかるからって言われまして、人間と言うのは、本当に「やばいぞ」って感じた時には、心の奥のほうで何かブレーキのようなものがかかるんですねえ。
言葉じゃないんです、感覚なんです。
なにかいかがわしいもの、触れてはいけないもの、身を亡ぼすもの・・・そういう「勘」が働いたと思うんです。
私は、議論に負けるのが悔しかったけれども、とにかくセミナーには行けない、無理です、で押し通しました。
相手は、あなたの絵のほうも、もしかしたら仕事につながる出会いもあるかもしれないから、とにかくセミナーに来てと食い下がったのですが、すっかり気分を害してしまった私は、突っぱねて電話を切りました。
覚えてはいないけれど、失礼なことをいろいろ言われた記憶はあります。
本当に嫌な電話でした。
それ以来、署名活動などには近づかず、個人情報を書き込んだことはありません。
こりごりです。
でも、今になって思えば、すごく危険な人たちだったと解ります。
沖縄の米軍の普天間基地やその辺野古移設にも反対している人たちって、もしかしたら、こんな形でも集められていたのかもしれないなって思いました。
よくわからずに利用されている人もいるかもしれない。
今はどうなのだろう。
ハングルが印刷されたプラカードを持つ人や、ハングルのTシャツを着ている人などもいて、日本人かどうかも疑わしい反対運動をする人物の写真を見たりします。
私がもし、セミナーとやらに行っていたら、こういう人たちの中に交じっていたかもしれないし、洗脳されて何かのカルトまがいの信者にさせられていたかもしれない。
危険はそこかしこに潜んでいるんですね。
あの時の、心の奥の黄色信号が、赤に変わって、ガンガン危険を知らせていた感じが、すごく思い出されます。
ただ、セミナーを主催していると言った男の人の名前が、さすがに思い出されはしないのです。
覚えていれば、今なら何か調べられることも出来たかもしれませんが。