私を見捨てた、経営側、組合側幹部は
3年後、互いの情報を得ようと、私に相談にやってきた。
私は屈辱と憤りを胃袋にピンで留めて、にこやかに接した。
夜半 別れてから、一人酒を飲み、堪えきれずに泣いた。
酒は胃袋から腸を通り放尿した。
悲しみは、吐くこと、出すことも出来ず
朝の来ない暗黒地帯を手探りで彷徨った。
子供達が社会人になったら、生きるのを止めようと計画した。
子供二人は社会人になった。
河口の大橋を過ぎ、流れは穏やかになった。
季節は流れ巡り、70歳になった。
今年9月1日 孫も2歳になった。
34歳の時
川に投げ込まれた頃、絶望の淵にしがみつき
遠い将来の希望などなかったのだ。
今、私は生きてここにいる。
サラリーマンを馬鹿にするわけではないが
「俺は、波乱万丈の仕事をした」と自己顕示する方がいるが
否定はしないが、組織をバックとして、保険付きの一か八かのビジネス。
何もかも失った34歳の異端者は、一人崖淵で客観的に見ていた。
強固な組織で生きてゆくには、倫理観だけでは生きていけない。
瀬戸際でくぐり抜けてきた。
他にも、様々な波乱があった。