11月7日(日)先日柳橋に絵を描きに来られた方を見て
自宅の押入れ奥に押し込まれた父の作品を引っ張り出した。
古ベニヤ板に描いた絵だ。
両面使い、富士山の絵は広告チラシを手で千切って貼り
秋の季節の樹は日曜大工で残った色付ビニール管を貼り付けている。
27年前5月6日
前日、お袋に「行って来るよ」と旅に出た。
目的は病気がちだったお袋を健康と養生を祈願する旅だった。
翌日7日朝9時前、お袋に旅館の女将から電話で
「冷静に聞いてください、今ご主人はお風呂から出てきて
髪を梳かしているとき、心筋梗塞を起こし亡くなりました」
私と兄は直に上越新幹線に飛び乗った。
午後1時 正しくトンネルを抜けると残雪に未だ覆われた谷川連邦が
連なっていた。
越後湯沢の旅館で父と対面、窓から雪山を仰ぎ見た。
学生時代山岳部で冬の谷川岳を登った。
雪煙巻き上がる白い稜線、雪と氷と風の恐怖に耐え越後湯沢に下山すると
生きて帰れたのだと安堵した。
まさか越後の地で客死するとは
会社勤め40年を越え、寡黙、勤勉、地味、清潔
何事もコツコツ続ける。
そんな父の楽しみは庭に花を育て、絵を描くことだった。
葬儀、
絵を描いたり、城や帆船を作ったりした父の作品を
思い切って垣根に飾った。
隣家の垣根も借りて父の生前の作品を並べた。
参列者は父の知らなかった一面を知り驚き感嘆した。
絵画の勉強もした事無く、幼い頃母を亡くした父は
寂しさから絵を描いたが、紙、鉛筆、絵の具も買えなかったので
その代わりになる物で描き続けた。
誰に見せるでもなく死後、会社の同僚だったが方が
驚きをもって「知らなかった」!
父の葬儀は最初で最期の作品展だった。