ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ムギュムギュ教――きっかけ

2014-02-09 | ムギュムギュ教
教祖さまには 手足のシビレがある。

仕事上で 少しそれを気にしていた。

いやいや、ちゃんと、仕事になってますよ、と
皆が言ってくれるんだけど、
不安に思ってらしゃったようだ。



ある日 私は 新聞紙上で見た シビレに対処する漢方薬の話をしてみた。

あんまり、彼女が「シビレ」って言うもんだから。

いや、おっしゃるものだから。

そう、私には 教祖様の言う「シビレ」が どんなものなのか、
わからないのだ。






  






すると 教祖様は 
「今度病院へ行ったら、先生に話してみるわ。」
と のたまった。

なんでも、不安定な場所に足をついたのに 
不安定である事に 気が付かないままに体重を移動し、
そのせいで転んで 膝に怪我をなさったそうなのだ。

危ないではないか、シビレ!













次に会った時に 教祖様がお聞きになってみると、主治医は

「ああ、あれ?

 あれ、効かないのよね~。

 代わりの薬を出しておくわ。」

とおっしゃったそうな。



効かないのか? 漢方!













で、少しは効くはずのお薬が出ているらしいのだが、
それほど効いている様子もない。

教祖様の手の爪は そろそろ 黒く変色し始めている。

若くはないけれど、手の爪が黒いっていうのは、哀しい。

指先というのは、人の視線が注がれる場所だ。

自分の視線だって つい そこにゆく。

生死を分けるとかじゃないけど、小さな事かもしれないけど、
それは とても 哀しみが胸に降り積もる事柄だと思う。













教祖様は 今ではもう 片足10分ずつムギュムギュ、なんて事は
真面目には やってらっしゃらないみたいで、
もっと短いようだ。

だが 「やる」と「やらない」との違いは大きくて、
「やる」と しばし しびれをお忘れになっていられるのだそうだ。

「忘れていられる」だけ、というのも 哀しい。

けれど、忘れる時間もない、というのも 哀しいかと思う。