ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ぶろぐ(2)

2005-03-26 | 考えたこと
大学に入った娘の様子を見ていて、ピンときた。
パソコンの前に 毎晩 絶対 陣取って
ひとしきりカタカタ キーボードをたたいている。

帰宅は早くて9時。それから夕食。
朝は息子の登校時間に合わせて送り出され、
お風呂に浸かる時間も長く、
家でのんびりする暇はないのに。

やっぱり。
娘もいつのまにか goo でブログを始めていた。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

スノードロップの次に咲く、シラー。
チューベルゲニアナという名前だったと思う。
私が覚えた、最初のフクザツな名前の花だ。
ささやかなピンク色で、
ブルーの花のそばに置くと よく似合う。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


あちこち覗いて コメントをしたり 
トラックバックしたり ということは
していないようだった。

コメントをしてくれるのは、
高校の時の友達と 今の大学の友達だけ。

遊びに行くのも 友達の所だけ。

それはそれで 楽しいらしい。



娘のブログが 気にならない、と言えば嘘になるが、
読む気になれず、ほとんど覗いた事もない。

文字があまりに 小さくて、
あの子らしく ウルサイ画面なので。
(まだまだ コギャルっぽい)

娘の方でも 私のは ほとんど見ていないと思う。

私がブログをやってることは 
ずっと隠しておいたのだ。



ある日、とうとう 感づいた。
唐突に聞いてきた。

「ママもブログやってんの?」
「・・・・・・うん。」
「やってんの?」
「うん。」
「やってんの?」
「うん。   なんで?」
「え~~~!!
 ママ、ブログ やってんの~~~~!?!?!?」

ショックだったらしい。なんでかな?



わからないことがいっぱい出てきて、
教えて欲しいと思ったことも何度もあった。

けれど 大学に入ってからは 新しい生活に夢中で、
何一つ教えてはもらえなかった。

空いた時間は、少しでも寝ることに使いたいようだった。
ムリもないか。

そのうち娘は goo じゃないとこへ 移ってしまった。

そちらで ブログを続けているのだけれど、
見たいとは思わなくなった。

どうせ 細かい文字で、ゴチャゴチャした画面だろう。

今でも 娘がパソコンをいじると、
次に開いた時に 文字サイズが[最小]になっていて、
イライラする。



私も 最初のうちは 
ひとつ 記事を投稿すると 
へとへとに くたびれていたのだが、
だいぶ慣れてきた。

使えないワザは 多いけど、
タイピングは 少しずつ思い出した。

いまでも まだ ‘・’と ‘。’と ‘、’は
打つのに だいぶ時間がかかったり、
(つまり、何度も 同じところを間違えて打つのだ。)
それから ‘p’を打つところで ‘@’を打ってしまい、
その画面のユニークさに 自分でウケたりしている。

バックスペース・キーだけは、エンター・キーと同じ位、
上手に打てるようになったが。



去年の暮れだったと思うが、
恵比寿から 中目黒方面へ向かう地下鉄のホームの、
階段を降りてすぐの所に
「日経MJ発表! 2004年ヒット商品番付」
という広告が付けられた。
(今も付いてると思う。)

ホームで電車を待つ間、
興味深く見ていた。

「番付」だから、東西に分けて、
横綱とか大関とかの順に書いてある。



東 韓流      横綱   アテネ特需   西

  聴く       大関   松下ドラム式
  ケータイ端末        洗濯乾燥機

  サッポロ     関脇
  ドラフトワン         花王アジエンス 

  シャープ     小結  「世界の中心で
  ヘルシオ          愛をさけぶ」
                      



こんな風だった。オモシロイ。
もう少し下に行くと、
東に ‘ピン芸人’、
西に‘電車男’や‘負け犬の遠吠え’などがあり、
それから・・・
西に‘ブログ’というのが あったのだ。

知ってるわよ!
アタシ、やってるわよ!

