ジャジャ馬さんのブログで知った、
久美子ママの話。
私はまだまだ生きられる~~余命宣告の期日を過ぎてからの毎日を綴ります
というブログをなさっているブロガーなんだけど、
最近 その活動が 中日新聞で紹介された。
たぶれっとというものを末期がんの患者に、
という動きがある事を知ったので、
皆さんにも知っておいていただきたくて。
→→→ 中日新聞 中日メディカルサイト 久美子ママ (2014年1月20日)
→→→ 中日新聞 中日 メディカルサイト 続 久美子ママ (2014年1月25日)
→→→ 中日新聞 中日 メディカルサイト 続々 久美子ママ (2014年1月27日)
→→→ 中日新聞 ブログが私の抗がん剤 ホスピスから発信 (2014年1月27日)
乳がんの化学療法のために
手足にしびれが出る人は多いようだ。
(化学療法未経験のジョルジュだが、
お読みになる時は そこは気になさらないでいただきたい。)
それが進むと、様々な事に障害が出る。
ペンを持って字を書く。
キーボードを打つ。
そんな事ができなくなったら、どんなに不自由な事だろう!
久美子ママとは、
大阪市のホスピスで暮らす主婦の久美子さん(50)だ。

彼女の場合は、大腸がんだった。
このブログでは、「乳がん」のカテゴリーに入れておく。
上の画像は、朝日新聞の医療サイトapital
[iPadでつづる命 末期がんの主婦、病棟からブログ]
から拝借。
病院に公衆電話が置いてあっても
歩けないので使うことができない。
携帯電話があってももう指が動かない。
そんな自分と同じような人のために
タブレット等があると言うことに気づいてもらいたい。
ペンは持てなくても、
スポンジにくるんだタッチペンで 画面をたたく事はできる。
久美子ママは、動いた!
ホスピスへのタブレット端末の配備を求めて。
「もし、iPadが、日本中のホスピスにあったら!
末期ケアの革命になるかもしれません。
もう、私の命は風前の灯なので、
消えてしまう前に、何か、人のお役に立てることがしたい。」
私は タブレットも持っていないし、
<くらうど>とやらが どんな“雲”なのか
何度 説明を聞いても サッパリわからない うぇぶ音痴だが、
“ねっと”というものは 人の役に 立つものだと思っている。
「ブログが私の抗がん剤になった。
この部屋から、世界とつながれたんです。」
この久美子ママの言葉は、
そのまま 私の言葉でもある。
私は この窓から 世界とつながれたし、
たくさんの人が この窓辺を訪れてくださったからこそ
生きている確証を得る事ができた。
退院したばかりの頃の私は
ネットにつながっていた事で 生きていられた。
(あの孤独感はなかった! 家族が支えてくれていてさえも。)
末期がんで 外出もままならない人にも
ネットが 生き甲斐や 喜びを与えてくれる事だって あると思う。
必要な知識や情報をもたらしてくれる事だって あると思う。
久美子ママの運動は 間違ってはいないと思う。
私たちは 誰でも
自己否定せず 生き生きと 生き甲斐を持って生きていてもいいはずだ。
久美子ママの運動が 実を結ぶかどうかは 私にはわからない。
けれど
そういう思いを持つ人がいるという事を
どうか 知っていてほしい。
私に何ができるのか、私にもわからない。
けれど
何かができるんじゃないか、と 思っている。
だから、ここに書く。
他に 何か できる事は あるだろうか?
今日は、立春。
雪は降っているけれど、春になる。
久美子ママの話。
私はまだまだ生きられる~~余命宣告の期日を過ぎてからの毎日を綴ります
というブログをなさっているブロガーなんだけど、
最近 その活動が 中日新聞で紹介された。
たぶれっとというものを末期がんの患者に、
という動きがある事を知ったので、
皆さんにも知っておいていただきたくて。
→→→ 中日新聞 中日メディカルサイト 久美子ママ (2014年1月20日)
→→→ 中日新聞 中日 メディカルサイト 続 久美子ママ (2014年1月25日)
→→→ 中日新聞 中日 メディカルサイト 続々 久美子ママ (2014年1月27日)
→→→ 中日新聞 ブログが私の抗がん剤 ホスピスから発信 (2014年1月27日)
乳がんの化学療法のために
手足にしびれが出る人は多いようだ。
(化学療法未経験のジョルジュだが、
お読みになる時は そこは気になさらないでいただきたい。)
それが進むと、様々な事に障害が出る。
ペンを持って字を書く。
キーボードを打つ。
そんな事ができなくなったら、どんなに不自由な事だろう!
久美子ママとは、
大阪市のホスピスで暮らす主婦の久美子さん(50)だ。

彼女の場合は、大腸がんだった。
このブログでは、「乳がん」のカテゴリーに入れておく。
上の画像は、朝日新聞の医療サイトapital
[iPadでつづる命 末期がんの主婦、病棟からブログ]
から拝借。
病院に公衆電話が置いてあっても
歩けないので使うことができない。
携帯電話があってももう指が動かない。
そんな自分と同じような人のために
タブレット等があると言うことに気づいてもらいたい。
ペンは持てなくても、
スポンジにくるんだタッチペンで 画面をたたく事はできる。
久美子ママは、動いた!
ホスピスへのタブレット端末の配備を求めて。
「もし、iPadが、日本中のホスピスにあったら!
末期ケアの革命になるかもしれません。
もう、私の命は風前の灯なので、
消えてしまう前に、何か、人のお役に立てることがしたい。」
私は タブレットも持っていないし、
<くらうど>とやらが どんな“雲”なのか
何度 説明を聞いても サッパリわからない うぇぶ音痴だが、
“ねっと”というものは 人の役に 立つものだと思っている。
「ブログが私の抗がん剤になった。
この部屋から、世界とつながれたんです。」
この久美子ママの言葉は、
そのまま 私の言葉でもある。
私は この窓から 世界とつながれたし、
たくさんの人が この窓辺を訪れてくださったからこそ
生きている確証を得る事ができた。
退院したばかりの頃の私は
ネットにつながっていた事で 生きていられた。
(あの孤独感はなかった! 家族が支えてくれていてさえも。)
末期がんで 外出もままならない人にも
ネットが 生き甲斐や 喜びを与えてくれる事だって あると思う。
必要な知識や情報をもたらしてくれる事だって あると思う。
久美子ママの運動は 間違ってはいないと思う。
私たちは 誰でも
自己否定せず 生き生きと 生き甲斐を持って生きていてもいいはずだ。
久美子ママの運動が 実を結ぶかどうかは 私にはわからない。
けれど
そういう思いを持つ人がいるという事を
どうか 知っていてほしい。
私に何ができるのか、私にもわからない。
けれど
何かができるんじゃないか、と 思っている。
だから、ここに書く。
他に 何か できる事は あるだろうか?
今日は、立春。
雪は降っているけれど、春になる。