昨日、夕方 両国橋を渡り錦糸町駅に向かった。
途中、かちかち鳥の店名があった店前を通った。
私の下記ブログにコメントを頂いた。
店主が逝って5年の歳月が流れた。
自死は、自らは楽になるが
残された家族の悲しみと苦悩は癒すことない。
2013年6月16日ブログ再掲
6月16日(日)
12日ブログで女房との出合いを書いたが
私自身にも秘密がある。
私が二月に一度整髪する床屋のお上さんは
会津若松の出身で年齢も同じ。
NHKの大河ドラマ 八重の桜も会津若松。
殆ど記憶の彼方は遠くなり断片的なことしか思い出せないが
鮮明に憶えている出来事がある。
昭和43年の6月頃だと思う。
大学2年生
授業は出席せず又所属する体育会山岳部には
嫌気さし退部を考えていた。
同期とくだらない諍いで部にも出入りしなかった。
突然思い立ち、東北本線に乗り西那須野駅で下りた。
両親の故郷だ。
お袋の直ぐ下の妹である叔母さんの家に宿泊した。
夕暮れに黒い要塞のごとき那須連峰を見上げた。
幼い頃から、青白い峰を見ると胸高鳴り
異様な興奮をするのだった。
翌朝、心配する叔母さんに別れの挨拶して
再び東北線に乗車、上野と反対方向の郡山に向かった。
郡山で磐越西線に乗り換えた。
何処へ行くかの目的地はなかった。
昼頃 会津若松駅に到着した。
何となく下車した。
駅前に東山温泉周遊バスがあったので乗った。
乗客は私一人だった。
鶴ヶ城で1時間の小休憩があり
お城を一人で散策することになった。
私は腕時計を持っていなかった。
城内の庭を一回りして、松林のベンチに座る
若い女性に時刻を聞いた。
まだ、時間はあるのでぶらぶらして
ベンチに戻ると女性はまだ座っていた。
物思いに沈んでいるようなので
通り過ぎようとしたら、こちらに気付き
「観光ですか」と訊ねた。
私は頷いて、バスの出発まで時間があるので
城内をうろうろしていると言った。
彼女は「案内してあげましょうか」?
戸惑ったが一緒に天守閣に登った。
白虎隊が自刃した飯盛山を指した。
時間が来たのでバスに戻ろうとした。
彼女に聞いた。
「まだ時間ある」?
彼女は頷いた。
バスが停車しているところまで走り
バスガイドに告げた。
「私はここで下ります、一人で回ります」
それから二人で何処を回り何処で食事したかは憶えていない。
夕暮れ、私は宿を探さなければならなかった。
彼女が駅近くの旅館を紹介してくれた。
二人で食事した。
どんな店で何を食べたのか思い出せない。
食事中 突然「あなた連続射殺魔じゃないでしょう」と
じっと真ん丸い目で見詰めた。
当時、日本中を恐怖にして夜外出も出来なかった
拳銃強盗かと思ったのだ。
私は 学生証を見せ、氏名、住所をメモらせた。
彼女も名前を教えてくれた。
私は21歳
彼女は去年地元の高校を卒業した19歳。
小柄だが雪国育ちの白い肌と丸い目元だ。
しゃべりは時折訛りが出るが滑らかだ。
夜の9時過ぎだと思うが
旅館に向かった。
互いに無言だった。
旅館の看板が見えたところで
「一緒に泊まる」?
彼女は下を向いたまま旅館の門まで来た。
彼女は「チョット、電話架けて来る」
私達は喫茶店に入った。
暫くすると女の子が私たちのテーブルに座った。
彼女の友達だと紹介された。
暫く会話して3人で店を出た。
その女性は自宅に帰って行った。
彼女はニコヤカニに言った。
「彼女の家に泊まることにしたの」
私達は旅館に入った。
翌朝 10時 朝食にバナナと餃子が出たのを
鮮明に憶えている。
その後は覚えていないが彼女は一旦自宅に戻った。
私は夕方の列車に乗って東京に帰ることにした。
駅前に床屋があったので列車到着まで整髪した。
会津若松駅に今にも泣きそうな顔で彼女は待っていた。
ホームに列車が入って来る。
彼女は大きな紙袋を私に渡した。
鈍行列車の窓を開け、ホームに立ち尽くす彼女を見た。
列車が動き出すと彼女の表情は歪み
泣き顔になった。
泣声は車輪の音に消され遠ざかった。
あの会津若松に24時間余の出来事は
夢幻のごとく本当だったのか?
紙袋には福島お土産がいっぱい入っていた。
数年前 会津の郷土玩具 赤べこがガラクタ箱から出てきた。
当時彼女がお土産をホームで渡した物だ。
なので夢ではない。
都会からふらりやってきたハンサムな青年?と
地元で暮らす少女は、互いに寂しい想いがあったのだ。
欲情ではなく、偶然の出合いと感情が
見ず知らず若い男女を儚く甘美な一夜過ごしたのだ。
二人とも耐えがたい青春の傷と孤独だったのだ。
彼女の姓は珍しいので覚えている。
その後、彼女から手紙は来なかった。
現在生きていれば64歳なるお婆ちゃんだ。
孫もいるであろう。
あの一夜の出来事から5年後
車で会津若松を通った。
彼女が座っていたベンチに座った。