オバサンは、叫びたかった。
ニマっと笑うだけに抑えたけど。

‘東ハト「暴君ハバネロ」’だけは、
今でも何だか わからない。



漢字は親より読める文系息子に
「ブログって何?」
と聞かれたのは、つい三日ほど前。

娘と私の説明で 納得した顔にはならなかった。
娘は自分もやっている、と明かしたが、
私は黙ってた。

24 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
暴君ハバネロ (ジョルジュ)
2005-03-30 15:35:28
息子は、喰えなかったらしい。辛すぎて。

余程、辛いんだな。
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真空管!なつかしい響き!! (ジョルジュ)
2005-03-30 15:24:45
むかし昔は、ラジオも真空管でした。

トランジスタなるものが出てきたのは、

いつごろのことだったか。

記憶に曖昧に残ってます、真空管ラジオ。

終戦特集の時に玉音放送がきこえてくるラジオのような。

テレビ、洗濯機、冷蔵庫・・・。

生まれた頃には なかったと思う。。。

古すぎる話でした?



やはり化学は 戦争とともに発展してきたのか。。

長いお話ができるほど きょうのひるてぃさんは

体調がいいのですね!

雪の消えない山々から吹いてくる風は 

まだまだ冷たいけれど、冬の寒さとは違ってきました。

ウォーキング、本格再会しました!

今年も懲りずに目指しますよ、スレンダー美女。

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極小 (ひるてぃ)
2005-03-30 13:53:13
ジュニアはそのとおりです:笑;

29年前のTK-80は(トレーニングキットのTK)そうですね、厚さ2~3センチ、たて15センチ、横25センチくらいの小さなものです。今のキーボードを小さくしたような大きさ。形状は今のPCの中のマザーボードを思い浮かべるとよいでしょう。そうむき出しなのです。

でもこれが国内のPCブームの火付け役となったのです。

その後、今のパソコンに近いPCとなり、NEC PC-6001がでて、やっと雑誌も「I/O」「アスキー」「Oh! PC」の3誌がやっと出ました。



巨大だったのは真空管のコンピュータです。科学館のは6畳位の大きさですが、世界最初のアメリカのは1947年だったかな?大砲の弾道計算をさせる目的で作られ、5階建てのビルくらいの大きさだったらしいです。そして稼動時間より、真空管を取り替えていた時間の方が長かったとかw。



えっ、俺の話のほうが長い亜w、失礼いたしました。
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おや? (ジョルジュ)
2005-03-30 10:41:30
ひるてぃさん、ひるてぃジュニアが

春休みになったかな?

29年前のパソ、巨大だったのではないですか?

持ち運べる日は いつやってくるのだろうか・・・?

そんな時代でしたね。
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TK-80 (ひるてぃ)
2005-03-30 01:14:08
今日、上野の科学博物館で ↑ に書いた29年前の最初のPC(マイコン)が展示されてあり、懐かしくてカメラに収めましたが、BLOGなくてお見せできないw。

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こんばんわー。 (ジョルジュ)
2005-03-29 22:57:44
tsukimachi-bunkoさん、

お世話様でございます。

スナック菓子なんですかぁ。

知らないはずだワ。子供たちに聞いてみよう。

スナックも激辛も大好きな息子の領分だワ。

やっぱ、あれですよね。

会社の面々のお話は こっそり、内緒でないと。

うっかり誰かにしゃべったら、いつの間にか

一番知られたくない人にまで バレますから。



エミコさん、

お兄様、お大事に。

うどんと おにぎりは・・・う~ん。

お寿司とうどんなら、大丈夫です(笑)。
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暴君ハバネロ (エミコ)
2005-03-29 14:50:55
tsukimachi-bunkoさん、はじめまして。

とろとろ入力してたら同じ時間にオンラインの方がいて、ちょっと嬉しいですわ。



投げ輪のハバネロがお好きなら、きっと焼きそばタイプも辛いというより、美味しいかも~。

なぜかドラッグストアでよくみかけて、気になってるんです。

http://www.boukun.jp/

あの赤い暴君ぶりに私は唇さえもビリビリのヒ=ヒ=でした。でも通り過ぎると美味しい。その繰り返しです(^^
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あきらめか~ (エミコ)
2005-03-29 14:38:53
あきらめも肩の力がぬけると考えるとラク。byよしもとばなな(婦人公論の表紙にて)

