3月7日(金) 17時半、何だか体がだるいなあ~
でも行かねばならん と脅迫観念に押されて
都営新宿線東日本橋から乗車、九段下で半蔵門線に乗り換え
座ってスマホでニュース読んでいたら下車駅過ぎて
駒澤大学駅まで来てしまった。
戻り渋谷駅下車。
道玄坂を歩くと ラーメン屋 味源 の看板。
私が毎日読んでいる面白いラーメンブログに
3月7日付けブログに味源が登場した。
去年 夏に食べたが、不味い。
神田の味源は旨かったのだが。
厨房は中国人素人だからか?
いつもと違う道路を通って病院に向かった。
18時40分 お袋の病室へ。
お袋は看護士さんに痰の吸引をしてもらっていた。
私を見るとしゃべったが聞き取れない。
看護士さんが通訳した。
「来るのが早い」
19時 弟が一人で来た。
嫁さんは大学病院副院長で今日は付属看護学校の卒業式、謝恩会に出席
就職難なのだが、優秀な看護士が不足して
沖縄から北海道まで飛び回って看護士の求人をするそうだ。
看護士の仕事は総合病院、大学病院では厳しい。
看護士は感情労働、赤の他人を昼夜看護は精神的に過酷なので
長く続かないそうだ。
お袋の介護を見て、男がとても出来る仕事ではない。
母性を凄い、男は勝てない。
看護士の待遇を向上させても難しい。
お袋は弟を見ても、認知できないようだ。
何度も「お前は○○か」と聞き返す。
いつも嫁さんと二人で見舞うため、一人で来たことに合点がいかないのだ。
弟は珍しく、今日は車ではなく電車でやって来た。
20時、お袋は帰ろうとする弟の腕を放さない。
松涛の邸宅外を抜け、文部省唱歌 春の小川 に唄われた渋谷川は埋め立てられ
現在は渋谷駅に抜ける小道になった。
通り沿いには、レストラン、小料理屋、居酒屋が左右に軒を連ねている。
一軒の串揚げ居酒屋に入った。
金曜日20時ほぼ満席状態。
カウンター席が空いていた。
生ビール、串揚げを注文。
店内は若者だけで、60歳過ぎは私達だけだ。
渋谷が若者の街だが、中年以上は不況下で
接待経費はゼロ、個人的飲み代の千円札一枚もないのだ。
お一人様一杯限りの400円ジョッキハイボールを頼んだ。
炭酸と氷が多いだけで原価は数円だ。
ツマミをオーダーしたが、中々持って来ないのでキャンセル。
厨房は手持ち無沙汰なのに、忘れていたようだ。
21時半、センター街近くで、以前から気になるラーメン屋があった。
入った。つけ麺鶏白タンの店。
自販機でチケットを買う。
販売機の一番上左、千円をプッシュ。
カウンター席に座り、ガラスに貼り付けられたメニューに驚く。
中盛りをオーダー。
1玉から3玉まで同一価格なのだ。
いつも、若者が行列しているのは、このボリュームにあったのだ。
濃厚なつけ麺は苦手だ。
2玉は食べきれず残してしまったが、弟は2玉食べ切った。
隣の龍の髭で台湾料理を食べれば良かった。
馬鹿は何事もTrial and errorの実体験をしないと納得しない。
センター街を歩き駅に向かう。
背後から笛の音して振り向く。
若者二人が道化師姿で渋谷ギャルに話しかけている。
先月末にもセンター街を歩いたが刺激的な快楽の街角。
夜のしじまの邸宅街と三途の川の船着場を月夜が照らすが
街角には饗宴の蛍人が飛び交う。
およそこの世のことで、いつまでも変わらぬものはなにもない。
道があり、通りがあり、曲がり角があり、路地があり路地裏があり
人々が歩いていく。
どこへいくのか、誰もほんとのことはわからない。
人はいつか死ぬ。
死ぬことに失敗はないのだ
23時、メールした。
祝!10周年記念 おめでとうございます。
頑張りました。 加油!
まだ渋谷にいます。
奥田さんより、満席と聞いています。日を改めて伺います。
返信が直ぐに来た。
ありがとうございます!
皆様の力です!
確かに悩みながら、頑張りましたが、今は本当に厳しいです。でも、十年間も皆様に励まされながら、やって来たから、もう少し頑張ろうかなと思います。
二日間、とっても緊張感と寝不足などで疲れたが、十年間をやってて良かったと幸せを感じています。
メールありがとうございました!
弊社で働いていた中国人女性だ。
中野でスナックを開いている。
今日で10年になるのでお祝いに行かなければならないが
満席なので遠慮することにしたのだ。
父親は2年前に上海で亡くなった。
文革時代に日本のスパイだとして牢獄に入った。
彼女は日本人以上に日本が好きだ。