ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

卒業論文を書いた時

2004-06-29 | なんでもないこと
今日は、蒸し暑い!
 卒論の提出は、12月だった。
卒論を思い出せば、少しは涼しく・・・ならないよな!

わたしが卒論で使った主な資料は、玉葉、門葉記、明月記 などなど。
日本史学の卒論みたいな資料で、日本史学みたいな卒論だった。
(はず。よく、覚えていない。)
四年間で、何を学んだか。
あまり、覚えていない。
みんな、みんな、忘れちゃった。

歴史も、教義も。それから、週に三日通った、英会話スクールの、英語も。
もちろん、英文学史や、英語学も。

では、あの、卒論とは、なんだったか。
卒業した後に、わたしはアレをやった、
と言えるなにかをつくるための
作業。
充実感を味わい、卒業することへの罪悪感を、減らすための作業。
あと、仮性近視と、後の近視になる原因。

充実感は、味わえました。
大変だった、清書が。
でも、楽しかった。締め切りさえなければ。
賢くなった気がしたし。
だって、漢文を読んで、なんとなく、意味がわかるんだもの。
わたしって、できるじゃん、て思いながら、読んでた。

でも、あれは、日本人が書いた漢文で、ちょっと、アヤシイのよね。
ところどころに、カタカナがまじってたりして。
ちょうど、今の歌謡曲(と、今でも呼ぶのか?)の歌詞のなかに、
「かっこいいでしょ、かっこいいでしょ」とばかり、
英語がちりばめられているように、
「わたしは文化人」みたいな気分で、
漢字ばかりを使って日記をつけていたのかも。

理趣経を読んでた人には、かなわな~い!と言い訳する、の巻き。