気に入ってて、このごろよく使うんです。



ジョルシュ家では‘お酒のつまみ’レシピが豊富にありそうですね。

美味しいキムチ鍋の秘訣があったら教えてくださ~い♪

辛味が大好きな夫につられて、去年からキムチが美味しく感じるようになったんです。



珈琲も飲めるようになったし。

はっこの嗜好の革命(大袈裟だ...)は、2種類つくるのが面倒だという「あきらめ」か?!



【こたえ】肉じゃがは副菜

じゃがいもとご飯は同じだよー。ですって。

でも、うどんとオニギリは◎。なぜじゃ~(;;



兄はインフルエンザ。そっとしておいてあげようかな♪
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暴君ハバネロは・・・ (tsukimachi-bunko)
2005-03-29 14:34:28
激辛のスナック菓子ですね。大好きです。食べ始めると止らない・・・大好きなお菓子です。私がブログをやっていることは周囲では誰もしりません。まさか自分のこと書かれているなんて周囲も思っていないだろうな。
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えーと。 (ジョルジュ)
2005-03-28 23:13:31
驚きというより、アキラメの日々です。。。



肉じゃがは、じゃあ、ナンなんでしょう?

我が家は だあれもアルコール類は飲まないのですが、

‘お酒のつまみ’は全員大好きで、

のん兵衛が見たら 酒がなくちゃ済まない様なオカズで

ご飯を食べます。

枝豆には麦茶、

モツの煮込みや キムチ鍋、すべてオカズです。



亭主は 「いただきます」をする時に

他の家族が食卓に付くのを待つ、というのに

驚いていました。



うふふ。お兄様にヨロシク。
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「え?!」の連発 (エミコ)
2005-03-28 18:48:57
ベテラン夫婦になっても「え?!」ってこと、ありますか



うちはまだ驚きが多いです。

「肉じゃがはご飯のオカズではない」とか(^▽^;

夫の方は「おはよう」など家の中で挨拶があるのに驚いたりしてました。



それから、今や

パソ婚より実名のほうが驚きの対象かもしれませんねー。

兄は今でもインターネットで信頼関係がもてるなんて信じられない様子です。

その兄をからかう。ウヒヒ!面白そうです。
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え? 29年前? (ジョルジュ)
2005-03-28 14:03:12
私、生まれてませーん(笑)。

当時サラリーマンだった義兄が 

脱サラ・出家して パソコン関係の仕事に就いたのは

ひるていさんより もっとあとです。

私は職場にデモのキカイが入って、

いよいよパソ化か、というところで出産・退職(&ひっこし)してしまいました。

忘れられないのは、

「これからは こんなのに データが入るんだそうだ。」

と、きらきら 虹色に輝くコンパクト・ディスクを見せられて、みんなで「へー」「ほー」とまわして触って見た日のこと。

「これに マイクロ・フィルム○○枚分の情報が入るのか!」などと・・・。

本格的にパソコンに触ったのは 手術の後です。

それまでは windows95とかって、何だろう?

という感じでした。

人それぞれの歴史に、パソもそれぞれ歴史を作って

関わってきているのですね。

ひるていさんの体調が少しずつでも良くなってくれれば、

また綺麗なお写真を見せていただけますね。

楽しみに、気長にお待ちしています。

忘れないで下さいね。
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エミコさんのブロ組、 (ジョルジュ)
2005-03-28 13:44:44
楽しみにしています。

パソ婚の方が こんな身近にいらしたとは。

実名?勇気がありますねー。

ネットで顔が見えなくて 誰だかわからないと

自分を装飾してしまいがちですが、

一方で 本音でものを言えるというのも事実。

会ってみたら 印象はおんなじだった、なんてことも

あるそうですね。

お互いをよく理解しあっての結婚だと

よろしいのではないですか?

