ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ブラ・パッド(2)

2005-03-28 | 乳がん
私のタンスの引き出しには、
いろいろなブラ・パッドが
まだ たくさん 入っている。
恥ずかしいくらいに、たくさんある。



2004年の初夏、
暑くなってきて、私はもう一度 ブラ・パッドを
いろいろ試していた。

やはり暑い時は、暑い。
半そでや ノースリーブの上に
長袖を羽織らずにいられたら。
そう思っていた。

クーラーの冷気に弱い私は
ギリギリまで我慢して、
クーラーはなるべく使わずにいたかった。

外出のたびにいろいろなパッドを見て、買って。
通販でも、買ってみた。

大きいもの、小さいもの、厚いもの、薄いもの、
まん丸、楕円、レモン型、硬いもの、柔らかいもの。



これなら Tシャツや タンク・トップの上に
何も羽織らずに 来客に対応できる、
と思ったのは、まん丸で 薄くて 硬めのものだった。

左右のブラのカップに入れる。
薄めだから、バストが大きく見える事はないけれど、
硬めだから、その形を保っていてくれる。

術側の胸は 指でつつくと へこんでしまって、
元の形にもどらないけれど、
おっぱいを指でつつかなければいいんだし。

同じものをいくつも買って、
手持ちのブラ全部に入れた。

Tシャツ用の 縫い目のないブラは
持っていなかったけれど、
いつもその薄くて硬いパッドを入れて
シャツやブラウスを羽織らずに過ごしていた。



ある日。
近頃めったに覗かなくなった鏡を 何気なく見ると。
視線はいつの間にか、おっぱいの方へ。

その時。 
私の目に映ったものは。

段差のあるおっぱいだった。



縫い目のあるブラは、身体にフィットした服の場合、
その縫い目が服の上から見てわかる。
わかるが、気にしない事にしていた。

そうしたら、
トップ・バストの縫い目の位置が
左右で 激しく違う。

小さくなって 胸にへばりついているおっぱいと
地球の引力に抗しきれずに垂れてきたおっぱいと
トップの高さの差が はっきり表れていた。



ショックだった。
こんなに違うなんて。
いままで こうして 人前に出ていたなんて。

左右のおっぱいの大きさの違いは
本人が気にしているほど 人にはわからない。

「そう言われて見れば」程度の事が多い。
私もブラさえつければ、大きさの差は
気にしない事にしていた。

だけど、この 左右のおっぱいの
トップの位置の高さの差。

これは、言われなくても、
見れば歴然としていて、誰にでもよくわかる。

こんなに左右の高さに差があるのは 普通ではない。
見た人には おかしいと思われたのではないか。

「あの人のおっぱい、変。」
と誰かに思われなかっただろうか。



私はすっかり 自信を失ってしまい、
人前に出るのを できれば避けたい位だった。

おっぱいを作る会社から 
東京相談会のお知らせが また届いたら、
絶対すぐに連絡をして時間を決めてもらい、
おっぱいを作りに行こう。

そう心に決めた。



それなのに、‘お知らせ’が届いた時、
何故だか私は ぐずぐずと連絡をせずにいて、
時を失してしまった。

届いた封書を いつも電話代の上に置いて、
連絡もせず、棄てもせず。

何もしないで ホコリが積もっていくのを見ていた。

こんなぐずぐずは いつものこと、
ずっと前から こうだった。

何か新しいことに挑戦、だなんて、
柄にないことを決めたのに、
やっぱりいつものぐずぐず。

すっかり自己嫌悪。

だから、その次に 
また東京相談会のお知らせが来た時には
すぐに亭主の承諾を取り付けて 
東京事務所に電話したのだった。

2 コメント

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あの本を読んで ()
2005-03-29 23:45:43
ジョルジュさんのような思いをしている人が、その事だけでも気にしなくて済むようになればいいなと思いました。手術と一緒に再生手術をすると言うアメリカ、精神的負担が随分違いますよね。



ジョルジュさんの、おっぱい変だと気づいた人が居たのかなあとも思うけど、あの会社ならおかしくないおっぱい作ってくれますね。

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おっぱい、作りました。 (ジョルジュ)
2005-03-30 10:51:31
温存手術の人のおっぱいは

作るのが難しいらしいのですが。



自然を人間の都合で 思うままにねじ伏せるように

どんどん変えてしまう精神は 

今はあまり感心されませんが、

都合が悪くて、変えられるならば、

どんどん変えよう、変えるように努力しよう、

という勤勉さは 感服します。

それもこれも 乳がんが アメリカの女性に

多かったからだとは 思います。

乳がんの治療法が ある程度確立しているのは

たくさんの乳がんになったアメリカ女性のお陰でも

あるんです。

これからの人達が多少なりとも快適にすごせるように

今の私たちは ただありのままを 一生懸命に 生きて行くしかないですが、

とりあえず ひとつ 温存手術の乳房を 作ってもらいました。
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