ベランダから、ショッピングセンター駐車場を見る。
車椅子がセンターに向かう。
公立支援センターバスから降ろされた障害を負った子供達。
50年前、学んだキャンパスには、社会福祉士学科があり
障害児の為に、学ぶ教室がある。
体力のある体育会部員はボランティアとして、障害児をバスから抱えて下ろし
別のトラックに積まれた車椅子も下ろす。
当時の車椅子は、とても重かった記憶がある。
最寄り駅には、エレベーターもないので
二人がかりでホームに上げる、下ろした。
可哀想だなとは思ったが
まだ、社会性が未熟者である私にはそれ以上の感情はなかった。
当時は、老人介護などは思いもしなかった。
家庭を持ち、子供が生まれ
懸命に働き育てた。
そうした暮らしの日々で、障害を背負った子供持つ
親達に接せるようになると
その過酷な労苦を垣間見た。
身近に、100万人に一人の障害児生まれた。
一昨年 9歳で召された。
母親は片時も離れず、何処にも出かけず
冠婚葬祭にも出ずに介護した。
かけがえのない命を懸命に支えた。
私も波乱万丈だった。
サラリーマンをドロップアウトして
致し方なく起業したが
騙されてばかり、それでも子供は育ち
健康な孫も生まれた。
私の苦労など大したことないのだ。
将来展望が見出せない過酷な暮らし。
ショッピングセンターに入る子供達。
ご両親の想いに
心がざわつく。
私は、介護の仕事が向いていたのかも。
貧乏で幸せなのだ。