意外な一面、なんてのは どんなカップル(これも死語らしい)にも ある話。

クサレ縁の我が亭主も、「え?!」の連発でした。

「し・・・しらなかった!」なんてね。

生真面目がネクタイのお兄様ですか。

からかったら、おもしろそう。。。(ゴメンナサイ)

ビョーキをネタにして笑ったら、叱られる?
返信する
おひさです。 (ひるてぃ)
2005-03-28 09:55:56
私のPC開始は29年前です。秋葉原でも(当時はマイコン)まだほとんど知る人がいない時代です。今のようにソフトがないので、ハードの勉強・ソフトの習得と。



データはカセット・テープにピーヒョロヒョロと長時間かけて出し入れしていましたよ。だって、今¥1000-のフロッピードライブが¥400.000-(40万円です!!)、結局買いましたがw。。



10年以上仕事でPC遊びは出来ませんでしたが、お金はなくなりましたがそんな時は暇は出来るもの。初期のハードの勉強でOSがMS-DOSからウィンドーに変わったくらいでしたが、ソフトが面白くフリーソフトだけでPC再開。



まずはHPと掲示板の合体したサイトにはまりましたが、1年半で疲れ、BLOGに来ましたが、体調優れず4ヶ月で閉鎖。



あれ、何しに来たんだっけ? ああ、BLOG開始は、HPに自分だけでなく皆にも写真を載せてもらいたいと偶然に見つけました。

何も興味がでない体調ですが、いつかは復帰?出来るでしょうか。



長々と失礼致しましたw。
返信する
交流ツール (エミコ)
2005-03-28 09:16:21
ジョルユさん、みなさん、おはようございます(^_^)/""

なんとなく気持ちが晴れない雨の月曜の朝。

ここへ来たくなりました。



家族のブログデビューの話にワクワクします

娘さんが素直に驚いてて、息子さんには自分のブログのことを黙っていた。な~んて、とっても痛快ですわ。



あ、痛快だなんて、年頃の子供をもっていない気楽さからかもしれません。お許しを~。



うちはパソ婚で、義弟ともホームページの相互リンクといった状況です。

結婚前から本名でネットに出ていたので、友人知人から言われるほど違和感はないのですが、これから先、どうなるかですわ~。



生真面目がネクタイしてると喩えられる程の兄が参加してきたら!

病気ネタのオヤジギャグで笑ってくれるかしら...とか、ちょこっと気になります。



★ジョルジュさん★ブックマークに「ブロ組」も加えていただけて、とっても嬉しいですありがとうございます。
返信する
風さん、 (ジョルジュ)
2005-03-27 22:39:23
なあんだ、風さんのブログの立ち上げは

お嬢さんが なさったんですか。

私は内緒だから、一人でしました。

ほんと、ドキドキでしたよ~。

パソコン、壊れないかしら、なんて思いながら。

私も友人には何人か教えちゃおうかな、と思いましたが、

親しい人の事は ブログにも出てきちゃうし、

思い通りのことを遠慮なく書けなくなるのは嫌だな、

と思って、誰にも教えていません。

ブログ友達は、ネット上の交流でも、

仮想現実では ありません。

慰めていただいたり、喜んでいただいたり、

教えていただいたり、生意気こいてみたり、

考えさせられたり、感動したり、

この交流は 本物ですし、何物にも変えがたいものです。

本当に、ありがとうございます。



実家の母は

もう13年ほど やもめ暮らしです。

再婚を考えるのは罪悪、という感覚を持ってるように思います。

現在、この上なく気ままな暮らしをしていますので 

他の誰にも 生活を合わせられないだろうと思うのですが、

気の合う友人がもう少しいてくれたら、と思っています。

これまで、内心は母にも いろいろあったのでしょうか。

父が病気をする前から 母は 更年期も含めて 

体調が思うようにならない時期が長かったので、

70歳を過ぎてようやく落ち着いてきました。

これから母にロマンスが生まれたら、どうしましょうか。

やはりそれで 母が生き生きして 幸せそうだったら

娘としても嬉しいのではないかと思います。

もっとも 毎日 そばで暮らしていて 見せ付けられたりしたら、イライラしたり ヤキモチを焼いたり 

しないとも限りませんが。
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こんばんは (ジョルジュ)
2005-03-27 22:12:07
なあんだ、mino さん、

