3月23日(土)午前10時 妻と外出。
都心の地下鉄駅を上がり下町を歩く。
元、川だったところは埋め立てられ、桜並木だけが残された。
妻が言った。
「掘割だけが残っていて、幼い頃、桜の下で家族みんなして、お花見したの」
少し肌寒いが桜満開となり花吹雪にはならない。
11時半、公営団地に着いた。
エレベーターで3階に上がった。
妻が鍵で開けた。
私がここに来るのは12年ぶりだ。
妻の父親が亡くなった時だ。
去年 10月妻の母親が特別養護ホームに入居した。
ずっと一人暮らしであった義母は3年前から歩行困難になり
妻とその妹で交代しながら介護していた。
妻も自分の癌治療も抱え心身の疲労は限界だった。
ホーム入居にホッとした。
公営住宅の退去が3月末に迫っていた。
殆どの物は整理廃棄した。
残されたのは去年9月に買った35インチのテレビと冷蔵庫。
二つとも新品なので棄てるのに躊躇していた。
テレビと冷蔵庫は柳橋事務所で使うことにした。
柳橋で現在使っている冷蔵庫は古い、テレビも古い。
その他に残ったのは家族の思い出のアルバムと箪笥だ。
アルバムは妻が持ち帰ると言う。
ダンボールから黄ばんだアルバムを取り出した。
開くと写真を覆ってる透明フイルムが劣化してポロポロと切れ落ちた。
義父の軍隊時代 馬に乗った凛々しいセピア色の写真を見た。
工兵で戦車部隊に属し大陸に赴いたのだ。
大酒飲みで私の妻が赤ん坊の時、飲み屋に連れていって
赤ん坊を飲み屋に忘れて、飲み屋の女性が届けた。
義母は92歳、頭はしっかりしている。
私の実母は89歳だが、遺漏をしたため食事も出来ない
殆ど会話も出来ず病院で寝たきりだ。
延命治療は幸せなのだろうか?
12時半 柳橋事務所に冷蔵庫とテレビを運んだ。
14時 桐箪笥を自宅に運んだ。
義母が嫁入り道具として、新潟から持ってきた。
箪笥として66年過ごした。
桐の木としても15年~20年は生きた。
表面を削り直した。
ラメ色だった表面は桐の文様が浮き出て蘇った。
今度は孫娘が使うことになる。
これからも生き続けて、私たち夫婦より長生きだろう。
動く生き物より動かない植物が長生きするのはなぜだろう。
人間動けなくなったら死も同然。
もう一つ 大事な物があった。
今年2月まで現役で活動していた。
電話機だ。
ダイヤル黒電話。
私が黒電話を使ったのは大学時代で
会社勤めの頃はプッシュホンだった気がするが?
棄てようとしたら、既に製造してない珍品なので
ネットオークションに出品したいと言う。
名言
若い時は一日は短く一年は長い。
年をとると一年は短く一日は長い