ホームページはお嬢さんの助けがはいっていたのですね。

それにしても 綺麗できちんとした写真を

毎回楽しませていただいてます。

ああいう写真を撮る方は きっと几帳面で

ホームページの管理も しっかりなさってるのだろうと

思っていました。

ご家族は 案外 ご覧にならないかもしれませんね。

ご友人が みなさんご存知だと、

嘘や誤魔化しが利かないところがありますね。



すまいるさん、

ステキな色に染まったんですね。拝見したいです。

癌の悩みに どっぷり浸かっている人達には

脳天気なおしゃべりは 不謹慎かと思ってしまいますね。

でも そんな時でも、あるいは そんな時だからこそ、

ノーテンキなおしゃべりに 救われる気がすることもありますし、私はその方が 良かったんです。

深刻な話ほど、深刻そうにしてると どんどん暗くなるじゃないですか。そういうのが、どうしても嫌で。

お母様がおっしゃった事、

嘘じゃないと思いますよ。

きっと後悔していらっしゃらなかったと思います。

人生の岐路で 違う道を選んだら 終着点はどう違ったか、

誰にもわかりませんが、選んだ道を後悔するような生き方はしたくないですし、

お母様が 後悔しながら 人生を送ってらしたとも

思えないです。

お料理の得意な ステキなお母様の思い出、

大事にしていてくださいね。

それから、舌で覚えた、お母様の味付けも。
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シラー ()
2005-03-27 21:05:59
と言う名前は覚えても「チューベルゲニアナ」という名前まで、なかなか覚えない物ですが、ちゃんと覚えているジョルジュさんですね。

私のパソコンとの付き合いは、子供達の影響。そんなモノしないと言っていたのが、子供達とのメール、知人とのメール、最初は自分で見たり、送ったり出来なかったけど、いつの間にか慣れて、掲示板に参加していたこともありました。でも人様の掲示板、トピ主さんの意向で閉鎖されたり、そんな中で暫くネットから遠ざかっていましたが、HPを作りたいと娘に相談したら、これを立ちあげてくれた。

最初は余り良く分からないままにやっていましたが(今でも分かってないことが多い)友達もでき楽しくやっている。私のBLOGは子供達は知っているけど、実生活の友人知人などには教えてない。

でも見たら「ああ、○○さんだ」と絶対分かる。



母親は女にならないでと願うのは子供ならそうかもしれないです。私は離婚に当たって、息子はもう分かる年頃だったので聞いたら、離婚は良いけど再婚はしないでくれという返事でした。



勿論私もその後病気の再発などもあり、それどころじゃ無かったし、そう言う気持になる余裕もなく、此処まで来ました。相手もいなかったけど(涙)今となればもう人と寄り添って暮らすのは無理だと思える、自由気ままな暮らしぶりです。

娘は母がオンナである部分も認めていると思うけど、この母じゃ。。。そんな心配はないと思っている節がある。



長々訳の分からないこと書いてしまいました。BLOG友達宜しくです。
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同感 (すまいる)
2005-03-27 10:22:46
母も女性だと受け入れるまで、時間がかかり、きっと辛い思いをさせていたのだと思うと、自分自身恥ずかしいです。



14歳の時に父をなくし、大学に入った頃に母に男の人から電話がかかってくるようになりました、私は母がいるのにいないといって電話を切ったりして、本当に嫌な娘だったと思います。今にして思えば、やきもちと幼さとと母も女性であることを受け入れられなかったからだと思います・・・相手は母のおさななじみだったようです



病床の母に「再婚を考えたことある、私たちが負担になったことある、いじわるしてごめんなさい」と話したら、「どうだったかしら、でも今は1人でよかった、同級生は旦那様の面倒やお舅さんの介護で大変そうだし、主婦に定年はないし、それに比べたら、ずーっと気が楽!!貴方たちがいてくれてよかった」と言ってくれました。私がもっと大人だったら、母の人生も違ったものになっていたのかも・・・後悔先に立たずですね



髪の毛染めました!!なかなかのできばえです



はなさんHPにも書き込もうかなと思ったのですが、他の方のコメントみて、今日はやめました、なんだか私のコメントはすごくノーテンキに思えるので・・・



では素晴らしい日曜日をお過ごしください
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以前は (mino)
2005-03-27 00:53:23
娘に手伝って貰ってホームページを作っていたのですが、娘も面倒だったらしくて、ブログにすればと紹介されたのが、私のブログの始まりです。

そんな訳で、私がブログを書いているのは、家族も友人もみんな知っています。

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チャカさん、 (ジョルジュ)
2005-03-26 22:11:37
ズバリ当たってますかね?



亭主は 未だにワープロ派ですが、

一本指打法で、かな入力で、結構早いです。

私は 若い頃苦手だった数字の入力は やはり苦手です。



写真は色が綺麗に出ていませんが、このシラーは

薄ピンクです。
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そうなんですか。。 (ジョルジュ)
2005-03-26 22:07:46
母親は女。知識としては、入っている。

オンナとしての認識は 何段階かに分けて していったような気がする。

オスでないほうの、雌として。これは 割り合い早かった。

それでも 何段階かに 分かれていた。たとえば、小学生版・中学生版・高校生版。



その後。

自分がオンナになってから。

自分が母になってから。

そうして 自分が更年期になってから。

オンナの喜びと悲しみを伴って、

ああ、母は こうだったのか、と 身体の奥の方から

はっきりと知った。

いつか娘も 同じように 母がオンナだったことを知るだろう。

と、思います。

それは 恥ずかしくもあり、誇らしくもあり、

人類の普遍のもの、という 気の遠くなりそうなほどの 生物の歴史を振り返るものでも あるのですが。



ナニ言ってるか 私もわからなくなりました。
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↑のコメント楽しいですね (チャカ)
2005-03-26 20:52:21
ほんわかと笑っちゃいました。ズバリあたってるようで・・

ジョルジュさん、私何回も同じとこ打ってあ「ああ~やだ~」は毎回です。素敵な花ですね。ピンクなんですか?

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思い込み (arfa)
2005-03-26 19:45:09
私がまだ小学生の頃、母親が「オンナ」かもしれないことに気が付いた。・・・ショックだった。

ガッカリのショックではなくカルチャーショックかもしれない?女学校時代の写真を見ても間違いなくオンナだ。

男の自分にとっては母親は「オンナ」でなく「母」でなくてはいけない。そうでないといろんなものが崩れちゃう様な気がする・・・

掃除は?洗濯は?夕飯は?誰がするの?・・母親に決まってるじゃないか。

母親はセックスなどしてはいけないのだ。聖母マリヤ様から俺は生まれたんだ。

・・・まことに勝手な思いこみである。



我が「ニョーボ」は娘の「母親」ではなく、おれのニョーボだと思う方がつよかった。ニョーボではなく「女」と言う方が正確だったかもしれない。

一方、娘はオンナではなく、当たり前だが「母」だけとして存在していただろう。成長してもその想いの方が強いにちがいない。

しかし、自分がそれなりの経験などすれば、母親はオンナでもあったことにきっと気づくだろう。

その時、寂しさを感じるのか、もうひとりの人間を見つけるのか・・さまざまな思いが交錯するにちがいない。

でもその時はじめて娘は「女」の一歩を歩き始めるんだろう。



当の女性本人はわたしゃ「おんな」「母親」「労働者」「恋人」なんでもありよと、思っているんだろうか?



長くなってナニ言ってるか分からなくなった

読み返さず・・と~こ~
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